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★ ☆ ★




いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
目が覚めた時には、安室さんの寝ているベッドに突っ伏したまま、あたたかい彼の手を握りしめていた。
寝起きで重たい瞼を擦る。
レースのカーテンから漏れる光の中、彼は本当に綺麗に眠っていた。
空みたいな紺碧は閉じた瞼に隠されていて、長い睫毛が頬に影を落とす。
やっぱり全部、夢じゃなかったんだ。
意識がない所為で重たく感じるその手を頬に寄せてその温度を確かめた。
それから、少し腰を浮かせてその胸にそっと耳を寄せる。
トクン、トクン。
聞こえてくる優しい音色に、無意識に止めてしまっていた息をやっと吐き出した。

「生きてる…」

見たままの事実が自然と口から出た。
彼の胸は規則的に、微かに上下に動き続けていて、それは彼が生きているという確実な証拠。
その様子に安心してそのまま椅子に座り直した。それから俯いて、乾燥した自分の唇に触れる。
玄関での出来事を思い出した瞬間、じゅわり。と、一気に顔全体に血が集まるのを感じた。あんなに強引な安室さん、初めて見た。
顔が熱くて堪らない。自分はどうしてしまったのだろうか。

「…なんで」

ここは日本だし、俺の知る限りでは、それは少なくとも友人とする行為ではない。
もちろん彼のことは好き。好きだという感情は変わらない。
変わらない、はずなのに。この溶けだしていくような気持ちは一体何なのだろうか。
俺を誰かと間違えたのかもなんて思ったけれど、耳元で囁かれた掠れた彼の声は確かに俺の名前を呼んでいた。
彼の触れた部分のぬくもりが記憶から抜けなくて、俯いたまま膝の上で思い切り両手を握りしめた。
こんなこと考えている場合じゃないのに。本当は、彼の心配をするべきなのに。

「安室さん…俺…」
「…」
「安室さんと一緒に、星…見たこと、ありますか?」

意識のない彼に向かって一方的に声を出した。
彼の名前を呼んだ時、一瞬だけその長い睫毛が震えたような気がする。
微かな記憶の中にある、星空と誰かの手のぬくもり。
玄関で彼に抱きしめられた時、もし一緒に星を見たのが安室さんだったら。なんて淡い期待が膨らんで止まらなくなったのだ。
確信なんて一切なかった。これはただの俺の願望でしかない。

「…星、通路…それから…」

記憶の中の星空。
思い出したあの時。赤井さんには黙っていたけれど、この場所に行けば何か思い出すんじゃないかと思った。
とても綺麗で幻想的だけれど、それだけではない気がする。
何か思い出そうと必死になって目を瞑りながら、本当に仄暗い中にある細い記憶の糸をたどっていく。
浮かんでくる言葉を小さく声に出しながら、子供みたいに指折り数えた。
プロジェクション・マッピング。暗い通路に輝く綺麗な星空。大人に連れられた小さな子、それから…。
そこまで考えて、博物館という一つの答えが脳裏をよぎった。
どこか近くに宇宙をテーマにした博物館はあるだろうか。そこなら、約束通り彼のことを思い出せるかもしれない。

「…聞いてるの?…ねぇっ!お兄さんったら!」
「っわ!」

いきなり隣から聞こえた大きな声に椅子から飛び上がった。
目を見開いてそちらを見ると、いつの間に部屋に入ってきたのか。コナンくんが心配そうにこちらを見上げていた。

「驚かせてごめんなさい…お兄さん、大丈夫?」
「あ、う…うん」
「どうしたの?ぼんやりして。もしかして、さっき倒れた時にどこか打ったの?」

どうやら何度も声をかけてくれていたようだけれど、思考の渦に呑まれていたせいか、全く気が付かなかったらしい。
ずっと握ったままだった安室さんの手をコナンくんに気付かれないように離した。
彼の言う通り頭は打ったはずなのだけれど、安室さんから貰ったキスのインパクトにすべて吹き飛んでしまった。
…なんて、言えるわけがなかった。相手は小学生だ。
心配してくれている無垢な瞳に、何でもない。大丈夫だと首を横に振る。

「そっか…お兄さん。今、時間大丈夫?」
「え?う、うん…ど、うしたの?」
「ずっと聞きたかったんだけど…。あのね、あれから、何か思いだしたことはある?」

その問いを聞いた途端、頭の中が全部真っ白になった。
この子は一体どの記憶のことを言っているのだろうか。
いくつか思い当たる節はある。けれどどこからが夢で、どこからが記憶なのかはっきりしない部分があるのも事実で。
今まさに俺が思い出していた博物館のことだろうか、それとも。

「な、何を…?」

何を言うのが正解なのか分からず何も言うことができない。
目を逸らさずにこちらを真っ直ぐ見つめてくるその純粋な瞳を何故だか分からないけれど、見ていられなかった。
視線を逸らした先ではレースのカーテンがふわふわと風に踊っている。

「お、俺…な、んにも…」
「…あの日」
「え?」
「お兄さんが記憶をなくす前。お兄さんが倒れたってボクに連絡くれたの、赤井さんなんだ」

そんなこと、初めて聞いた。
そう言えば確かに初めて安室さんに会った時、俺が倒れたと聞いて慌ててやって来た。そう言っていたような気がする。
でも誰が見つけたとか、何処で倒れたとか。詳しいことは何も聞かなかったっけ。
あの日のことを考えながらコナンくんの言葉を待っていると、彼はその先を話すことを一瞬躊躇した様子を見せた。

