7.

 試合の集客と言うのは、どの競技のプロスポーツにおいても運営を支える重要なものである。
 プロバスケットボールリーグに触れるようになってよくわかった。大前提として観客が多ければ多いほど試合は盛り上がるし、応援によって選手のテンションやモチベーションだって上がる。何よりも、試合に観客が入ることで運営会社が潤ってチームが存続していく。固定のファンを増やすということはとにかく大事なのだ。
 今話題の人気イケメン選手に質問、と銘打たれた企画書をぺらりと捲って眺めながら、私は盛大にため息をついた。いいんだ、だって今日は相田くんはいなくて、社用の車の中でひとりだし。億劫な気持ちで取材のカンペを眺めながら、でもこれも仕事なのだからと無理矢理に自分を奮わせる。
 あからさまに女性ファンに媚びたその企画。私がこれから選手に向けようとしている質問はほぼ100%バスケットボールやリーグ戦には関係ないものばかりである。
 もうすでに二チーム分の取材を終えたけれど、乗り気な選手もいれば明らかに面倒そうに質問に答える選手もいた。後者に「わかりますよ、そんな顔もしたくなるよね」と心の中で全力で同意しながら、私が考えたわけではない用意された質問をただひたすら己の口から吐き出す。ボイスレコーダーを携えながら、彼らの様子なんかをメモに取る。
 あーあ、あと何チーム分これをやらなきゃいけないんだっけ。こういう企画だからって女の私に回されるの、正直めちゃくちゃ嫌な気分だ。
 加えて、今日は今まで以上に億劫だ。そろそろ練習、終わる時間かな。左手に嵌めた腕時計に目をやって、もう一度小さく息を吐いてから車を出る。
 私が週バス編集部に配属されてから、最初に訪れたこの体育館にはもう何度も足を運んでいる。練習を見るのも、挨拶をするのも、試合を観るのも、どれもこのチームが最初だった。そう、仙道さんの所属しているチームだ。
 風邪をひいてダウンしてしまったあの日から一週間と少し。なんだかあれ以来、仙道さんと顔を合わせるたびに少しだけ緊張してしまう自分がいる。風邪が伝染ったりやしないかとヒヤヒヤしていたけれど、どうやら彼にその兆候はないらしく安心した。
 抱えられて、小っちゃい子みたいに寝かしつけられて、眠っている間に熱冷ましのシートをおでこに貼られて。あの時はただただ申し訳ない気持ちでいっぱいだったけれど、全快してあの出来事を改めて脳内で咀嚼してみたら、もうどうしようもない程に恥ずかしかった。
 だから、余計に今日のこの仕事が憂鬱で億劫だったのだ。本当なら、練習から取材として入ってしまっていてもよかったのに、それをしなかった自分は記者として失格だなと思う。用を足すわけでもなく訪れた女子トイレの鏡に向かうと、情けない顔をした自分と目が合った。
 かっこよくて穏やかで、人当たりがよくて優しくて、スポーツマンで背が高くて、おまけに見てくれも抜群で。そんな人に弱っている時に甲斐甲斐しく看病なんてされたら、誰だってときめかない筈がない、たぶん。うん、きっと、いや絶対私だけじゃない。みんなそうに決まってる。
 仙道さんと面と向かって会うの、ちょっとだけ気まずいな。胸につかえているこのモヤモヤは、いったいどうやったら無くなってくれるのだろう。


***


 自分で言うのもなんだけど、オレはあんまりテキパキと動くことが好きではない。物事は自分のペースでゆっくり進めたいと思うし、もっというならやる気が出た時に動けばそれでいいじゃん、と思っている。
 だから、ボーッと魚を釣ってる時間が好きだ。何も考えずに空を見上げながら、あの雲はクジラみたいな形だなあと思ったり、腹が減ったら腕時計を眺めて何を食べようか考えたり。ただただ揺れる水面を眺めて潮風を浴びるだけ。釣れたら嬉しいし楽しいけど、釣れなくてもそれはそれで別にいい。
 そんな感じなので、正直言ってかれこれ十年以上バスケを続けている自分に驚いていたりする。努力と根性の領域、結果と勝ち負けが全て。それでも小学生の頃にミニバスを初めて、中学高校大学と続けて、わざわざ自分の意思で海外までシゴかれにいって、こうしてプロにまでなってしまったのは間違いなくバスケが好きだからだ。
 面倒ごとが嫌いで、できたらややこしいことは避けて生きていけたらなあと日々思っている自分の中で、現在進行形で渦巻いている感情は紛うことのない「面倒ごと」のはずだった。
 困った。非常に困った。こんな感情を覚えたのは果たしていつぶりだろう。相手はひとつ年上のお姉さんで、高校時代の後輩の職場の先輩で、バスケ雑誌の編集者で。何か特別な出来事があったわけじゃないのに、いつの間にか気になるようになって、見かけるたびに目で追うようになって、声を掛けるようになっていた。
 認めるしかない。なんというかまあ、久々に感じているというわけだ。人を好きになるという感覚を。

