18.

「ご迷惑をおかけしました!」

 前屈するぐらい深く深く頭を下げたら「うむ、元気になったならよし!」と店長は朗らかな笑顔で迎えてくれた。理由が理由だったので恥ずかしすぎて結局打ち明けることができなかったのが申し訳ない気持ちだったけれど、あえて聞かないでいてくれる優しさに救われる。
 いつか笑い話にできるときが来たらちゃんとお話させてください、ごめんなさい。そう心の中で謝りながら、もう一度頭を下げる。それにしても、思い返せば本当に自分が情けなさすぎた。もっと心を強く持たなきゃ、と気を引き締めるためにぎゅっと拳を握って気合を入れる。
 何事もなく時間は過ぎて、十九時を回ったあたりで閉店準備に取り掛かる。レジの締め処理をしていると急にエプロンをぐい、と引っ張られた。私が「ん?」と振り向くと、そこには店長の娘さんである彼女が立っている。

「名前ちゃん、あの男のひとしってる?」

 男の人とは一体誰の事だろう。バイト先を訪れるような男性の知り合いが即座に思い浮かばなくて、私は少しだけ体をこわばらせる。いったんレジに鍵をかけて、彼女に手を引かれながらおずおずと身構えつつ店の外に出る。もし変な人だったらどう戦うかとか、掴まれたときにどう回避すればいいんだっけとか、そんなことが頭の中をぐるぐると巡っている。

「……あれ? 三井くん?」

 予想していた不吉なことはすっぽり頭から抜けていく。彼は店の前のガードレールにもたれ、携帯の画面を眺めながら立っていた。顔を上げて私に気づくと「おう、お疲れ」と言いながらぴょこんと右手を上げている。驚きすぎた私は無意識にきょろきょろと辺りを見回しながら彼に近づいた。

「どうしたの? っていうかなんでここにいるの?」
「部活終わったからなんとなく。もうすぐ上がりか?」
「うん、あと十分ぐらい」
「じゃあ待ってる、一緒に帰ろうぜ」

 そう言ってニッと笑う三井くん。私はぱちぱちと瞬きを繰り返しつつこくんと頷く。まさかバイト先まで迎えに来てくれるなんて思わなかった。私ってもしかして、勘違いでなければ、すごく、いやかなり大事にされているのかもしれない。うぬぼれてしまいそうになって、だめだめ、と首を振る。

「ねえねえこのおにいちゃん、名前ちゃんのだいじなひとなの?」

 だいじなひと。
 その言葉に顔がボン! と爆発しそうなぐらい急激に熱くなるのを感じた。真冬なのにぱたぱたと手で顔をあおぎながら「あ、え、ええと」とついつい口ごもってしまう。こちらを見上げてくる彼女の瞳は興味津々といった感じにキラキラと輝いている。小学二年生の女の子ってこんなにませてるんだ。こういう時、なんて返したらいいんだろう。もちろん大事な人なんだけど。すると、三井くんはその場でしゃがみこみ、小さな彼女に視線の高さを合わせるとその頭に大きな手をぽんと乗せた。

「よくわかったな、この姉ちゃんはオレの大事な人だ」

 これからもこいつと仲良くしてやってくれよ、と言いながらニッと笑う三井くんの姿に心臓がぎゅーっとなった。たぶんおそらく、これがときめくってやつだろうと思う。

「うん、名前ちゃんだいすきだもん!」
「ハハハ、まあオレの方が大好きだけどな!」

 盛大に笑いながらそんなこと言う三井くん。なんでちいさい子に張り合ってるの、と思ったけれど、照れくさくてむずがゆくて、そしてあたたかい気持ちになった。思ったより子どもの扱いに慣れている三井くんの姿を見ながら、こんな一面もあったのかと驚く。

「こーら二人ともなにしてんの! ……ってどちら様?」
「おかあさん! このお兄ちゃん名前ちゃんのだいじな人だって! それでお兄ちゃんは名前ちゃんのことだいすきなんだって!」

 勘弁してください! と慌てだす私の横で、三井くんは立ち上がり、礼儀正しくぺこりと頭を下げている。あらま、と口に手を当てながらにやりと笑った店長にすべてを察されたことに気が付いて私は思わずギュッとエプロンの裾を握りしめた。これぞまさに顔から火が出るという例えがガッチリ当てはまる。例えじゃなく本気で火が出そうだった。いや、もう噴き出てるかもしれない。
 ふむふむ、と言いながら三井くんを上から下まで眺めた店長は「いい男じゃない、合格!」となぜか親指をグッと立てている。それに対して、三井くんもキリっとした顔をして「あざっす」と親指を立てている始末。なんなんだこの状況。

「せっかくいい男が迎えに来てくれてるんだから、さっさとレジ締めしちゃいなさい!」
「あ、ごめんなさい! 途中だった」

 もう少しだけ待ってて、と三井くんに目配せをしたら、明らかに機嫌がよくなっている様子の彼は得意げに腕を組んで「おう、いい男のオレがここで待っててやるよ」と鼻息荒めに言った。なに言ってんの、と笑いながらツッコミを入れつつ、私は店内に戻った。


