28.

「あなたの長所はどこですか? あなたが大学生活で学んだことはなんですか?」

 そう問われ、用意してきた答えを声に出す。考えて考えてたどり着いて、自信をもって言葉にした答えのはずなのに、不安になるのはどうしてだろう。自分自身を見つめなおすことがこんなにも大変だなんて、と私は頭を抱えていた。
 年が明けて、実家でゆっくりしていたらお正月なんて瞬く間に過ぎていってしまって、自分のアパートに戻ってきたと思ったら就活の再開、そして講義の開始。来週にはもう試験だって始まってしまう。どれから手を付けようか、とてんやわんやしていたら、もう頭の中まで散らかり放題の部屋みたいにごちゃごちゃだ。
 ゼミに顔を出してみたら教授から「卒論のテーマ、もう決まった?」と追い打ちをかけられる始末。私ってこんなに脳みその容量少なかったんだ、と自覚してしたら泣きそうになるところまで来てしまった。だめだめ、うしろとか下なんて向いてる暇ないし、と無理やりに自分で自分を励ます。ぐっと両手の拳を握り、小さく頷いてみる。
 久しぶりに訪れた大学の図書館は相も変わらず混みもせず、閑散としているわけでもない。強制的に静かにさせられるようなこの雰囲気は、集中するにはもってこいだ。
 エントリーシートと試験がある講義のテキストを机の上に並べてみたら、思わず深いため息が出そうになった。はっとして寸でのところでそれを止める。たったいま気合いを入れたばっかりなのに。とりあえずは手っ取り早く解決しそうな試験勉強の方に手を付けることにする。アルバイトを年末で一旦辞めたので、時間は今までよりも充分にある。いまテスト勉強を片付けてしまえば春からは受ける講義もほぼないし、就活と卒論に集中できるはずだ。

「百面相、おもしろすぎんね」

 今の声ってもしかして私に掛けられたのだろうか、いう思考にたどり着くまで時間がかかってしまい、一瞬スルーしそうになった。背後に感じる人の気配に、開きかけたテキストはそのままにして振り向いてみる。落ち着いたトーンのその声の人物を私はよく知っていた。
 予想通り、そこに立っていたのは宮城くんだった。どーも、と言いながら少し笑いをこらえるような表情でぴょこっと右手を挙げている。その含み笑いの意味を理解して、恥ずかしいのと少しだけ驚かされたことにムッとしながら小さく頭を下げてみる。

「名前さん、あけましておめでとう」
「あ、年明けて初めてだっけ? おめでとう」

 三井さんだけじゃなくてオレともよろしくね、と笑う宮城くんに「なにそれ」と言い返してから、そういえばこのひとつ年下の男の子には大層お世話になっているのだということを思い出して「こちらこそなにとぞ……」と返事をする。

「かしこまっちゃってどしたんスか」
「いや、あのほら、宮城くんには私、すごくお世話になってるでしょ? その……迷惑もたくさんかけちゃってますし」

 あー、あのこと? と斜め上を見ながら顎に手を添えている宮城くん。寿くんとお付き合いを始めてからすぐ、私の勘違いでちょっとドタバタしたことがあった。今思えばちょっと恥ずかしくて、ほんとはあんまり思い出したくない。まだつい一か月と少し前の話なんだけど。

「別に、っていうかオレ言ったじゃん。三井さんと名前さんが一緒に居んの、いい感じだと思ってんだって」

 よく意味がわからず、きょとんとしてしまっている私に向かって「だからさ」と言いながら宮城くんは隣の席に座った。

「上手く言えないんだけどめちゃくちゃ自然っつーか、あーこういうのが上手く嵌ったってやつなんだなって思ったわけ。スゲーしっくりきてるよ、何か少し悔しいけど」

 あの粗暴でガサツで短気で先輩ヅラするクセに大人気ない三井さんがオレに対してちょっとだけ頭上がんなくなってんのも面白いし、と宮城くんは続けた。羅列されたその言葉に思わず笑ってしまう。もし寿くんが聞いていたら、きっとすごい剣幕で怒りだすに違いない。
 寿くんは人の中心にいるような人物だと思う。口はちょっと悪いけど、人見知りをしなくて取り繕わないストレートな性格は誰にでも好かれるだろうし、まじまじと顔を眺めていると思うけれど、見てくれだってかなりいい。それに、彼には生まれ持った人を惹きつける魅力みたいなものがあるような気がするのだ。
 と、こういう事を考え始めてしまうとついつい「なんであの人は私のことを好きになってくれたのかな」とか「隣に並んでいて違和感ないかな」とかマイナスなことを考えてしまう。それでも、ポジティブに考えようとか、自信を持とうと意識し始めてから少しはマシになったと思うのだけど。だから宮城くんのその言葉がとてもうれしかった。

「宮城くん、ほんとにいい子だね」
「でしょ? でも惚れちゃダメだぜ」

 宮城くんは冗談めかしてそんな軽口をたたいている。私たちは周りに配慮しつつ、小声で笑い合った。改めて自分がいかに周りに恵まれているのかということをひしひしと感じる。

「私、あんまり自分に自信なくてね」
「うん、知ってる」
「だからそういう風に言ってもらえるとうれしくて、ちょっとこう、じわっと……」
「あーダメダメ我慢して! オレが泣かしたと思われちゃうっしょ!」

