31.

(三井視点)

 部活が終わって、ヘトヘトになりながらチームメイトと適当に飯を食う。そんないつものルーティンをこなして、自分の部屋の鍵を開ける。暗い部屋に戻った瞬間、気が抜けて急に体が重くなったような感覚を覚えた。
 高校にはシャワールームなんかなかったけれど、大学ともなれば体育館にシャワールームが設置されている。汗だくになったあと、それを流してから帰れるのは本当にありがたい。履いていたスニーカーを適当に脱いで、背負っていたリュックを下ろす。手を洗ってうがいをしながら鏡をちらりと見てみたら、髪が伸びてきたことが少しだけ気になった。そろそろ切りにいったほうが良さそうだ。

「寿くん、髪の毛伸ばしてたことあったんだよね?」

 どんな感じだったの? と、ある時名前が唐突に問うてきたので思わず絶句していた。自分が高校時代に荒れていた話は年末に思い切ってカミングアウトしている。髪を伸ばしてたなんて話はしていなかったはずだ、たぶん。いや、してない。言い切れる。

「わかった、宮城だな? それとも徳男か?」
「ううん、彩子ちゃん」
「アイツか……」

 ハァ、と思ったよりも深いため息が出て、無意識に額に手をあてた。名前はマイペースでのんびりしている割りに何気に察しが良かったりするので、そんなオレの様子を見て口をつぐんだ。
 ついこの間のその出来事を思い出してひとりで苦笑いをする。やっぱり早めに髪を切りにいかないと。来ていた服をさっさと脱いで、寝巻きにしているスウェットに着替える。テレビの電源を入れて適当にザッピングしながらちらりと壁の時計に目をやったら、すでに二十三時を回っていた。
 帰ってきたら少しでも勉強をしようと思っていたけれど、思った以上にヘトヘトで座り込んだらもう動けなくなってしまっていた。どうせこんな状態でやっても集中できないだろうし、今日はもういいか。こんな日もある、仕方ないと自分で自分に言い聞かせてみる。
 点けたばかりのテレビを消して立ち上がり、そのまま部屋の電気を消す。ベッドに上がり、適当にタオルケットを掛けて目を閉じる。今日は朝まで目が覚めることなく眠れる気がする。疲れた体が眠気に沈んでいく気配を感じながら、ふと目覚ましのアラームを掛けたかが気になって携帯を手に取った。この調子だとうっかり寝坊しかねないと思ったからだ。ちょうど画面を開いたのと同時ぐらいに、携帯が震える。

『お誕生日おめでとう! 部活で疲れてると思ったから、メールでごめんね』

 そんな文章から始まるメールだった。今日はそんな日だったのか。オレはその先の文章を読むこともせず、その勢いでメールを送ってきたその人物に電話を掛けていた。

「え? どうしたの?」
「どうしたのって、今メールくれたろ」
「寝てるかなって思ったんだけど、でもぴったりにお祝いしたくて」
「さっき帰ってきたとこだった。……つーか、あんがとな」

 電話の向こうで小さく笑うような声が聞こえる。目まぐるしく過ぎていく毎日のせいか、メールが来るまですっかり忘れていた。時計の針が十二時を過ぎている。つまりついさっき、またひとつ歳を取ったのだ。すぐそばにいるのにこうして電話のやり取りをしているのが少々もどかしいが、まあ今日の所は仕方ない。

「あのね、明日……じゃなくてもう今日だけど、寿くんのお誕生日お祝いさせてほしいの」

 ってメールにも打ったんだけど、と名前は続ける。あのメールにはそんな事が書かれていたのか。最後まで読まずにそのまま電話をかけてしまっていた。

「マジか、すげーうれしい」
「一年に一度だし、その……寿くんの誕生日、付き合って初めてでしょ?」

 じんわりと耳の辺りが熱くなった。口の端がゆるゆると緩んで、誰かに見られているわけでもないのについぎゅっと口元に力を入れてしまう。正直言ってその気持ちだけで充分に思えるぐらいだ。つーかなんなんだ、毎度毎度いちいちこんなにデレデレして。今の自分が知り合いには絶対に見せられないような緩みきった顔をしているであろうことは容易に想像できた。

「なので、部活終わったら私の部屋に来てね。ごはん用意するから食べてきちゃだめだよ!」
「おう了解。あんがとな、すげー楽しみにしてる」
「あ、それとね」

 改めてお誕生日おめでとう。私ね、寿くんと出会えて本当によかった。
 その言葉が耳元で優しく響く。普段はちょっとしたことですぐ真っ赤になっている彼女がそんな言葉をさらりと言ってのけるものだから、思わずオレは自分の口元を腕で塞いでいた。してやられた気分だ。負けたような、悔しいようななんとも言えない気持ちにである。今だけはほんの少し、面と向かっていなくてよかったと思う。

「あー言えてよかった! せっかく電話できたし直接言ったほうがいいもんね」

 明日は面と向かって言うからね! じゃあおやすみ、と通話が切れる。
 ベッドに入ったら速攻で寝落ちると思っていたのに、遠足前の小学生みたいにすっかり覚醒してしまった。そんな自分に呆れながら、相変わらず口角が無意識に上がってしまうことはもう仕方がないのと諦めるしかなさそうだ。


***


(三井視点)

 部活が終わり、急いでシャワーを浴びて服に着替える。適当に拭った髪をドライヤーで乾かしながら、クリスマスの時に髪を濡らしたまま向かったら「ちゃんと頭は乾かさないとダメでしょ!」と怒られたことを思い出した。

