彼女と距離を縮めたくて、僕はどうすれば距離が縮むだろうかと考えた。そして思い付いた。
僕は仕事から帰る時に、寄り道をして帰った。帰ると彼女はお風呂場にいた。僕が見ていない間に風呂にも入っているらしく、排水口には長い髪が落ちていたりしている。今日は入浴中だったらしい。
僕がいつも通り、寝室で着替えて出てくると、風呂上がりの彼女が首にタオルを巻いてリビングにいた。テーブルに晩御飯が用意されていて、いつものように横にメモが置いてあった。

“お帰りなさい。シャンプーが切れたから新しいのを買ったんだけど、私が好きなのを選んで良かった?”

マネキンの彼女にも、好みがあるらしい。

「全然いいよ。今日は僕も買い物をしてきたんだ、君へのプレゼントだよ」

僕は今日寄り道をして買って来た物を袋から取り出した。

「携帯電話だよ」

僕は彼女の膝にその白い携帯電話を置いた。

「僕と、メールしてくれないか」

それが僕の考えた距離を埋める方法だった。メールなら、目の前では動かない彼女とタイムラグなく会話ができる。

「僕のアドレスは入れておいたよ。やり方がわからなかったら説明書に書いてあるからね」
僕は説明書を彼女の座っている横に置いて、彼女が作ってくれた親子丼を寝室に持って行った。
ベッドに座って黙々と食べていると、しばらくして携帯が鳴った。僕が緊張しながら携帯を取って、開いた。

『こんにちは。これで出来てる?』

僕は彼女からの初メールに微笑んだ。
僕はメールを返し、さらにメールを続けて行った。

『出来てるよ。これで会話が出来るね。』
『一緒にいたら出来ないよ』
『こうやって別の部屋にいたらいいんだ』
『私は一緒に居たい』

彼女の打った突然の言葉に僕は身体の末端まで熱くなった。頭の中までじんじんする程熱い。しっかり働かない頭で、とりあえずリビングに戻る事に決めた。
彼女は携帯を開いた状態で握って、ソファーに座っていた。

「隣で…食べていい?」

直接だと、彼女はやっぱり返事をしなかった。僕は彼女の座っているソファーの隣に、ぎこちなく座った。多分、彼女側の半身に、全身の神経が移動してしまった。動かない彼女が気になって、ずっとギクシャクしてしまった。

携帯を買ってから、彼女はメモを残すよりメールを使う事が多くなった。それは大抵便利である事が多く、帰ったら僕の望んだ晩御飯が出るようになった。
メールしている時、嬉しさが顔に出ているのか、同僚に「何ニヤけてるんですか、彼女?」と話しかけられた。否定も肯定も出来ず、曖昧に返すと、同僚も気まずそうにどこかへ行ってしまった。人付き合いは苦手だ。
それに彼女は、僕の一体何なのか、説明出来なかった。僕は好きだ、けど彼女はどうなのだろう?服をくれた僕への恩返しで家事をやっている、妖精か何かみたいな物だろうか?そもそも、彼女は何故、マネキンなんだろう…。この距離が僕はひたすら悲しかった。

その日は仕事が早く済み、いつもより遥かに早い時間に帰る事が出来た。電車を待つ間に彼女にその事をメールで伝えると、今から晩御飯の準備をする、と食材を撮った写真付きで返信が来た。携帯を持てた事が楽しいらしい、今や僕よりも携帯を使いこなしていた。
僕の住むアパートの下に着くと、そこには隣の家に住む家族の奥さんが買い物袋を持って、郵便ポストを見ていた。僕に気付いた奥さんは笑顔になって今晩は、と挨拶した。人付き合いの苦手な僕は視線を微妙にずらしたまま、ぎこちない笑顔で今晩はと返した。

「そういえば最近、ご結婚されたの?若奥様にお会いしたわよ」

世間話を軽い調子で持ち出したらしい、奥さんの発言に、僕は驚き過ぎて頓狂な声を出した。僕の挙動不審に驚いた奥さんは笑顔を消した。

「奥様じゃなかった?彼女だったのね?ごめんなさい私、早とちりしてしまって」
「いえ、そんな事は…あの、そんな事より彼女に会った、というのは?」
「ああ、今日出かける時に彼女さんに玄関の前で会ったのよ。美人ね〜。向こうからこんにちはって挨拶されたわ、凄く感じのいい子ね」

挨拶?…彼女が、動いていたという事だ。僕は今まで、彼女は座敷わらしの様にそこに居ても存在に気付かれないで買い物をしているのかと思っていた。マネキンが動いているのだ、そのくらいの魔法があっても不思議じゃない。でも、マネキンなのは僕が見ている時だけなのだ。
僕は奥さんを放置して階段を走って上がった。普段の運動不足がたたって、心臓は痛いし息が苦しいが、全てを無視した。慌てて鍵を開けて家に飛び込んだ。
カレーのスパイシーな匂いがした。彼女はキッチンには居らず、リビングのソファーにいつもの様に座っていた。マネキンのままだった。
僕は息を切らしたまま彼女に近付いた。鞄をその辺に投げた。彼女は何の反応もしない。当たり前だ、僕が見ているから。

