何も知らなかった。
彼女の好きな食べ物も、装飾品の好みも、泣いた顔も、家のことで悩んでいるのも、縁談が持ち上がっていたことも、何も。
私が知っているのは彼女の笑顔と照れたときの仕草、纏う香り、体温。意外と頑固なところも知っている。
「付き合ってる人がいるって言っても縁談を持ってくるなんて、信じられません」
地下の私室に好んで居座る生徒は彼女くらい。黒皮のソファで足を組み、指先から揺れる苛立ちがトントントンと膝を叩いていた。
「家柄のいい者同士はくっつきたがるからな」
「私は先生がいればそれで良いんです」
「何度も口説かんでいい」
ため息をつけば、声をあげて彼女が笑った。そして「思ったことがついつい口から出るんです」と事務机の私へ身を傾ける。こことソファ、ほんの数メートルの距離が遠い。
「先生、卒業したら、私をもらってくれますか?」
「あぁ、引き受けよう」
「やった!先生、だーい好き!」
「そんなことは知っている」
卒業など待たず彼女を連れ去ってしまえたら。そんな馬鹿な考えが頭を過る。しかし私の未来は私のものではない。もうすべてを捧げてしまったのだ。
リリーに。
ダンブルドアに。
『卒業したら、私をもらってくれますか?』
『引き受けよう』
それは、ありったけの
優しい嘘だった。
Special Thanks
PUNI様
(2018.11.14)