エンカウント ライブラリー

第六話 「のぞみと読み聞かせ会」
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またこの時期がやってきた。二ヶ月に一度の読み聞かせの日。
本は好きだけど活字を追うのが辛くなってきたおじいちゃん・おばあちゃんのためにのぞみが一年ほど前から始めた企画だ。最初は毎月やっていたが、それだと大変ということで半年前から二ヶ月に一回のペースになった。おかげ様で開始当初から人気で、今回も予約はいっぱいになった。と言っても十数人だが。
さすがに本の読み聞かせを図書館の共用エリアでは行えないので、この時だけ物置の荷物を少し事務所に移動させてスペースを作り、そこに椅子を置いて行っている。それゆえに多く椅子を置けないので、一回の読み聞かせで集まれるのも十数人が限界と言うわけだ。
読み聞かせを一日に何回か行ってくれないかという要望もあったが、のぞみも本来の図書館業務があるのでそんなにはできない。のぞみが読み聞かせを行っているときは他の職員がのぞみの仕事を行ってくれているので、これ以上は難しい。
それゆえにか、読み聞かせに参加できるのがおじいちゃんおばあちゃんの間でプレミアムチケットのように扱われている。一応偏りなくすべての人が公平に参加できるようにしているが、それでも外れた人が非常にガッカリするのは心苦しい。だから一回一回を楽しいものにしようと、本選びから練習までしっかり行うようにしている。

そして今日が読み聞かせの日。のぞみはいつもより緊張していた。なぜなら今日はスペシャルゲストが来るからだ。

事の起こりは3日前。

「へー、のぞみさん。こんなこともやってるんですね」
その読み聞かせのチラシを見ながら大祐が感心した。
「本当に本が好きなんですね」
「大祐くんも来てもいいですよ」
掲示板を整理しながらのぞみが言った。
あの一件以来、なんとなく二人は下の名前で呼び合うようになった。最初は大祐からだった。ただ単に新幹線の『のぞみ』が好きだからかもしれない。それに対してのぞみはまだ苗字の『北橋』で返していたが、年下の大祐が名前呼びなのに、年上ののぞみが苗字呼びなのはおかしいと佳に指摘され、それからのぞみも『大祐くん』と呼ぶようになった。佳が面白半分だったのは、のぞみは気づいていない。
「聞いてるだけでいいならいいかな。感想を発表したりとかはないんですよね?」
「あ、それいいかも。今度やろうかな」
「ちょっと、のぞみさん……」
「冗談ですよ。それに自分の朗読の感想を聞くなんて怖くてできないですよ。プロじゃないんだし」

のぞみには以前、演劇サークルに入っていた過去がある。基本的に裏方の方だが。でも基礎的な発声練習は同じサークル仲間として参加していたし、役者としても数回だけ舞台に立ったことがある。客の反応も上々だった。だからプロではないにしても朗読の腕はなかなかのものがある。それゆえに好評で今まで続いてきたのだ。

