食べ終わり、ビールを二人で一瓶空けると、千秋は今度はワインを持ち出して、丸いワイングラスに注いだ。つまみにスティックチーズまで出てきた。

「じゃあ、再生しようか」

楽しい鑑賞会の準備が整い、千尋は映画を見易くする為に部屋の電気を落としてからDVDをプレイヤーに入れて再生した。
何故か千秋は字幕で構わないと言った。千尋は字幕で見る方が好きだったので、それで良かったのだが、千秋は字幕が読めないのに。書くのは絶対追い付かない。

「英語はわりと得意だから、大丈夫だよ」

千尋の戸惑いを察知したのか、千秋は得意気な笑みで楽しそうに言った。
千秋の左手は千尋との間に手のひらを上にして置き、右手でグラスを持った。千尋はその千秋の左手に右手で字を書き、左手でチーズをかじった。

「何の音?」
“ムスメがシツナイプールでおよいでる”

言葉のないシーンで千秋が疑問に思って聞くと、千尋は手のひらに答えを書いた。
映画は死神と女医のラブストーリーで、綺麗な俳優達が演じていた。
千秋は真剣な顔で俳優達の声と千尋の言葉に集中していて、持っているワインを飲む手が止まっていた。
テレビだけが光源の部屋では薄暗く、千秋の輪郭が光って見えた。千秋は千尋が見ているとは気付かずに視線を宙に向け映画を観ていて、千尋はその輪郭を目でなぞった。
出来る事なら千尋は体温が混じる程に近付いて、千秋の肩に頭を預けたかった。でもそんな事は出来ない。
千尋はそんな邪念を払拭する為に、グラスに残っていたワインを飲み干して映画に集中しようと、視線を画面に戻した。
するとちょうど音がない、妖しい雰囲気のシーンが画面に映し出されていた。千尋は一気に緊張し、顔が熱くなった。そして怖れた通り、千秋は沈黙に顔を傾げた。

「今何が起きてる?」

さっきまではすぐに走り書きしたが、千尋は戸惑い、何と書こうかと考えて固まってしまった。

「ちひろ?」

千尋は画面を見て、それから千秋を見た。千秋は少しだけ何も捉えない視線をこちらに向けていた。不安気な顔をしているかと思ったが、千秋は少し笑っていた。

「寝てるのか?」

千秋がそう言って、千尋は安堵に喜んだ。この千秋の勘違いを真実にすれば、映画の濡れ場を説明しなくていい。
千尋は寝たふりをする為、動くのをやめた。千秋の前で寝たふりをするのはとても簡単だった。

「ちひろ」

寝てるのかを確認する為か、最後に一度千秋は小さな声で千尋に呼び掛けた。目が見えないし千尋との付き合いはまだ浅いのに、千秋は千尋の嘘を意図も簡単に信じてしまった。
寝てると確信した千秋は手探りで千尋の手を探した。すぐ隣にあったのでそれはすぐに見付かり、千秋は右手で千尋の指を弄った。
指と指の間に自分の指を入れて撫でたり、ゆっくりなぞった。千尋は信じられないくらい心臓がバクバクいっていて、千秋に聞こえてしまうのではないかと思った。
しかし千秋はそれに気付かず、千尋が寝ているとまだ確信していて、もう一方の左手を今度はゆっくり顔に伸ばした。
千尋は起きたふりをするか迷ったが、映画はまだ濡れ場でしかもどんどん盛り上がっているところだったので、まだ寝ているふりをした。
千秋の手は最初に千尋の顎に当たり、そこから滑らせるように千尋の輪郭をなぞった。顔の形を手で見ているのかもしれない。
手を弄っていた右手も持って来て、両手で千尋の顔を包みこんだ。指が瞼をかすめたので、千尋は起きている事がばれないように目をつむった。

「ちひろ」

千秋はもう一度呼んだが、千尋はなお無視をした。千秋の声は随分近くで聞こえていた。

「好きだよ」

呟くような小さな声だったが、千尋には大声で言われたかのように耳に響いた。心臓が痛くなるほどの歓喜と、泣きたくなるほどの罪悪感が千尋を襲った。千秋がいつどこで指でしか接触のない千尋を好きになったのかわからなかったけど、寝ている千尋に言うくらいだから、きっと嘘ではなかった。
千尋はその告白に、身動きせずに戸惑っていた。もう起きてしまおうか、そして自分も好きだと言い、吐いていた最大の嘘も告白してしまおうかと思った。
千尋が悩んでいると、追い討ちをかけるような事が起きた。千秋の指が口に当たっていると頭で理解した時には、千尋の口は千秋の口が覆っていた。
千尋は千秋の唐突なキスに、遂に泣いた。入り交じった感情はぐちゃぐちゃに混ざり、涙になって溢れてしまった。
その涙で瞼に触れていた千秋の指が最初に濡れ、千秋は千尋の口から離れた。
千尋は目を開けて、上体をしっかり起こして千秋に体の向きを向けた。千秋は困惑した顔をしていて、もう千尋のどこにも触れていなかった。
泣いている千尋に、千秋は大いに困っていた。そしていつものように手のひらを千尋に差し出した。