「なーにニヤニヤしてんスか」

 そう言いながら近寄ってきた宮城に「うっせえほっとけ」と吐き捨てるように返事をする。

「まあまあ、三井さん今日誕生日っしょ? とりあえずオメデトーってことで」

 これオレとアヤちゃんから、と手渡された包み。手のひらに乗せられたその包みを目を細めて訝しげに眺めていると「ヘンなもんじゃねーよ、失礼だな」という声が返ってくる。

「オレぁ別になんも言ってねーだろ」
「めっちゃ顔に出てますよ」
「……ん、まあなんだ、あんがとな」

 早く開けてみてよ、と宮城に急かされたので、その包みを開けてみる。中に入っていたのはペンケースだった。あまり大きくはない、光沢のない渋めのレザーで作られたもので、悔しいがセンスを感じる。

「最近勉強頑張ってるみたいだし、これなら使えるでしょ」

 それじゃあ名前さん待ってるだろうし、と背中を押されて「おう」と小さく返事をする。開けたプレゼントを適当に包みなおし、リュックに詰め込んだ。
 周りにお疲れ、と声を掛けながら部室を後にする。普段履いているスニーカーの紐を結びなおすのさえ面倒くさく感じるほど、気持ちが急いて仕方がない。早歩きだったのが、いつの間にか駆け足に変わってしまっていた。
 誕生日っていうのはいくつになっても何だかんだでソワソワしたりワクワクしてしまうものだが、今日は今までにないぐらいそれを強く感じていた。オレのために、名前が待ってくれている。チャリに跨ってペダルを踏みながら、ついついニヤけそうになる口元に力を入れた。
 アパートについて携帯を見ると『玄関空いてるから普通に入ってきてね!』と名前からのメールが来ていた。今から行く、と返信しようとしたけれど、もう目と鼻の先だしいいか、と携帯を閉じてポケットに入れる。
 部屋の前に到着したのでインターホンを押してみたが返事がない。ドアノブに手を伸ばしてみたら、メールの通り鍵が開いていたのでそのままドアを開ける。

「……? いねーのか?」

 部屋に彼女の姿は見当たらず、いる気配も感じない。何か忘れ物でも思い出して外に出ているのだろうか。なるほど、そのためのあのメールだったのだなという勝手に自己解釈をする。それにしても、外で待たせるのが申し訳ないという気持ちであったにせよ、鍵を開けっぱなしなのは不用心すぎる。あとでひとこと言ってやらないと。
 そんなことを考えながら靴を脱ごうとかがんでみると、目の前の床に小さな包みが置かれていることに気が付いた。そして、その上には小さなカードが乗せられている。
 これは一体何だろう。しっかりラッピングされた包み。これはもしかして、プレゼントだろうか? 名前がめちゃくちゃ迂闊で抜けているにしても、いや実際そうなのだが、こんなところにこんなものを置きっぱなしにするだろうか? まあいいや、と乗せられていた小さなカードに目をやると、そこには「冷蔵庫!」と彼女の字で書かれていた。
 オレは顎に手をあてて眉根を寄せる。これってもしかして。思いついて、そのカードを手に持ち、包みを抱えたままさっさと靴を脱ぎ部屋に上がる。
 カードに書いてあるとおりに冷蔵庫を開けると、これまた同じカードの乗った箱が目に入った。取り出してみると、少し前に「あそこのケーキ屋さん、美味しいらしいよ」と彼女が言っていた店のものであることがわかる。開けたらちょうどオレがクリスマスに買ってきたぐらいの大きさのホールケーキが入っていた。
 箱の上に添えられていたカードには「五月はメロンのケーキがおすすめなんだって! じゃあ次は洗面所!」と書かれている。それからも、カードの指示通りに玄関先とキッチン前、リビングを行き来しながら包みを探し出していく。
 最初の包みの中身はスポーツタオルだった。それからケーキ、靴下、参考書にTシャツ、面白そうだとオレが話していた漫画の単行本、今週分の週バス。そんなものがいたる所に隠されていた。
 手一杯になると包みをテーブルの上に下ろす。山になったラッピングの山を眺めながら、随分手の込んだこと考えたなと苦笑してしまった。それでも、彼女が一生懸命仕込んだのであろうこの状況を楽しんでいる自分がいる。あと何枚あるのだろう、と集めたカードをテーブルの上に並べながら、今手にした「押し入れ」と書かれた紙の言う通り、押し入れを開けてみる。

「……おい、マジかよ」

 そこには少し大きめの包みを抱えた名前がすっぽりと収まっていた。そして、目を閉じてすぅすぅと穏やかな寝息を立てている。きっと待ちながら寝入ってしまったのだろう。オレは思わず小さく噴き出していた。せっかく用意したくせに、最後に寝ちまってるなんて詰めの甘いところがこいつらしいというかなんというか。
 小さな空間の中でめちゃくちゃ手の込んだサプライズ。包みの数は全部で二十二個、つまりオレの年齢と同じだった。本人も就活やら卒論やらで忙しいであろう中で計画して、一生懸命考えて準備をしてくれていた姿を思い浮かべたら湧き出る愛おしさが止まらなくなっていた。静かに上下する肩にそっと触れ、小さな声で「ありがとな」とひとこと。それからその額に小さくキスをする。
 彼女が「ああああ、うそでしょ……!?」と絶叫しながら目を覚まし、頭を抱えて青ざめるのはもう少しあとのことである。


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