しかし今回はちょっとタイミングが悪い。夏休みゆえにパートの主婦たちの出勤時間が減ってしまうのだ。通常三人体制のところを二人で回さなければならなくなることもある。その状況でのぞみが読み聞かせに行ってしまうと残りは一人。三十分ほどでも、一人だけになってしまっては本来の業務に支障をきたす。もしそれで苦情が来るようなことがあればこの読み聞かせの企画も終了せざるを得ない。だから読み聞かせの開催日は慎重に選んでいたが、やはりそういうものは重なってしまうものだ。
あるパートの人が急用で休まなくてはいけなくなった。今から代役を探すことなどできない。今日のもう一人のシフトは佳だ。のぞみと佳なら二人でもなんとか業務を回せる。図書館の仕事に詳しいのはのぞみだが、仕事が早いのは佳。館長からは『ナントのツートップ』なんて呼ばれることもある。しかしこれでは読み聞かせは開催できない。
業務をこなしつつも、頭の中は予定表でいっぱい。なんとか後日に開けないかとカレンダーとにらめっこしていたので、後ろから呼ばれていることにまったく気付かなかった。
「のぞみさん……、のぞみさん!」
「あ、はい!」
そう言って慌てて振り返ったら、呼んでいたのは大祐だった。
「この本の続編って貸し出し中ですか?それとも取り扱ってない?」
「あ、はい」
そう言って受け取った本は『ミルキーレイクサイド』という海外ファンタジー小説の第一巻。天の川銀河の先にある湖の周りで暮らす宇宙人の話。大祐が今まで読んできたSF小説とはまた違ったテイストのファンタジー色が強い小説だ。のぞみは表紙を見ながら不思議に思いながらも大祐に答えた。
「あ、これは二巻も三巻も置いてありますよ。だから棚に無かったら貸し出し中かも。一応調べましょうか?」
「いや、無かったからたぶん貸し出し中だと思う」
「でも一応。だれかが別の棚に戻しちゃったかもしれないし」
そう言ってのぞみはパソコンをいじって検索した。のぞみはこの図書館の本はすべて把握している。だから取り扱いがあるかどうかは検索するまでもない。しかし貸し出しに関しては、当然すべてを把握しておくことはできない。
それにこれはどちらかというと子供向けの本。だから子どもがこの図書館で読んだ後に適当な棚に返してしまった可能性はある。子供向けだから、大祐が借りようとしるのが不思議に思ったのだが。
「あー、やっぱり貸し出されてますね」
「そうですか。まいったな」
「大祐くんが読むんですか?まぁ大人が読んでも面白いですけど」
「いや、甥っ子が読むんですよ」
「甥っ子さんが?」
「ええ。夏休みの読書感想文で。俺が本好きなのを知っててお勧めを聞いてきたのでこれを勧めたんです」
「そうだったんですか。甥っ子さんは何年生ですか?」
「小三です」
「そうですか。いいのを紹介されましたね」
『ミルキーレイクサイド』は子供向けでありながらミステリー要素やちょっとしたホラー要素もあり、読んでいてとても楽しい。ただ全三巻からなる『ミルキーレイクサイド』を読書感想文としてまとめるのは少し大変だとは思うが。でもそのへんも大祐がうまく導くのだろうとのぞみは思っていた。
「でもそうでもないんですよ。この厚さで全三巻って言ったら甥っ子が読む気なくしちゃって。子供向けだし絶対お勧めだからって言ってもダメで、一巻だけ俺が読んでやったんですよ」
「そうだったんですか」
小学三年生といえば『ミルキーレイクサイド』を読むのにぴったりの年齢だが、大人が読んで分かりにくいところを解説してくれれば尚いいだろう。SF小説を多く読んでいる大祐ならピッタリだ。
「それで?続きを読む気にはなってくれました?」
「はい。でもまたいつ飽きるか分からないので、早めに借りて渡したかったんですけど……」
「そうですか」
のぞみがパソコンを見ると、貸し出されたのは先々週の週末。本の貸し出し期間は最長二週間なので、遅くとも今週末には返却されるはず。
「そうですか。でも今週末は泊りがけで出かけるんですよ、一週間。どうしよっかな……」
「じゃあ返却された時にこちらで保管しておきましょうか?大祐さんが来たらすぐ借りれるように」
「いいんですか?じゃあお願いします」
本来は一週間以上の保管は認められていないが、少しは融通を利かせてもいいだろう。
「はい。でもできれば旅行中に読ませたかった感じですか?」
「いや、旅行先には持っていけないですよ。失くしたり傷つけたりしたら大変ですから」
「そうですね。じゃあ一週間後も興味が持続することを祈るばかりですね」
「そう願います」
そう言って笑い合っているところに佳が出勤してきた。
「お疲れ様です」
「あ、佳ちゃん。お疲れ様。ちょうどよかった」
そう言ってのぞみは今までの経緯を佳に説明した。
「でものぞみさん。保管期間の上限は一週間じゃなかったでしたっけ?これだとオーバーしますよ」
「え?そうなんですか?」
佳の言葉に大祐はびっくりした様子。のぞみからそんな説明は聞いていなかったから当然だ。
「まぁそうだけど、ちょっとぐらいいいんじゃない?旅行から戻ってきたら必ず来てくれるだろうし」
保管期間がダラダラと長引いてしまったら問題だが、オーバーといっても一日や二日だろうからたぶん大丈夫だろう。というのはのぞみの判断。
「まぁのぞみさんがそう言うならいいですけど」
「すみません。出来るだけ早めに来ます」
「そんな慌てなくていいですよ」
その二人のやり取りを見て佳がピンと来たような顔をした。
「じゃあ北橋。この本を保管しておいてあげる代わりに、三日後のうちの読み聞かせの企画に協力しなさい」
そう言って佳は読み聞かせで読む予定の『桜の落し物』を大祐に押し付けた。

