9・5.
( 三井視点 )

 試合終了のホイッスルが鳴り、オレはアリーナの天井を見上げて深く息を吐いた。
 この音が耳に届くその瞬間、疲労感に付随してくる感情はいつもふたつにひとつ。達成感、もしくは言いようのない脱力感。そのどちらである。
 そして今、自分の体を巡る疲労感と一緒にある感情は達成感である。電子得点板に目をやらずともわかる、勝ったのだ。
 自分のコンディションがいいと感じる瞬間は、朝起きた時でもウォーミングアップの時でもなく、その日の試合で最初のシュートを放つ瞬間だ。集中力や体の軽さ、そんなのが抜群にいい日がたまにあって、ありがたいことに今日はそんな日だった。
 試合が開始してすぐ、相手の速攻に得点を許してしまったが、パスを受けてボールを放った時に感じた。今日はいける、めちゃくちゃにキてる。
 時間が経過するごとに、息は上がり汗が止まらなくなっていく。ゼェゼェという呼吸も次第に荒くなる。だが足が止まることはない。
 むしろ、止まるなんて選択肢はもはや自分の中にはなく、ただ前へ前へと体が動く。目は常にボールを、そしてコートに立つ味方や相手の動きを追う。

「あちゃー、めちゃくちゃ目立ってんじゃん」

 相手チームのタイムアウトで水分補給をしている時に、宮城がそんな独り言を言った。なんのことだろうと思ったが、この時はさして気にしなかった。
 そんなことをふと思い出したのは、試合が終了し、整列して挨拶をした後に何気なく観客席を見上げた時だった。
 とても見覚えのある、というか個人的にはあまり良く思っていない旗を振っている集団。オレに向かってぶんぶんと手と旗を振る暑苦しい奴らはいつもの如く目立っているが、そっちではない。
 魚住と仙道が観客席に座っていた。そうか、そういえば今日の相手はあいつらの後輩のいるチームだったからだろう。そんな結論を自分の中で出しながら、魚住の隣に座る人物を視界に捕らえた瞬間、思わず「なんでいんだよ」と信じられない気持ちを声に出してしまっていた。
 ここにいる筈のない彼女、 苗字名前がそこにいた。
 あろうことか、彼女は両手で口を抑えながら泣いていた。この位置からでもわかる、明らかに目が赤い。ぎょっとした。
何があったのか、どうして泣いているのか、そもそもなんでこんなところにいるのか。頭にカッと血がのぼるのは一瞬だった。

「おい三井! どこ行くんだ!」
「すんません漏れそうなんで!」

 別に何も漏れそうになどなっていない。ただの咄嗟の言い訳だ。
 声を掛けてきた先輩に返事をしながら、背後を振り返ることもせず駆け出していた。試合が終わったばかりで引かない汗も、疲労でふらつく体も、重たい足も全く気にならない。無我夢中になって観客席に続く階段を駆け上がる。

「魚住ィ! 仙道ォ!」

 観客席にたどり着き、その勢いのままに奴らと彼女の座る席に向かって降りて行くと、タオルを握りしめて目を真っ赤にした彼女がその目を丸くして立ち上がった。
 ギョッとした様子の魚住と、それとは正反対に「あーあ」小さく漏らしてからこちらに向かって軽く会釈してくる仙道。背後からは「三っちゃん!」と聞き慣れた野太い声がオレを呼んでいたが、そんなものに構っている暇も余裕も今のオレには全く無い。

「三井くん……?」

 驚きと焦りの混じったような、見たことのない彼女の表情。気がついたら、オレはその腕を引っ掴んで歩きだしていた。

「え、あの」

 彼女の動揺するような声が耳に届いていたが、頭の中はとっくに冷静ではなくなっているし、まるでぐつぐつと沸騰しているようだった。
 魚住と仙道に何かされたのか、どうしてここにいるのか、なぜ試合を観に来ているのか。聞きたいことは山ほどある。なんだこれ。どうしてこんなにイライラしているんだ。
 この感情が何なのかを既に自覚をしていても、自分の子どもっぽさと向こう見ずな行動に無性にイライラした。すぐムキになってしまうところも、カッとなると視野が狭まるところも、高校時代よりは幾分マシになったと思っていたのに。大して成長してねえな、と自分で自分を嘲笑する。
 彼女の存在に気づいたのが試合が終わった後でよかった。もし試合中に気づいていたらなんて、そんなことは考えたくない。コンディションが良かったことだけが今となっては救いだ。
 掴んだ手首から伝わるひんやりとした彼女の肌が、オレの手のひらの熱と合わさっている。手を引かれながら、ぱたぱたと鳴る彼女の足音が急かすようにオレの背中について来ていた。


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