「…どうしてだ」

息を整えながら僕は唐突にそう言った。彼女は僕の方も見ない。当たり前だ、何故なら僕がずっと見ているからだ。

「どうして、僕の前でだけ動いてくれないんだ!」

僕への嫌がらせなのか?だって普段は人間をやっているんだろ?僕の前でだけ動けないなんておかしいじゃないか。
思わせ振りな行動も、全て嘘?人付き合いが苦手な僕が、可愛いマネキンに恋してる様が面白かったのか?恥ずかしい、そんなのは酷すぎる。
僕の息は走った事とは関係なく、また乱れだした。

「僕で遊びたいだけだったなら、出て行ってくれ…他の人の前では人間でいられるんだろ」

弄ばれて、まんまとハマっただけでも恥ずかしいのに、僕は無様にも泣いていた。
過去にこれほど悲しかった事は無い。嗚咽が漏れそうで、僕は寝室に行った。ドアを乱暴に閉めると、悲しさが嗚咽になって襲って来た。僕のこの幸せだった期間の思い出を思い出しても、彼女の表情はいつも同じ無表情だった。ずっとその表情の内側で何を思っていたんだ。僕はこんなに好きだったのに…。
色々な事を思い出していると最初に彼女がカレーを作った時を思い出した。彼女のカレーは何故か今までのカレーより遥かに美味しかった。何を入れたのか知らないけれど、僕はその日からカレーが大好物だった。今日は、そのカレーを彼女が材料を買いに行って、作ってくれていたんだ。
僕は、出て行けと言った事を少し後悔した。理由は酷くても、毎日ここまでしてくれた人にこんな扱い…それに、僕にとって彼女はすぐに忘れれる程軽い恋でもなかった。
僕は涙を拭いて息を整えてからリビングに戻った。謝るつもりだったけれど、出て行って欲しい事も言うつもりだった。しかしそんな事出来なくなった。
リビングに戻って、まだソファーに座っている彼女は僕の方を見ていた。表情はいつも通り無表情で、視点はどこにも合っていない。だけどその両目から、涙が落ちていた。マネキンなのに、目から涙が流れていた。彼女が泣いている。

「ご、ごめん…」

情けない、これだけしか言えないなんて。僕は驚き過ぎて自分の涙をすっかり忘れた。少し迷って、僕は彼女の隣に座った。
近くで見ても、プラスチックの質感の彼女の肌からガラスに変わる、目元の変わり目が濡れて、頬に涙が伝っていた。
何で泣いているのか、わからない。僕が怒鳴ったりしたから怖かったのだろうか…それとも、出て行けと言われたからだろうか?だとしたら…。

「僕、君が好きなんだ…本当は出て行って、欲しくなんかないよ…」

動けないマネキンに言うには、独り言になる。僕はずっと言い出す事が出来なかった告白をした。
そして、たまに頭を過っては振り払っている事があった。動けない彼女にすると、抵抗出来ないのだから痴漢と同じだった。だけど僕は衝動的にそのまま泣いている彼女にキスをした。
冷たく、硬い。そう思ったのは最初の一瞬だけだった。
途端に彼女の唇は柔らかくなり、冷たかったその場が一瞬で温かくなった。僕以外のもう一人が体温を持った人がいる事を示すように、ふわりと暖かい空気に僕は包まれた。彼女の手が、僕の首を触っている。その手は温かく、柔らかい。彼女がキスを返した。
僕は目を開けてはこの瞬間が終わるのではないかと思った。しかし、目を開けてみても彼女の手の感触は変わらなかった。顔を上げて彼女を見ると、彼女は初めて見せる笑顔と涙でキラキラした目を僕に向けていた。

「私もずっと好きだった、嘘じゃないよ」

初めて聞く彼女の声が、そんな事を言うんだ。僕は情けなくまた泣いてしまい、それを見て彼女も泣き出した。

「やっと言えた、あなたのせいよ」

もっと早くキスしてくれれば良かったのに、と彼女が言って、僕は微笑んだ。
その日元々美味しいカレーが、いつもの何倍も美味しかった。彼女が僕の横で笑っていたからだ。
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カレーの味



うはあー可愛いー!自分で言うなって感じですね。
何年か前にマネキンと男の人の恋?みたいな映画の予告を見た事があって、それを思い出して勝手にアイディアに使わせてもらいました。気に入りました、好きですこの話。可愛いな、可愛いよ。
written by ois







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