『桜の落し物』は短編小説を集めたもので、数々の賞を取った。今回読むのは表題作ともなっている『桜の落とし物』。1960年代の日本を舞台にした恋愛小説。日常描写と男女の心情描写が秀逸で、この短編小説の中でも特に人気のある作品だ。テレビでも話題になっていたので読みたい人も多いだろう。作中の年代的にも参加者のおじいちゃん・おばあちゃんにピッタリだ。

しかし……。
「悪いわよ、佳ちゃん。大祐くんは図書館の職員でもないんだし。それに館長がなんて言うか……」
「ボランティアってことでいいじゃないですか。ね、どうせ大学二年の夏休みは暇なんでしょ?」
どうやら先日の夏休みの予定のやり取りをまだ根に持っているらしい。
「分かりました。その方が僕も心置きなく取り置きをお願いできるのでいいですよ」
「本当にいいの?」
「まぁ、終わったら私たちで夕飯ぐらいご馳走しましょう」

こうやって読み聞かせ会のスペシャルゲストの参加が、半ば強引に決まった。
まだのぞみは申し訳ない気持ちがあったが、もし中止にするなら今日中に参加者に連絡を入れないといけないタイミングだったので、それを見送った時点でもう大祐の参加は決定した。

そして三日後の読み聞かせ当日。
参加者は予定より早めに集まった。おじいちゃん・おばあちゃんは早めに行動する人が多いのか、それとも読み聞かせを本当に楽しみにしてくれているのか、もしくはただ単に暇なのか。
なんにしても無事に全員集まった。夕方から天気も悪くなるようなので、予定時刻より早めに始めることにした。のぞみ自身が早くこの緊張感から解放されたいという思いもあったが。
最初に事情を説明し、今回は大祐が朗読者であることを説明。大祐が簡単な自己紹介を済ませた後に読み聞かせが始まった。
のぞみは本来の業務に戻ったが、時々ドアを開けて中の様子を伺う。大祐は本当に練習してきてくれたらしく、自分の好きなジャンルでもない本を上手に読んでいた。
目安の二十分後に再び物置に戻ると、ちょうど『桜の落し物』が読み終わったところらしく、大祐の朗読に皆が拍手を贈っていた。
最後にのぞみが締めの挨拶をして、今回の読み聞かせ企画も無事に終了。そしてみんなの帰りを見送っていると、一人のおばあちゃんがのぞみに声を掛けてきた。
「今日、読んでくれたあの男性はとってもいい声してるね。また朗読してくれたらいいんだけど」
「それはよかったです。また機会があれば頼んでみますね」
どうやら大祐の朗読も好評だったらしい。

のぞみはみんなが倉庫から出たことを確認してからドアを閉めて施錠する。受付に行くと大祐と佳が話していた。のぞみは事務所の冷蔵庫からペットボトルの水を取って大祐に渡した。
「お疲れ様でした。みなさんに好評でしたよ」
「それは良かったです。めっちゃ緊張しましたけど」
のぞみは大祐の朗読を聴くことはできなかったが、普段からよく会話はしている。しかし声がいいということは意識したことがなかった。でも改めて言われるとどうしても意識してしまう。
「じゃあ約束通り飯を奢ってくださいね、武藤先輩」
「分かってるわよ。なんならこのあと行く?」
今日はのぞみも佳も夕方で上がり。そのあと佳はゼミがあるはずだが、その前に夕食を済ませてしまおうということだろう。
「あ、今日はダメなんすよ。これから週末の旅行の準備で買い物に行くので」
「ああ、そう。じゃあ帰ってきてからね」
「忘れないでくださいよ」
「分かってるわよ」
「じゃあのぞみさんもお疲れ様でした。俺はこれで」
「あ、うん!」
いきなり話を振られて、のぞみは思わず大きな声で返してしまった。二人の会話はあまり聞いておらず、大祐の声ばかりに注意が行ってしまっていたから。

のぞみは出口まで大祐を見送った。
空を見ると、お昼までは晴れていたのにだんだんと黒い雲が近づいてきていた。夏特有の突然の嵐が来そうな気配だ。
「ひと雨来るかな」
倉庫から濡れた傘を入れるための袋を入口に出しておかないと。
そんなことを思いながら空を見上げていたのぞみに声を掛けてくる人物がいた。

「あれ?豊崎先輩じゃないですか」

暗い空から、大粒の雨が降ってきた。





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