「起きてたんだね…、こんな風になってしまって本当にごめん…好きだよ。どうして泣いているのか、理由を聞いて構わないかな?」

千尋は再度言われた告白に、ぼたぼたと涙を溢しながら左手で口を覆い、微かに震える右手で千秋の手のひらに指を立てた。

“わたしもすきです”

同じ気持ちだと伝えても、千秋は困惑顔のままだった。まだ続きがあるとわかっていたのだろう。

“でも、わたしはうそをついています”
「…俺の好きとは違うって意味?」
“いいえ”

千秋はその返答にやっと笑顔を見せた。

「ちひろも俺が好きなんだろう?だったらどんな嘘をつかれていても構わないよ」

そんな筈はなかった。千秋は違う自分を見ていると、千尋はわかっていた。
元々嘘をついているわけではなかったけど、ずっと本当の事を言わなかったのは嘘をついているのと変わらなかった。
君代さんが顔が整ってるなんて言うから、きっと幻想めいたしおらしい美女を想像しているかもしれないが、それは間違っている。そもそも整ってなんかいないと千尋は思っていた。
千秋は29だし、もう結婚を視野に入れて恋愛をする時期かもしれない。でも千尋との恋愛でそれはかなわない。

千尋はあるものないもの、千秋と同じ、男だった。

最初から自分を"わたし"で呼んだし、名前も千尋だった為、千秋も女だと、意識しない内に思っていたに違いなかった。
千尋は何人かの女の子に好きだと言われた事があったけど、今まで付き合った事はなかった。何故ならずっと男の人が好きだったのだ。
そんな、人と違う感情を誰にも告白出来ず、好きな人に好きだと言う事も出来た事がなかった。いつも恋をした瞬間にそれは失恋だった。
好きな人に好きだと言われる事は生まれて初めてだった。なのにそれさえもスレ違っている。女という間違ったベールの向こうにいる千尋に、千秋は告白して、キスまでしたのだ。
どんな嘘でも構わないとしても、これは嘘どころか詐欺で、騙して千秋の愛を手に入れたようなものだった。自分は男だと言ってしまえば、千秋は告白しなかっただろう。黙っていた事があまりに大きな罪なんだと千尋は泣き続けた。

「ちひろ…まだ泣いてる?」

千秋はずっと黙っている千尋に手を伸ばして、頬に触れようとした。
そこで千尋は弾けるように立ち上がった。
真実を言う勇気はない。嘘を告白した後の千秋の反応が怖い。でもこれ以上嘘でこの場にいる事も出来なかった。
後ろで名前を呼ぶ千秋をその場に残し、千尋は千秋の家を飛び出して自宅に帰った。
ベッドに倒れ込むと、止まらずに流れ出ていた涙がどんどんマットに吸い込まれて行った。



千尋が千秋の家を飛び出してから、2週間が経った。
その間に何度もアパートの前で千秋を見たが、千尋は他人のふりをした。千秋の前で他人のふりをするのは簡単で、黙っていれば良かった。同じエレベーターに乗らず、千尋は千秋と出くわしてしまった時は階段で家に帰った。
一度だけ、千秋が千尋の家のインターホンを押した事はあったが、千尋は居留守を使って無視をした。千秋にもそれがわかっていたのか、返事をしないインターホン越しの千尋に喋った。

『何を隠していたとしても、俺は気にしないよ。例え人を殺していたとしても…お願いだから出てきてくれないか』

千尋はそれを聞いていたが、出なかった。
千尋の落胆は態度に出ていたらしく、千尋は話していないのに書店の店長や、アルバイトの女の子がどうかしたのかと千尋に尋ねた。千尋は笑顔で首を横に振ったが、勿論店長やアルバイトの子はそれが嘘だと気付いていた。話したがらない千尋を理解して、深く聞いたりはしなかった。
千尋もこのままでいいとは思っていなかった。でもどうすれば良いかわからない。無視し続けるなんて失礼だ。でももしかしたら無視を続ける事で千秋が千尋を忘れてくれるかもしれない。その方がずっといいと思っていたしそれでいいと言い聞かせたが、それはとても悲しかった。
千尋の仕事は新しい本を並べたり、データを整理したり発注をしたりで、事務的な仕事が多かった。その為、ほとんど喋れなくて困った事は無かったがたまに店内に出ると、お客に本の場所を聞かれたりした時はいつも戸惑っていた。
大抵は女の子で、おそらくそのほとんどが、探している本よりも千尋に興味があるらしかった。そういう時、千尋は頭を下げてから急いで違う店員や店長を探しだしてバトンタッチしていた。
でもその日は違った。バトンタッチをするのではなく、バトンタッチされる側だった。何故ならその客の目的は本ではなく、千尋だったのだ。
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written by ois







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