「じゃあまず……えーと、好きな女性のタイプを教えてください」

 目の前の机の上にはボイスレコーダーが置かれている。その机を隔てた対面に座っているのが名前さん。
 オレの隣に座る流川はバスケをする事以外には無関心なので、インタビューとなると大体いつもスイッチが切れた状態になる。今まさに、現在進行形で始まったばかりの取材も例外ではない。そんなヤツの様子を眺めながら、困ったように苦笑している名前さんも、どうやらこの取材に乗り気ではなさそうな雰囲気だ。

「ほんとうはスポーツ選手にこんな質問、って私も思うんですけどね……」

 この取材の概要は、彼女曰く「イケメン選手に気になることを聞いちゃおう!」という企画らしい。ミーハーな女性ファンが食いつくような質問ばっかりで、バスケに関することはほとんど無いんです、とインタビューが始まる前に言っていた。

「……じゃあ、騒がしくねーヤツ」
「わかりました。えーと……物静かな人、ってことにしておきますね」

 無愛想な流川の回答に相変わらず苦笑いしている名前さん。女性向けの記事にするには些かネガティブすぎる回答を、すぐに上手い感じに変換した。さすがだ。
 好きな女性のタイプなんて聞かれても、昔からパッと思いつくことはなかった。目の前で言葉少なな流川にも臆することなく質問をぶつけている名前さんの意識がこちらに向いていないのをいいことに、彼女のことを観察してみる。
 一生懸命で表情豊かで負けず嫌い。そしてちょっとだけ隙があって、自分を取り繕わないで物事をハッキリ言うところなんかめちゃくちゃいいと思う。ていうか、そんなところにうっかり射抜かれてしまったわけだけど。

「……さん、仙道さん!」
「ん?」
「いやいや、ん? じゃなくて、仙道さんも答えてください」

 気分が乗らないのはわかりますけど、私だってこういう質問するのはあんまり乗り気じゃないんですからね、とさっき流川に対して言っていたセリフを繰り返しながら、名前さんは眉間に皺を寄せた。

「名前さんみたいな年上のお姉さんとか、いいなって思いますよ」
「なるほど、仙道さんは年上が好き……と」

 うーん、華麗にスルーされてしまった。ボイスレコーダーを回しているのにメモを走らせている名前さんの真剣な表情を眺めながら、オレの口から小さく漏れたため息に彼女は気づいていないだろう。
 その反応からわかったことがひとつ。オレはこの人のそういう対象ではない、ということだ。それがあっさりわかってしまい、柄にもなく少しだけがっかりした。顔に出てしまっていなかったかとヒヤッとしたが、彼女はメモを取っていてこちらを見ていないので気づいていないだろう。
 まあでも、仕方ないことなのかもしれない。名前さんが猪突猛進型の仕事人間であることは知っていたし、記者である彼女にとっては選手というオレの立ち位置は取引先みたいなものなのだ。それ以上でもないし以下でもない。つけ加えるとしたらやっぱりただの階下の住人というだけで、友人ぐらいに思ってもらえてたら万々歳。そんなレベルだ。
 あーあ、やっぱり気づかねーほうがよかったかもなぁ。
 オレから彼女に向いているこの気持ちが、好感の持てる人間に誰しもが抱くような純粋な好意だったなら、こんなにモヤモヤすることもなかっただろうに。オレって、細かいこととかあんまり気にしないタイプだったはずなんだけど。
 今思えば、彼女との会話の中で何度かこぼしてしまった「かわいい」という言葉がとんでもなく軽薄だったような気がしてきた。軽いノリで言っているのだと捉えられているのなら、さっきの言葉が流されてしまったのもよくわかる。今となっては、あの時点でも思いっきり本心から出ていた言葉だったと胸を張って言えるのに。

「ところで私みたいな年上って言いましたけど、仙道さんは私のこと年上なんて思ってないですよね」

 言われて図星を突かれたことに気がついた。名前さんがひとつ早く生まれているというだけで、好みのタイプが年上なのかと聞かれたらそうではない。好きになった人がそうだった、ただそれだけだ。

「あちゃー、バレてました?」
「バレバレです」

 そう言って楽しそうに笑う名前さんを眺めながら、この気持ちのほうは全くバレてなさそうだな、と安心した。できたら気づかれないままでいたい。
 いつの間にか彼女に抱いていたらしいこの好意を自覚してから、理性のないドロドロとした欲望が湧き上がるようになった。でも、そんなものを彼女に向けたくない自分がなんとかそれを抑え込んでくれている。ただ顔を合わせて、目が合えば会釈して、他愛もない会話をするだけで充分なはずなのに、人間ってのは本当に欲深いと思う。
 女の人にどんな手料理を作られたら嬉しいですか、デートはどこに行きたいですか、プレゼントでもらって嬉しかったものはありますか。投げかけられる質問に、思ってもいない適当な答えを探して回答する。
 そうでもしなきゃ、きっと目の前の彼女を思い浮かべながら答えてしまうに決まっているからだ。まいったな、と心の底から思う。
 この状況はもしかしたら、高校時代の思い出すだけでも吐きそうになるハードな練習よりも、練習後に永遠と付き合わされるワンオンワンよりもしんどいかもしれない。


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