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★ ☆ ★




驚いた拍子に一瞬離れた唇がさっきより乱暴にもう一度塞がれた。
近くで聞こえる息遣いと、いっぱいに広がる彼の香り。
一体何が起こっているのか、やっと気が付いて慌てて後ろに引こうとした時には既に、頬に触れていたはずの彼の大きな手に後頭部を押さえられて逃げ道を失っていた。

「…っ…っ!?」

上から押さえつけられるように重ねられた唇がすごく甘く感じる。
腰に回っている方の手が更に2人の体を密着させて、溶けてしまいそうなほど体が熱くなった。
いつの間にか肩からずり落ちてしまった膝掛けが剥き出しの足の甲に触れて、それでやっと意識が戻った俺は、自分の置かれた状況を思い出した。
怒られると思っていたのに、一体この状況はなんなのだろう。現実逃避しすぎて、自分に都合の良い夢でも見ているのだろうか。

「ン、ぅ…」

俺だって、もう子供ではない。これがどういう行為なのかは知っているつもりだ。
けれどまさか生きている間に自分が体験するとは思っていなかった。しかも、安室さんと。
何か話そうとしても、ただ鼻からくぐもった声が抜けていくだけ。
彼の服の胸元を強く握ると、応えるように俺の体を抱く力が強くなった。
あまりにも近くに感じる安室さんのぬくもりと濃厚なその香りにそのまま酔ってしまいそうだ。
腰が引けた情けない姿勢で彼からのその行為を受け入れ続けながら、幸福感で胸がはち切れてしまいそうで、弱まっていく思考に任せてそのまま目を細める。
やがて息の吸い方も忘れてしまった俺は、ただ彼の腕の中で体を硬直させることしかできなかった。
それは永遠に続くかと思ったけれど、俺にとっての幸福はすぐに終わることになった。

「ぅ…ッン、…ひっ…!?」

突如唇を這った、ぬるついた生暖かい感触。
感じたことのないその感覚に驚いた体が信じられない程跳ねて、丸まっていた背中が弓なりに反った。
その背中をなぞっていくように滑り落ちていくゾクゾクする何かのせいで、口から勝手に声が漏れていく。
唇に触れているのは、舌。
舌だ、安室さんの…。

「あっ…う、…っ…や、やだ…安室さ…っ…」

俺の制止の声なんて聞きもせず、安室さんは俺の唇をべろりともう一度舐めた。
両手で小さく抵抗しているとやがて伸びてきた彼の手が少し乱暴に俺の顎を掴んで、また逃げ場を無くしてしまった。
これは…一体何が起こっているんだ?
彼の香りとぬくもりに包まれているうち、頭の中がじわじわと痺れていって、なんにも考えられなくなってきた。

「ん、や…だ…、ぁ…ッッうぁっ!?」

必死で目を瞑りながら彼からの行為を受け入れているうちに、薄く開いていた唇から侵入してきた彼の舌が、俺の舌先に当たった。
抵抗していた手が自分でも驚くほど強張ったのに気が付いた。
無防備な粘膜同士が触れ合ったその瞬間、急に頭の中を電気が走ったみたいになって、ぼんやりとしていた思考が急激にクリアになった。

「だ、駄目っ…!」

これ以上は、受け入れちゃいけない。
慌ててのけ反って彼の唇から離れると、そこを思い切り両手でふさいでしまった。
だって、俺にはこの行為を拒否する理由は全くなかったけれど、彼にとってはどうだろう。
こんなこと誰かにばれてしまったら、きっと恥になるに違いない。それこそ、赤井さんや、コナンくんに見られたら。
そう思って彼に向かって何度も首を振った。
腰に添えられた彼の手に力が籠って、体が更に密着する。

「駄目ッッ!安室さん、ここっ赤井さんが…ひゃあっ!?」

そのうち、口を塞いでいた手の平にも熱い舌が這った。
舐められたのだと気が付いたのと同時に、不意打ちの刺激に思わず上擦った声を上げながら、反射的に触れていたそこから手を離してしまう。
対する安室さんは俺の焦りを気にした様子もなく、少し乱れた髪を掻き上げながら一度自身の唇を舐めるのだった。
その仕草がなんだか色っぽくて、見てはいけない気がして、慌てて目を逸らす。
なんだ、これ。自分の知っている安室さんと、違…。

「…こっち、ちゃんと見て」
「あ、…う…」
「いい子」

彼から発せられた吐息交じりの低い声。
それに従って恐る恐る前を向くと、興奮しているのか、紺碧だったはずのその瞳がいつもと違う色に見えた。
俺の視線を待っていたかのように動き出した彼に手首が掴まれる。勢いよく彼の方に引き寄せられたかと思うと、呼吸をする暇もなく再び唇が塞がれた。
もうダメだ、ドキドキしすぎた心臓が今にも壊れてしまいそうで、これ以上抵抗する気にもならなかった。
やがて彼の唇の感触にも慣れてしまって、なんだか意識がぼんやりとしてきた頃、俺の体を押さえつけるように抱いていた彼の手から一気に力が抜けた、気がした。
眼前に広がるミルクティーブラウン。

「ぅ…わ、あ…っあ!?」

彼の体重が一気に全身に圧し掛かってきたと同時、それはまるで覆いかぶさるように俺の体を押し倒した。
さっきまで塞がれていたはずの口が解放されて、悲鳴という形で音が漏れ出した。
突如、静かだった玄関は途端に騒がしくなった。
思わず後退ろうとしたけれど、落ちていたひざ掛けに足を取られて必死に体制を立て直そうとする俺の足音。結局当たり前のように力負けした俺からも力が抜けて、二人同時にフローリングに倒れ込む大きな音。
ポケットから飛び出して落ちたスマホがそれに負けないくらいの鋭い音を立てて、遠くに滑っていった。
ひざ掛けが多少クッションになったものの、背中と後頭部を軽くぶつけたせいか目の前がチカチカと光った。