 三井さんに目撃されたらそれこそマジで事だから、と宮城くんは少しだけ焦った様子で言う。うん、と頷いて宮城くんに視線を向けてから「あっ」と思わず声を上げてしまった。
 いつの間に現れたのか、宮城くんの後ろに寿くんが立っていたからだ。彼はニヤッと企むような笑みを口の端に浮かべて、目を細めながら人差し指を自分の口元にあてている。おそらく「黙ってろ」という意味だろう。わかりましたの意を込めてうっかり頷きそうになってしまった。あぶないあぶない、しーってされてるのに。
 たしかこんなようなこと、ちょっと前にもあった気がする。そうだ、友達と食堂で寿くんの話をしていた時だ。噂をすればなんとやら、二度あることは三度あるっていうから、きっとこういうこと、もう一回ぐらいあるかも。そんなことを考えていたら「どうしたの?」と宮城くんが不思議そうに声をかけてくる。すると、彼の背後に立っている寿くんが「オイ宮城」とついに声を発した。

「テメー、どういう了見で人の彼女泣かしてやがんだ」
「ウワッ、出た!」

 人のことを妖怪みたいに言うんじゃねえ! と言った寿くんと、驚いた宮城くんの少し大きいボリュームの声は静かな図書館に多少なりとも響いてしまい、私が周りに「ごめんなさい」と小声で言いながら頭を下げる。
 ていうか、なんで私が謝ってるんだろう。腑に落ちなかったので、いつものノリでキャンキャンし始めたふたりに対して「ここ図書館なんだけど」と私にできる精いっぱいの低い声で言ってみたら彼らはやっとそのことを思い出したらしい。小さな声で「スミマセン」と言いながらぺこりと頭を下げる二人の様子眺めていたら、勉強する気なんかもうすっかい私の中からなくなってしまっていた。もういいか、結局こうして集まっちゃったわけだし。
 広げたテキストと筆記用具に手を全くつけないままカバンの中に戻して、誰が言うわけでもなくカフェスペースに移動することになった。図書館を出てからもあーだこーだと小さな言い合いを続けるふたりを眺めていると、いっぱいいっぱいになって窒息しそうだった気持ちが少し和らいだような気がした。

「なに笑ってんだよ」

 寿くんにそう言われて、自分がにこにこしてしまっていたことに気付いた。

「二人がそうやってじゃれてるの見てるの、好きだなあって」
「じゃれてねーし! 大変なんスよ、大人気ない年上の相手すんのって」
「そりゃこっちのセリフだ! オレがオメーの相手してやってんの!」

 はいはいでも場所はちゃんとわきまえてね、と付け足したら二人は目を見合わせてから再び仲良く「スミマセン」と同じ調子でこちらに頭を下げてきた。私はうんうんと頷いて「わかればよろしい」と一言。仲がいいんだかわるいんだか、やっぱり兄弟みたいだ。

「つーかさ、オレ邪魔しちゃったよね? ごめんね」

 そう言ったのは宮城くんだった。一瞬きょとんとしてしまったが、私はあわてて顔の前で手を横に振りながら「全然、煮詰まってただけだから」と返事をする。でも勉強しようとしてたっしょ、と申し訳なさそうに言う彼の横で寿くんが「そうだそうだ、空気読めっつーんだよ」といらないちゃちゃを入れてくる。ちょっと黙っててね、と嗜めるつもりでバシッとおしりを叩いたら「いてえ!」と彼は声を上げた。ムッとした表情で何か言いたげに視線を投げてきたけれど、気づいていないふりをすることにした。

「頭パンク寸前だったし、今日はもう投げることにする!」

 吹っ切れてグッとこぶしを握った私に「んならよかった」と宮城くんがほっとした表情を見せる。ムスッとしたまま口を尖らせている寿くんにちらりと視線を向けたら、それに気づいた彼もこちらに視線を向けてくる。

「ところで二人でなに話してたんだよ」
「えー? んーとね、ひみつ!」

 宮城くんが私たちのこといいかんじだって言ってくれたよ、なんてことを言葉にするのは恥ずかしかったのでそう濁してみる。案の定、寿くんは目を細めて「オレだけ除け者かよ」と小っちゃい子みたいにごちていたけれど、私の中ではごめんねという気持ちよりも、その拗ねた表情がかわいいと思ってしまう気持ちのほうが大きかったりするのだ。

「……まあいいや、奢ってやっからなんか飲みたいモン言え」
「え、いいの!?」
「おうよ」

 どうやら彼なりに騒いでしまったことを反省しているらしい。私も集中できているわけじゃなかったし別にいいのに、と思ったけれど、せっかくだしお言葉に甘えることにしよう。

「あ、じゃあオレはコーラで」
「なに言ってんだ、オメーにゃ奢らねえぞ」
「うっわケチ! カワイイ後輩にそりゃないよ」
「しらねーな、そんなんどこにいんだ?」

 わざとらしく周りをきょろきょろと見渡して宮城くんを煽る寿くん。そんな二人のやり取りを見ながら手を上に上げて伸びをして、ぐっと背筋を伸ばしてみる。縮こまって固まっていた筋肉のせいか、少しだけ背中がきしむような感覚。吸い込んだ一月の空気はまだ冷たくて冷んやりとするけれど、新鮮な空気をとり入れた体の中はすこしだけすっきりしたような気がする。
 飽きもせずじゃれ合う二人を眺めながら「今はちょっとだけ休憩」と、焦っている自分に言い聞かせるように心の中でそっと呟いてみた。


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