「耳をすませてごらん」
私の耳元で、ベラトリックスが猫撫で声を出した。闇の帝王へすり寄るのとはまた違う声。何度聞いてもゾッとする声。
彼女と私と膝をついた男だけの空間に、互いの息遣いが充満する。一人は興奮で、一人は恐怖で、一人は苦痛で。
「聞こえるか?あいつの息づかいが。それを悲鳴に変えてやるのさ。我が君がご命じになったのはそういうことだ」
杖を持つ私の手の上から彼女が強く握った。グイ、と容赦なく上げられて、杖先を標的へと向ける。その先にいるのは私もよく知る人物。
「スネイプ先生……」
「スネイプ先生ぇ!」
真似るように復唱するベラトリックスの嫌な笑いが部屋に響いた。私の腕が下がらないことを確認すると満足げに口角を上げ、コツリ、コツリ、と私の周りを歩き出す。先生はベラトリックスだけを睨んで、私なんていないかのように目を逸らした。
「こいつは罰を受ける必要がある。我が君がそう判断なされた。ピーチクパーチクご自慢の弁解も今回は役立たずだ。元教え子が優秀な闇の魔術の使い手になれば、先生はさぞ嬉しいことだろうよ」
受ける必要も何も、罰はもうベラトリックスによって散々された後なのだ。休む間もなく立て続けに磔の呪文をかけていた。それでも満足の行く悲鳴が聞けず、彼女は趣向を変えた。
「さぁやれ!本気になるんだ!」
「クルーシオ(苦しめ)!」
私の足元ばかりを見つめていた目がグワッと大きく見開かれた。硬直したように身体へ力が入り、しかしすぐにフッと抜ける。
「こうやるんだよ!」
ベラトリックスは嬉々としてまた杖を振り下ろした。私とは比べ物にならない長時間の苦痛。それでもスネイプ先生は大して声も上げず、ただひたすら彼女が杖を下げるまで耐えていた。
ノックが響き、彼女はようやく呪いを解いた。扉からはナルシッサが姿を見せる。
「我が君がお呼びよ。全員」
「命拾いしたね、スネイプ」
ナルシッサに続きベラトリックスが足早に扉を潜る。二人きりになって、私は膝から崩れ落ちるようにスネイプ先生へと駆け寄った。
「ごめんなさい、私、私!」
「気に病む必要はない。君はすべきことをした」
「でも、先生に――」
「話は終わりだ。先に行っていろ。我輩もすぐ行く」
追い払うように手を振る先生に従って、三歩後ろへと下がる。しかし足に力を入れたはずの先生の身体がぐらりと傾いた。慌てて駆け寄れば、支える身体から僅かならぬ体重がかかる。その重さに、先生の限界はとうに越えていたのだと知った。
「担架を用意しますか?」
「必要ない」
「なら肩を」
「君は先に行け。闇の帝王を待たせるな」
「ですが――」
「リリー。同じ目に遭いかねんぞ」
先生の黒い瞳が真っ直ぐに私を捉えていた。真剣そのもの。教師として接していただけの日々とは違うその瞳に、反論の言葉すべてを吸い取られてしまった。
「……先生。私たちの先に、未来はあるのでしょうか」
願う未来は同じはずなのに。仲間同士で傷つけ合って、罰して。ビクビクと怯えて顔色を窺うばかりの毎日。私たちはあまりにも脆い。
「未来はある。信じろ」
そう言った先生の目を見ることはできなかった。顔を背けて扉へ向ける。
マグルや他の魔法使いにとって私たちがそうであるように、私たちにとって闇の帝王がそう。凍り付くような恐怖が、
ほら、すぐそこに。
Special Thanks
PUNI様
(2018.11.29)