「いったた…っ…、…」

いったい何が起きたのかわからず目を白黒させた。
押しつぶされた体制のまま彼の名前を呼ぼうとしたところで動きを止めて、放り出されたままだった両手で自分の唇に触れた。
さっきまでここが、安室さんと触れ合ってたんだ。
思い出しただけで顔が燃えるように熱くなって、今すぐこの場から逃げ出してしまいたくなった。
体中に走る痛みが、これが夢ではないのだということを如実に表しているようで、目の前がくらくらする。
涙で少しぼやける視界の中で見えたのは、真っ白な天井とそれから色素の薄い綺麗な髪の毛。
必死に動かした視線の先で、そのたくましい腕が力なくフローリングに投げ出されているのが映る。

「あ、あむろ…さん…?」

今度こそ、彼の名前を呼んだ。
全身から感じる彼の重みと体温、石鹸の香り。
あんなに盛大に転んだというのに、安室さんは一声も発さなければ、その指先をぴくりとも動かそうとしない。
それに気が付いてすぐに、今の状況のおかしさに気が付いた。

「安室さん、ど、どうしたの…?」

何とかもがきながら上半身を起こして、上に乗ったままの彼の体をどかしてみると自然とその頭を自分の膝に乗せる形になった。
それでも彼は動かない。
どくん、どくんと飛び出してしまいそうな程煩い心臓を押さえながら、顔にかかったその柔らかい髪を払い除ける。
結論から言えば、安室さんは、気を失っていた。
俺の膝の上で目を閉じたまま動かない彼の状態を視界に入れた俺は、すぐに状況を理解した。
全身の血が一気になくなってしまったみたいに寒くなって、悲鳴に似た声が勝手に口から漏れた。

「ひ、あ、…あ…」
「安室さん、晶太兄ちゃん!?今の音何…!?」
「こ、なんくん!!安室さんが、安室さんが…!!」

頭の中が真っ白になって、何も考えられない。
大きな音に驚いたのか玄関まで飛んできたコナンくんが、動揺する俺と倒れたまま動かない安室さんを視界に入れると、その大きな瞳をこれでもかと見開いた。
ただ、目の前の現実が受け入れられなくて、俺は必死に何度も安室さんの名前を呼ぶ。

「ど、しよ…お、れ…あ、むろさ…返事、して…」
「赤井さん…!安室さんが!」

来た時と同じスピードで赤井さんを呼びに飛んでいったコナンくんのポケットから、カツンと軽い音を立てて何かが落ちた。何か小さなバッチのようなそれはそのまま床を滑って俺のほうに転がってくる。
反射的にそれを拾い上げた俺は、それがなんなのか確認することなく後でコナンくんに返そうとそれをズボンのポケットに突っ込んで、倒れた安室さんの顔をもう一度覗き込んだ。
閉じた瞼。長い睫毛が頬に影を落としていた。

「ねぇ、…安室さん…ごめんなさい…俺…体調、気づけなかった…」

気を失った安室さんに苦しそうな様子はない。その背中は規則的に、微かに上下に動き続けている。
ただ眠っているだけにも見える彼の様子が俺の不安をさらに煽った。
もし、このまま起きなかったら。さっき倒れた時にどこか打っていたら。
ここに来てから一度も笑顔を見せなかった彼の、ほんの少し熱くなった頬に冷たい手の平を当てた。
その温度で、彼が生きていることを確認した俺は震える声で何度も安室さんの名前を呼んだ。
瞳からこぼれた涙が、彼の頬に落ちて流れていく。

「晶太、どうした」

急に聞こえたその低い声の方向に反射的に振り向いた。
こんな状況でも落ち着いた様子の赤井さんが、覗き込むように腰を折って、座り込む俺と倒れた安室さんを見た。

「あ、あ…かいさ…ど、しよ…助け…あ、むろさ…起、きな…」
「おい、落ち着け」
「お、俺の…せい…で…た、すけ…」

赤井さんは、震えながら助けを求める俺の頭をその大きな手で撫でた。
落ち着かず動揺する俺を他所に安室さんの状態を確認していく赤井さんを縋るように見つめる。
その間も、俺は力の抜けた安室さんの手を握っていることしかできない。
やがてそのエメラルドグリーンが再びこちらに向けられるまでの時間が何時間にも感じられたように思う。
そして、焦らすようにたっぷりと時間をかけて伝えられた言葉。

「安心しろ。大丈夫だ」
「え、あ…でも、っ…」
「お前が無事で、気が抜けて倒れたんだろ。寝てるだけだ」
「寝、て…る…?」

その一言を聞いた途端、緊張の糸が切れたみたいに体が動かなくなって、瞳に溜まっていた涙がとめどなく流れ始めた。
赤井さんはそんな俺を見て呆れたように少し笑いながら俺の頭を乱暴にかき混ぜた。
フローリングにぺたりと座り込んだ体制のまま、赤井さんの背に背負われる彼をただ茫然と眺める。
赤井さんとコナンくんが、何か話しているのをどこか遠い意識の中で耳に入れた。
膝に乗っていた彼の重みが消えて、同時に胸の中にもぽっかりと穴が開いたみたいに虚しい。

「キス…、…」

本当に小さく呟いた俺の声は、誰の耳に届くことなく消えていく。
自分の唇をなぞるようにゆっくりと指を這わせた。
ぎゅっと握りしめられたみたいに苦しい心臓。
本当に一瞬だけ触れた彼の舌の感触を思い出して、自分の舌をほんの少し突き出してみた。

なんだか、お腹が空いた気がする。


通り雨とアスファルト 

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