「気を失ったお兄さんを抱えて持って来た赤井さん、腕に怪我してた」
「…えっ…ど、どう…いう…」

…違う。コナンくんが話そうとしてたのは、博物館の記憶のことじゃない。
これ以上聞いてはいけないと察した脳が、じんわりと警告を出し始めた。
でも目の前の男の子はそんな俺に構わずその先を続けていく。
怪我…赤井さんが?誰の、せいで?
足元が揺れるような感覚と共に、ずっと無理矢理蓋をして塞いでしまっていた記憶がこぼれ落ちてくる。
胸が、苦しい。

「怪我、え…?」
「ねぇ、あの日。晶太お兄さん、何を見たの?記憶をなくすような、何か…」
「あ、お…俺…?」

コナンくんのその口ぶりは、俺が何か知っていることを確信しているかのようだった。
事件への好奇心と言ってもいいかもしれない。
でも対する俺はそれどころではなくて、頭の中が真っ白で、コナンくんの紡いでいく言葉が次々と右から左に流れていく。
次の瞬間一気に脳内に流れてきたのは、ずっと思い出せないふりをしていた、あの日の光景。

「あっ…あ、…血、が…」

暗い道に響いた銃声。
血を流して動かない知らない誰かの姿。
怖い顔をした男の人に腕を掴まれてどこかに連れていかれる自分。
そして次の瞬間目の前で舞った、血。男の人から俺を庇った誰かの、…赤井さんの、真っ赤な血。
全身の血が一気に引いていく。その様子がコナンくんの目にも分かったのだろう。
ただ分かりやすく取り乱す俺の姿をその瞳に映した。

「あ、俺…なに、これ…」
「お兄さんっ!?」
「な、んにも…あ、…っき、もちわる…っい」

慌てて立ち上がった勢いで倒れた椅子が大きな音を立てた。
赤井さん、俺の所為で、血…が。
頭のうしろがびりびり痺れて、思考が鈍くなった。心臓が痛い。視界が回って気持ち悪い。
両手で口元を押さえた俺に触れようとしたコナンくんから、慌てて距離を取った。
浅くなっていく呼吸が苦しくて必死に肩で息をした。
自然に視線が向いたのは、真っ白なベッドで綺麗に眠る安室さんの姿。
俺の尋常ではない取り乱し方に驚いたのか、コナンくんは小さな口をうっすらと開けてこちらを見上げていた。

「晶太…兄ちゃ…?」
「ご、ごめ…俺、ここ、居られない」
「へ?お、お兄さん!?待って!どこ行くの!?」
「ッッッ!来ないでっ!!」

両手で体を抱きしめながら叫ぶ。自分でも驚く程大きな声が出た。何も考えられない。知らない記憶、知らない景色。…全部思い出したわけではないけれど、あの日自分の身に起きたことをぼんやりと、少しだけ理解した。
これ以上動いたら死んでしまうのではないかと思うくらい心臓が煩くて、目の前がうまく見えない。
怯んだコナンくんの隙を見てドアから飛び出そうとしたけれど、そんなにうまくいくはずもなかった。
俺がぶつかったのは他でもない。騒ぐ俺達の様子を見に来た赤井さんの胸板だった。
そのままの勢いで、踏み止まれずにその場に尻もちをつく。

「おい、何を騒いで…晶太?」
「あ、かぃ…さっ…」

少し気だるげに髪の毛を撫でていた赤井さんは、俺の姿を確認するとすぐに眉根を寄せた。
ずっとどこかで引っかかっていた。どうして自分の記憶が無くなってしまったのか。
腕に残った誰か知らない人の手の感触が今でははっきりと分かる。

「ボウヤ、あまり刺激するなと言ったろう」

何か言っているけれど、うまく聞こえない。ただ、目の前の彼がため息を吐いたことだけは伝わってきて、肩が大きく震えた。
長袖で分からないけれど、きっと赤井さんの腕には怪我が残っているに違いない。
俺の所為。ぜんぶ、俺の所為だ。赤井さんが怪我したのも、安室さんが倒れたのも。
罪悪感でうまく息ができなくなって、一瞬で立ち上がるとすぐにその場から走り出した。
入り口に立ちはだかっていた赤井さんとドアの隙間を這うように、自分の小柄な体を滑り込ませる。

「一人にして…、っねがい…します…」
「お、おいっ…」
「晶太兄ちゃん!」
「ごめんっ…ごめんなさいっ!」

本当は逃げちゃいけない。きちんと赤井さんに謝って、お礼も言わなければいけない。
そんなこと全部分かっているのに、体が言うことを聞いてくれなかった。
それに、その前にこのぐちゃぐちゃになった頭の中を1人で整理する時間が欲しかった。
コナンくんが俺の名前を呼ぶ声が痛いくらい響く。小さい子の前で本当に情けない。
でも、彼が寝ている部屋で惨めな自分をこれ以上晒したくなかったから。
部屋着のまま行く当てもなく、勢いだけで豪邸を飛び出した俺が向かった先は。


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