「空と海が恋をして世界中にチョコレートの風が吹いた」
調合途中の地下牢教室で、さして大きくもないスネイプの声が広がった。あちらこちらにある大鍋が熱された気泡を吐き出す音よりもよく響き、生徒の耳へと入り込む。
「スネイプ先生?」
一人の勇気あるスリザリン生が問いかけた。先程の言葉の意味を。
「……『空』と『海』は薬材料を、『チョコレート』は薬の色を示す。加えて『世界中』というのはその色が大鍋全体に均一であることを説明している。このように、理論が覚えられないならばせめて手順だけでも覚えろ。どのようなこじつけでも構わん。あとから理論がついてくることもある」
スネイプは教室中を見回して、呆気に取られた間抜け面を視線で射った。そうして生徒たちをすくませると、最後に教室の後方、誰の姿もない壁へ探るように瞳を動かしため息をついた。
「魔法薬が完成した者は提出し、速やかに退室しろ。他人の調合へ手出しすることは許さん」
ちらほらとガラス小瓶を手に前へやって来る生徒が現れて、時間が経つにつれてその中身の色が怪しく変わる。滞りなく調合を終えた生徒の薬は茶色く、手間取った生徒の薬は黒い。論外な出来の物は省くとして、教卓には見事な魔法薬のグラデーションが出来上がっていた。
「さて……」
最後の生徒が逃げるように荒く扉を抜けると、スネイプはおもむろに懐へと手を伸ばした。提出されたばかりの薬によく似た色の杖を取り出して、変わらず緩慢な動作で教室の一点へと差し向ける。
「待った待った、セブルス。呪文の解除は自分でやるよ」
そう部屋へ響いた声に続いて、彼の杖先が向いた場所から彼と同じ年頃の女が一人、姿を見せた。
「手紙を寄越したかと思えば、こそこそと授業に忍び込むとは。まともな理由があるとは思えんな、リリー」
「理由は単純。セブルスの授業を見てみたくなったから。『空と海が恋をして世界中にチョコレートの風が吹いた』、なんてよく覚えてたね」
「無駄なものを思い出して後悔している」
「他にも色々と作ったなぁ」
「作って覚える暇があるなら、まともに理論を理解できるよう学ぶべきだろう」
「『理論はあとからついてくる』んでしょ、センセイ?」
「君にはついてこなかったようだが?」
スイ、と上がるスネイプの片眉に、リリーがケタケタと大口を開けて笑い声を上げる。表情を戻した彼が本題の催促で腕を組むと、彼女は心得たとばかりに鞄から黒い小箱を取り出した。そして仰々しく差し出しながら蓋を開ける。
「今期の新作をお持ちしました、ミスター・スイーツ」
「またチョコレート菓子か。君の店が繁盛しているのは喜ばしいことだが、甘党だと言った覚えはない」
「最高傑作だよ」
「毎度、菓子と共に送りつけて来る手紙にもそう書いているだろう。だが店主自ら出向いての差し入れとは、今回はよほどの自信作とお見受けする」
ニンマリと意地悪く上がるスネイプの口角を目で追って、リリーは小箱に寝かせられていた一粒のチョコレート菓子をつまみ取る。
「構想自体はセブルスが愛の妙薬作りに躍起になっていた頃から隣でずっと練ってたんだ。十数年かけたこの傑作を、貴方にだけは必ず食べてもらいたかった」
「……隣でチョコレート入りの大鍋をかき混ぜる君を当時は呆れ果てていたが、こうして身を立てているとなると馬鹿にできんな」
差し出される、かさついた無愛想な手には無視をして、リリーが指を彼の唇へと近付けた。大した抵抗もなくスルリと侵入を許された固まりは、その熱に解れて身を溶かす。
「これは……」
「これは?」
「これは『何』だ?」
「流石は魔法薬学教授。これは食べた人の心に反応して味の変わる代物でね。所謂、奥底に隠れた恋心というものに」
「さて、私にとっては甘いチョコレート菓子だったんだけど、
貴方はビター?それともスィートだった?」
Special Thanks
you
(2019.12.9)