主人は、私を殺さなかった。
薬莢の落ちる音と同時に、私の後ろの石壁に弾が当たった音が響き、主人は銀の銃をおろした。そしてそのまま地下牢を後にした。



地下牢を出て、私に与えられたのは、良い仕事以上の物だった。個室、専用のバスルーム、メイド、美しい服、三度の食事。何もかもが贅沢で、私にはとてもではないけれど、過ぎる待遇だった。

「本日のご予定は?」
「いえ…今日もありません」
「何か本をお持ちしますか?それとも、本日のオペラに席を取りましょうか」
「そっ…そんな、私には…」
「では、邸内を案内致しましょうか」

メイドは笑顔で今日の予定となる提案を言った。このメイドとは、下働き仲間として顔くらいはお互いに知っていたけれど、まさかこんな関係になってしまうとは思ってもみなかった。
しかし、私にだけ許された待遇を憎まれるかと思っていたが予測は外れ、メイドは私の世話を大いに楽しんでいる様だった。メイドとは頼まれた仕事をする物のはず、しかし彼女は私に進んで提案や質問をして来た。
彼女の最後の提案で私は折れ、邸内を案内してもらう事にした。私は清潔な服にくるまれ、美しい屋敷の細部に至るまでを見つめながら、彼女の案内に従って色々な部屋に入った。

「こちらは御領主様の収集された、美術品の保管室でございます」

保管室は、それはもう信じられない部屋だった。どんな下々の人間でも知っている有名な画家の絵画や、とろけるような大理石で彫られた石造がところ狭しと並んでいた。

「ねえ、これは…」

私が作品について聞こうと、後ろにいた彼女を振り替えると、そこは無人で、私は言葉を飲み込んだ。しかも、彼女は居ない上に扉が閉まっていた。私は嫌な予感をさせながら扉に寄り、開けようとガタガタと揺らした。予感は的中し、外から施錠してあった。私は閉じ込められていた。私はため息を吐いて、扉の前に居るよりも美術品を鑑賞する事を選んでそこを離れた。
やっぱり、私への待遇を陰で恨んでいたのだ。もしかして、使用人全員でだろうか?料理が冷たいのはそのせいかもしれない。しかし気にならなかった。そう、それに私は素晴らしい待遇にも、あまり喜びを感じる事がなかった。それは贅沢かもしれない。しかし、こんな待遇は私には必要無かった。
主人は、私に会いに来はしなかった。
地下を出て何週間も経つが、会うどころか、噂さえも私の元に届きはしなかった。
これが末路かと、私は噛みしめていた。贅沢過ぎる待遇が私には辛かった。戸惑って行動に迷ってしまうのに、主人の思惑が見えない。今までのように私を使用人として、どこぞに放ってくだされば良かったのに。何故私に贅沢を?地下での出来事への、これは贖罪でしょうか。だとすれば、なお辛い。あれは一時の迷い、魔が差したとでも言うようで。

「久しぶりだな」

突然、後ろから声が聞こえ、私は振り返った。気が付けば扉からは随時奥まったところまで、私は歩いていたようで、周りには見覚えのない美術品が並んでいた。
声を発したのは庭師だった。庭師の隣には門番が立っていた。この顔は覚えている、この二人を覚えている。何度となく、私が穴として使われた時の男達だ。

「いっそう美人になったな」

私は、何が起きて自分がこの状況下に置かれたか、容易に想像出来た。メイドはグルだろう。

「…お久しぶりです」

今の私がどんな表情なのか、見て取る事は出来ない。少なくとも、私は彼らに笑顔を向けていた。これから起こる事が想像できないではないけれど、今はもう拒絶をとうに諦めている。私は男といくら混じっても赤ん坊が出来る身体ではない、淋病をうつされたからといって、死んで惜しい人間でもない。拒絶する理由がない事に気付いたのは、もうずっと前だった。

「さあ、股を開け」

二人は私を壁際まで追いやり、笑い、楽しみ始めた。私は不快感がさほど取り除けないため、出来れば早く終わらせてしまいたいと思っていたけれど、抵抗すれば抑え付けようと長引き、無抵抗ではつまらないと言って長引いてしまうのだった。私は間を取り、彼らが楽しめるように、そしてすぐに終わってしまうように願った。
それが、私が利用され続ける理由でもあるけれど、今までそうやって来たのだ。もう慣れている。終わってから、泣けばいい。
庭師は私の服を剥ぎ取らなかった。手を滑り込ませ、肌を押す。その手の動きは、ああ、主人の時の様だった。
門番は自分の物を触る様に言った。門番は私の手に自分の手を重ねた。滑る指と指の間に、更に指が入り込む。主人も、その様に私の指を触った。
二人にどのようにされても、目を閉じれば主人がよぎった。目を開けば、横にある石像が主人に見えた。

「はは、痛いのか。そんなに泣いて」

私は泣いていた。泣いて身を捩る私に、二人は気をよくしていた。門番のその声が聞こえない程に、私は頭の中に留まらず、全身で主人を想っていた。
ああ、悲しい。私はどうしようもなく、主人に想い焦がれてしまったのです。
主人は地下で、名前を呼ばれたくないと言っていた。しかし私はここに来た時から名前を知っていた事になる。頭の中でだけなら、呼んでもいいでしょうか。
その時突然、私を回されて中を埋めていた門番が、それを引き抜いた。同時に庭師の出した物がどろどろと溢れるのを感じた。

