魔法薬学の教科書が落ちていた。
ホグワーツ城二階の廊下。中庭に気を取られた隙に手から零れたのかもしれない。持ち主は今頃大慌てだろう。この「上級魔法薬」はそんな人間だけが持つ教科書だから。邪魔にならない場所へ置いておけばきっとすぐに持ち主が現れる。けれど私は適当な場所へと腰かけて、自分も持つその本を開いた。
パラパラと、書き込みだらけのページを読み飛ばす。裏表紙へ到達したとき、いくつも通りすぎていった靴音のひとつが立ち止まったことに気づいた。
「それは僕のだろう」
すぐそばで立つ男の子は、知らない顔だった。一つ下の後輩くん。さっと伸ばした右手で教科書を奪い、解れの目立つ鞄へ押し込む。ぎゅっと寄った眉間が気難しそうな印象を振りまいていた。
「あなたがプリンスくん?」
「……そうだ」
「半純血の?」
「だったら何だ!」
「ううん、別に何も。そんなことを教科書に書くのはどんな人なんだろうって思っただけ」
「こんな人間だ」
吐き捨てるように言って、彼は踵を返した。私は少し猫背の細い背中に問いかける。
「どうして『半純血の』なんて書いたの?」
ピタリと止まった歩みに私は浮かしかけた腰を再び下ろした。こちらへ向き直った彼の眉間は相変わらずで、加えて首が埋まるほどに肩を上げている。
「スリザリンらしいとは思うけど。あなたは半分なのね」
「君は?」
肩や眉間ほど、声は低くなかった。
「私は、全部」
「純血か。なら分かるだろう。その血が如何に優れ、守る価値のあるものなのか」
彼は鼻を鳴らし、そぐわないものすべてを見下す目で中庭を見下ろした。そしてその中に何かを見つけ、瞬き二つで色を変える。彼の瞼の向こうには、ただの黒が嵌まっていた。
「なら私と結婚する?あなたの血はどうにもできないけど、純血一族の一員にはなれるわ」
「断る!僕はそんなもの、望んじゃいない!それに君が結婚するのは純血の人間でなければ」
「ママみたいなことを言うのね、プリンスくんは」
「マシな価値観を持つ人間なら誰だって同じことを言うはずだ」
「私は血液を守るための袋じゃないの。こんな血、穢れているも同然だわ」
彼の表情が、消えた。
「血は、穢れない」
大して意識もしなかった言葉。明日には半分も思い出せないかもしれないやり取り。それでも、だからこそ、走り去る前にポツリと呟いた彼の瞳を、
この先ずっと忘れないようにと私は記憶に刻み込んだ。
Special Thanks
r.a様
(2019.2.6)