若草の 2



 その日から、凌牙は遊馬の傍に仕えるようになった。
 父は以前から知っている気安さでと配置したのだろうが、遊馬にとっては居心地悪いだけだった。父には家臣と身分が逆転するなどという事態は想像もつかないのだろう。
 凌牙はこの上もなく模範的に仕事をこなした。
 遊馬の身の回りを整え、勉学や剣の相手などをした。
 遊馬は剣にしろ勉学にしろ、講師に習うようになってから初めて、凌牙がどれほどわかりやすく噛み砕いて教えてくれていたのか知った。
 ありがたいと思うし、礼を言いたいとも思うが、与えられた任務以上に決して踏み込まず、遊馬を「若君」と呼び視線を合わせようともしない。
 よほど遊馬を疎んじているのだろう。
 凌牙と同じ空間にいる時間が余りにも長くて、遊馬は息がつまって仕方がなかった。
 だから、「散歩に行く」とだけ言って館を出たのだ。
 久々の館の外、元々広い野山に囲まれて育った遊馬には、常に視界のさえぎられる長い塀に囲まれた館で暮らすのは苦痛だった。あたり一面に満ちる緑の匂いを胸いっぱいに吸い込んで、遊馬は大きく伸びをした。
 多分普通に外出しようと思ったら凌牙もついてくることになったのだろうが、一言告げただけで門を駆け抜けてしまったので今頃は遊馬がいなくて慌てているのかもしれない。
 もしかしたら、後々何か罰を受けるのは凌牙になるのかもしれない。
 それを思うと心苦しいが、今はどうしても一人になりたかったのだ。
 心の中で「ごめん」と謝った時、背後から「若君!」と呼ぶ声が聞こえた。
 振り返れば、息を切らせた凌牙が軽い傾斜のついた山の斜面を駆け上がってくるのが見えた。


 
 晴天の霹靂(へきれき)、とはこのことを言うのだろう。
 世継ぎの男子が次々と流行り病で死に、後継が突然の空白になったのだ。
 婿を迎えるにしても当主には娘がおらず、養子を迎えようにも手ごろな親族もいなかった。薄い血族と言う意味では凌牙も当主の血に連なり、年若い者から養子をという話になれば名前が上がる位置にいた。
 ふって沸いた幸運。
 そう父には思えたのだろう。
 事実凌牙は同年代の誰よりも才子と誉れ高く、もし血の遠いものから養子をと言う話になれば筆頭にあがってもおかしくはない。
 自分にその才があるという自負はある。
 当主の地位に執着はないが、同じく同等に血の遠い臣下の中から後継者が選ばれるなら、自分より劣る者に仕えるのは御免だった。
 色めきたち気の早い派閥争いまで生まれ始めた状況を憂慮したのか、当主が連れてきた世継ぎは、昨日まで生まれたときから農民として暮らしてきた少年だと言う。
 ふざけるなと思った。
 身内での権力争いは避けるのが正しい、だが、他の候補以上に農民出の世継ぎなどに従う気は凌牙にはない。
 父ともども館に召喚されたときも、最低限の礼節以上は払う気はなかったし、何のために凌牙まで呼ばれたのかわからなかった。
 壇上に座る遊馬の姿を見るまでは。
 戸惑いの表情を浮かべた、愛しい、少年。
 頭の中で鐘の音が鳴り響き何も考えることができなかった。
 ようやく理解できたのは当主からの遊馬に仕えろという命令。すぅと血が引くのがわかった。礼を失せず頭を下げられたのは奇跡に近い。
 遊馬と出会ったのは野駆けの途中だった。おかしな掛け声が聞こえると思い森に分け入ると、太刀に振り回されておかしな声を上げる農民の子供に出会った。聞けば武士になるための特訓なのだと言う。あまりの事に遊馬の夢を嘲り笑った凌牙だったが、とある事件で遊馬の才覚を知り、どこまで行けるものかと、才を伸ばしてみたくなったのだ。
 気がつけば、自分を慕い笑う少年を愛しく思っていた。
 身体を繋いだのは自然な成り行きだったと思う。
 もし彼の夢がかなわなくとも、凌牙がどこぞの女を娶る日が来ても、ずっと傍においておこうと思ったし、同じ戦場に立つようになるのならば対等な存在として死が別つまで共にいるのだろうと思った。
 だが、これはなんという茶番だろう。
 ずっと共にいられるはずだったのに、余りにも遠い所に彼は行ってしまった。
 家臣と主君では同じ武家でも格が違うのだ。
 共に、などとは言えない。
 それどころか、遊馬は自分を疎んじているのだろう。
 今は将来の片腕として当主の命で傍にいるが、果たして、遊馬が自分の意思で側近を選ぶなら真っ先に自分は排斥されるだろう。
 仮にも当主になろうと言う男が、家臣に抱かれていたなどと外聞が悪いにもほどがある。目を合わせようともしない遊馬を見るたびに、心が引き裂かれる思いだった。
 だが。
 だが今更、遊馬のいない人生など想像することもできない。
 ならば、と思ったのだ。
 遊馬が自分が過去を明かすのを恐れて疎んじるならば、忠実な家臣として振る舞い身のほどをわきまえているのだと、行動で示すしかない。
 この上もなく上等に振舞っているつもりなのだが、遊馬の態度は一向に軟化しなかった。ここまで来ると、もう希望などない気さえする。
 それでも、自ら役目を辞すことなどできなかった。
 遊馬がそこにいるのに、自ら去るなどできるはずもない。
 だから、今この状況はすべて自分の責任なのだ。
 館を無断で抜け出した遊馬は血のつながり以外なにも愛するところのない当主から厳しく叱責されるだろう。しかし凌牙が館を出るときに外出の許可をとったから、共に戻れば問題はない。
 というのに、遊馬はいくら呼び止めても一向に足を止めないのだ。

 全て、お前のためしか考えていないのに。

 理不尽な遊馬の振る舞いに怒りがわいた。
 足場の悪い坂を駆け上がり細い手首を掴むとぐっと引き戻す。
 たたらを踏んだ遊馬は背側にくるりと回転して立ち木に背中をぶつけて止まった。
「聞け!遊馬!」
 久々に正面から見据えた遊馬の瞳は透き通る紅玉の色をしていた。
 どれほどこの瞳に飢えていたのか自覚する凌牙の前で、きつく閉じられたまぶたにさえぎられ美しい赤の色彩は凌牙の視界から消えてしまった。
「……無礼、だぞ。」
 震える、低い声でそうつぶやく遊馬に、凌牙は自分の行いを自覚した。
 余りにも強く掴んだ腕はあとが残るかもしれない。その上仕える相手を呼びつけにしたのだ。
「お許し下さい!」
 凌牙はその場に膝をつき頭を垂れると、遊馬に許しを請うた。




 
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はい中編中編
(121105)


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