「何をしている」

私は聞こえたその声に、閉じていた目を開いた。そこには瞼の裏にも写っていた、主人が侮蔑の表情を浮かべ、使用人の肩を思い切り掴んで立っていた。
ああ、久しぶりに見る主人は、もはや私の知る主人ではなくなっていた。喜ばしい事に、肌には赤みが差し痩けていた頬が少々でも健康に見えた。震えていないし、使用人達とは比べられない程、綺麗な服を纏っていた。私は安堵した、主人の健康に。

「お前達、何をしているか答えろ」

二人は押し黙り、急いで裾を整えて、主人を前に立ち上がっていた。

「今すぐに出ていけ。この部屋をという意味ではない。この屋敷、俺の敷地、俺の視界から出ていけ。死体になりたくなければ、二度と入るな」

主人の声は震えていない。威厳を感じさせる、しっかりとした物だ。もう嘔吐を繰り返してなどいないだろう。
二人が絶望を纏ってその場から走り去る時、私は自分の服を直した。主人の前で、あまり汚い姿は晒せない。久しぶりに姿を見れただけで、私は嬉しいのに、主人を不快にさせたくはない。

「お前もだ」

私はその言葉に、痛い程の不安に駈られた。主人の声は冷たかった。
そうか、私はこの美しい部屋で、男達を拒絶する事もなく理性の無い行為に及んでいたのだ。何故自分を特別の様に思ったのか。いや、主人が私に与えた贅沢のせいだろう。私は主人のご厚意に、自惚れたのだ。よもや助けに来てくれたなど、思い上がりも甚だしかった。
傷み、力の抜けた身体を私は無理やり立ち上がらせ、私は主人の目を見る事も出来ずに、深く腰を折ってお辞儀をし、主人の横を通りすぎた。
今生の別れに、私が見たのは主人の美しいブラウンの革靴、嗅いだのは甘いコロンの匂いだった。その全てが、私の心臓を握り潰すようだった。

「待て、何処へ行く」

私は制止された言葉に戸惑った。たった今、もう視界にも入るなと言われたはずでは。
私は振り返ったが、主人の目を見る事が出来なかった。

「行く宛は…ございません」
「何で出て行こうとしてるんだ」

謎が深まる。

「あなたが、そう仰いましたので…」
「不当だとは思わないのか、お前は何で何も感じないんだ」

何も感じないわけではない、怖れも、傷みも、喜びも確かに感じます。

「そんなに何もかもに無関心で、お前の発言は全て嘘か、笑みも作り物か。俺の前で泣いたように、誰の前でも泣くのか」

私は主人の問いに違うと答えたかった。しかしそうならなかった。私はいつも作り笑顔で、目の前で泣く相手を選ぶわけではない。悲しければ泣くのだ。そしてどんな贅沢にも、喜べない…私は欲しい物などない。今となって願いは主人の幸せくらい。

「申し訳…ありません」
「何故謝る、その場しのぎか」
「…違います、謝罪をしたいのです」
「何に対してだ」
「あなたを、不快にさせてしまって…」

私は、何故こんなに辛いのか理解も出来ず、痛む胸を掴んでいた。不快にさせてしまった…言葉にすると、より辛い。主人は何故ここに来たのだろう…この広い屋敷のこの広い部屋の奥に、どうして来てしまったのだろう。こんな姿を見られたくは無かった。

「何故また泣いている、その場しのぎはやめろ」
「…っ、も、申し訳…」

ああ、なんとか止めたいのに。なのに止まらない。これ以上不快にさせてしまいたくない。なのに止まらない。
私は失礼を承知でその場を走り去った。私など、視界から消えて然るべきだ。話の途中で逃げ出す無礼よりも、いくらかは良いはず。
いいえ、期待していた。主人が追いかけてくれるのではと。後ろを振り返らずともわかっていた、主人は私を追いかけなどしない。
主人は何故あの時私を殺さなかった。何の為に生かしたのです。もう必要のなくなった私など、殺して頂きたかった。

『お前の墓には水仙を植えてやる』

主人が地下で口にした言葉を私は思い出した。主人は確かに、好きだと言っていた花を植えてくださると。墓になら、私に会いに行くと言った。
この屋敷は高い建物だ。私は一番高い部屋を目指して走った。そこは窓ガラスの無い、天文の部屋だった。空は青い、庭の木々も青い、芝生の緑が目に痛い。このような美しいところを、穢れさす事になる。しかし私は迷わず柵を越えた。
私は震える声で主人の名前を呟いた。声にしたのは初めてだった。

そして、柵から手を離した。

風を切りながら思い出していたのは、革靴とコロンの匂いと、お前を抱くと言って、微笑んだ主人の顔だった。


最後の願い事を無に託し



どうしても殺してしまって、ごめんなさい。一度愛した人に銃を向けられ、それを受け入れた瞬間から変わってしまった"私"の感覚だと、こんな感じです。やくちゅうが酷すぎる。というわけでもう一話おまけで書きましたやくちゅうサイド
ところでやっぱり"私"が男なのか女なのかわからない状態をキープしてたら苦労しました。やくちゅうサイドが特に…(笑)

黒子さんに捧げます。献辞。
リクエスト本当にホントにありがとうございます。

written by ois







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