***


「名前のバイト先、なんかいいな。あったけーかんじでよ」

 時間ありゃオレもバイトさせてもらえねえかって頼むんだけどな、と呟く三井くん。

「……三井くんがお花屋さん」
「なんだよ」
「お花すぐ枯らしそうだし、お水ドバドバあげすぎて根っこ腐らせそう」
「そんなんやってみねーとわかんねーだろ!」

 お花屋さんではたらく三井くん。それをすこし想像してみたら、正直言ってびっくりするぐらいミスマッチで逆におもしろかった。でも見てくれが抜群にいいからお客さんたちからの人気が出そうだ。

「今はどっかでガッツリバイトする時間ってのはねえもんな……」
「スポーツ推薦で大学に入った人はたいへんだ」
「んー、それもあるけど。まあいろいろあんだよ」

 そう意味ありげに話した三井くんは「長期休みで地元に帰った時によ、頼まれて小学校でミニバスのコーチのバイトしたりしてんだぜ」と続けた。なるほど、そこでようやく合点が行った。どうりでこどもの扱いに慣れているわけだ。勝手な印象だったけど、私の中で三井くんと小さい子というのがずっと結びつけられないでいたのだ。
 教えたシュートやらテクニックやらを子どもたちができるようになった時のうれしさとか、逆に人に教えるということの難しさについて話をしている三井くんは生き生きとしていて楽しそうだ。その気持ちが私にまで伝染してきて、ついにこにこしてしまう。

「なんだよニヤニヤして」
「ううん、三井くんはほんとにバスケが好きなんだなあって」
「なんやかんやいってずっと傍にあったもんだしな、まあいろいろあんだよ」
「それ二回目」

 バスケからは離れらんねえな、と言いながらぐっと伸びをした三井くんが、私の方をちらりと見てから不意に手を握ってくる。ちょっぴりびっくりして彼の顔を見たら「別にいいだろ、さみいんだから」と鼻の頭を赤くしながら言っている。

「……しあわせだなあ」

 思わずそんな言葉が口からぽろっと零れる。外は寒くて、外気にさらされた頬や鼻はすごく冷たいけれど、三井くんとつないでいる手と私の心の中だけはぽかぽかとあたたかい。こうしてしあわせを感じられるなら、寒いのもいいなあと思う。

「名前が思ってるより、オレがしあわせだって思ってる方がデカいからな」
「そうやってすぐ張り合う、こればっかりは私の勝ちです」

 今日は何鍋にしようかなあ、とひとり言のように呟きながら、納得いかない様子で隣を歩く大好きな彼の手に指を絡ませつなぎ直す。ちょっとびっくりした様子の三井くんに、ふふんと笑みを向けてみる。
 三井くんがバスケから離れられないなって思うのと同じで、私なんてもうとっくにこの人から離れられなくなってしまっているのだ。


***


 そういやさ、と三井くんが言う。二人ですっかりシメの中華麺まで食べ終えた鍋を洗いながら、私は「なに?」と返事を返す。

「週末のインカレ、観に来るか?」
「いんかれ?」
「大学版のインターハイみたいなやつ」
「え……? 私、観にいっていいの……?」

 眉間に皺を寄せながら「いいに決まってんだろが」と言った三井くんはお皿を拭いていた布巾をぽい、とそこらへんに置いて私の頭をぐしゃぐしゃにする。洗い物をしていたために手がびしょびしょでガードできない私は「ちょっと!」と不満の声を上げてみたが、彼はムッとした表情のまま両手で私の頬を挟む。

「うちの初戦日曜だけど予定は?」
「ないです」
「じゃあ観に来い、絶対だぞ」

 おまえのこと高校ン時の奴らとかに紹介してえから、とちょっとだけモゴモゴしながら言う三井くん。紹介とは、誰かに誰かを会わせること。この場合は、三井くんが私のことを湘北高校時代の知り合いに会わせたいということ、だと思う。 

「……しょ、紹介!?」
「うわ、反応おっせ」

 私の両頬を挟んだまま、三井くんは噴き出すように軽く笑った。

「なんていうかその、緊張しますな」
「おーおー、存分に緊張したまえよ」

 ようやく私を解放してくれた三井くんは、残っていたお皿を手早く拭いてそれをさっさと棚にしまうと「そんな構えないでいーっつの」と私の頭を二度ほど軽くぽんぽんと撫でた。
 手を拭いて、ぼさぼさにされてしまった髪を整えながら、私はちょっとだけ自分の心が変わってきている事に気づく。自分に対する自信のなさから不安で不安で仕方なかった気持ちはまだあれど、それでもそれが少しだけ薄れてきている気がする。
 おまえはオレが好きになったヤツなんだぞ、と言ってくれた彼の言葉が、ずっと私の中でじんわりと優しく響いている。自信家の彼には到底及ばなくても、彼が好きになってくれた私を私も少しずつ好きになっていけたらいいと、そう思った。
 

[*前] | [次#]

- ナノ -