最後まで責任をとりたまえ


『最後まで責任をとりたまえ』


その低い声に押し戻されて、リリーは大きく息を吸い込んだ。


「何だ、夢か……」


突っ伏していた頭を上げて、言い聞かせるように呟いた。冷えた部屋の空気にため息を吐く。壁の時計は真夜中をいくらか過ぎただけの時刻を差していた。

何か、生々しくも壮大な夢を見ていた気がする。

しかしぼんやりと霞がかる思考ではろくな糸口すら見つからない。音楽代わりに再生したままとなっていた映画を停止して、ほう、と大きく息をついた。

お気に入りのその映画は、運命を受け入れ立ち向かった男の子の物語。額に傷を受けたその日から英雄となってしまった彼の成長を描いた超大作。ちょうど目を覚ましたときに流れていた、宿敵を打ち崩して親友らと語らうシーンを思い出しながら、私はベッドで寝直すために立ち上がった。




私はまた夢を見る。

それはいつからか判明した同じ壮大な夢。大好きな映画の世界にいる夢。けれど一度それを夢だと理解してしまえば、内容は少しずつ変化する。ここ最近はその明晰夢を見ることが増えた。夢の中の友人や頼もしい仲間を私は何度も失った。そして私自身も、何度も底無しの暗闇へ引きずり込まれた。

初めは友人。誰にでも分け隔てのない彼は黄色が相応しく、その爽やかな笑顔も相俟って大勢を惹き付ける。学校の代表にも選ばれた。しかし優秀な彼は、額に傷のある男の子を狙う人間に呆気なく命を奪われる。夢の中で私は何度も繰り返し彼を失って、幾度も救おうと足掻き続けた。

友人の次は、由緒ある家に生まれながらも血統を嫌い冤罪を背負ったその末裔。

多くの闇と戦い義眼と義足を使いこなす志強き男。

友情に厚く自由を求めた小柄な妖精。

起きたときの喪失感は凄まじく、身体がのうのうと生きる自分を罰するようだった。

物語のクライマックスとなる大きな争い。そこでも私は崩れ落ちる塔を駆け下り残骸の転がる庭を走り回って、夢と戦った。救えるすべてを救いたい、と。たとえその願いを果たしても、起床したときには無に消える。そう分かってはいても。

ただ、最も救いたいと願った男が夢に現れることはなかった。繰り返し映画を鑑賞し想いを抱いて眠っても、彼の元へは辿り着けない。例え夢の中であろうと、セブルス・スネイプの命を繋ぐことは許されない。何かが私を遠ざけているような気さえした。




そんなある日のこと。同じ世界の夢を数えきれないほど見た日の目覚め。リリーはまるで長年の眠りからようやく覚めるような重い瞼で目を抉じ開けた。何度も開閉を繰り返しながら少しずつ、少しずつ、瞳に現実の世界を流し込む。

しかしそこに見慣れた天井はなかった。マットが身体を包む感触も、布団が覆い被さる重みも、頭を置く枕の反発も、何もかもが違う。窓から差す光は黒いカーテンに遮られ、それでも僅かな明かりが部屋の輪郭を浮かび上がらせる。

寝返りを打ってもまだ余るベッドで、左隣には確かに誰かのいた痕跡。当てた手のひらから微かに伝わる熱は、夜を共にした何者かの存在を決定付けた。

酒に呑まれることも寝床を変えることもなかった。いつもと変わらず眠りについたはずなのに。自由な四肢は私がここへ望んで訪れたであろうことが窺えた。

緊張と不安と困惑とその他多くのマイナス要素で身体が軋む。腰が抜けたかのような体たらくでベッドを這って、踏ん張りの利かない腕をマットの角へと押し付けた。そうしてやっとのことで上半身を起こすと、足を山にして膝を抱える。視界に入るワンピース型をしたグレーのナイトウェアを着た覚えがないことも、今や当然のことのように思えた。


部屋を出るか身を隠すべきかと思案していると、耳が足音を捉えた。コツコツと規則正しく鳴るそれはどうやら階段を上がっているようで、子供のような軽さはなく、手慣れたリズムを響かせる。

リリーは遂にどうすることもできず、開く扉を見つめた。


「…………」

「…………」


二人は見つめ合ったままピタリと固まった。横隔膜の上下運動でさえもさせずに呼吸すら忘れ時間を止めた。ドクンと打つ鼓動だけが止まらず内側で喚き立てる。


「スネイプ、教授……?」


先に動き出せたのはリリーだった。

開いたままの唇から言葉を絞り出して問いかける。彼女と揃いのナイトウェアに身を包み、シルバートレイにティーセットを乗せる彼が、隣で眠っていた『何者か』であろうことは容易に結び付く。

けれど何故。

これもまた夢の中ということか。

思えども、目を覚ました感覚は現実のそれと相違なく、これ以上目覚めることもできなかった。念じてみても都合のよい変化は起き得ず、つねったふくらはぎはジクジクと痛みを嘆いている。


「リリー……」


リリーは目を見開き、再び固まらざるを得なかった。

明らかに彼は私を知っている。それは彼が扉を開けた瞬間から薄々感じてはいたもので、それが確信となった。彼は顔をくしゃりと歪ませ情けなく眉尻を下げて口をわなわなと震わせる。

目の前の光景に、リリーは理解を示せず表情で問いかけ続けた。


「どこまで、覚えている?」

「どこまで……?」

「……つまりすべて、か。だが多少は私のことを覚えているようだな」

「覚えて、いる……?知っている、のではなく?」

「些細ではあるが大きく違う。私は今からそちらへ行くが、君に危害を加えたりはしない」


スネイプは扉近くの肘掛け椅子へトレイごとすべてを置いて、リリーへと小さく一歩を踏み出した。彼女に拒否が見て取れないことを確認すると、のろのろとそのまま距離を縮める。そして彼女のすぐそばで床に膝をついた。口をパクパクと開閉し、陸に打ち捨てられた魚のように苦しげに眉を潜める。やがて観念したかのように、ベッドサイドテーブルの引き出しへと手をかけた。


「これを見てくれ」


スネイプが取り出したのはアルバムだった。まるでこうなることを予測していたような準備の良さに、リリーが顔をしかめる。


「君から君へ渡すようにと頼まれた」

「私が、これを?」


覚えなどない。けれど彼が嘘を言っているとは到底思えない。その必要性も見当たらない。私は美しい細工の施されたその分厚いアルバムを受け取ることにした。

空になった彼の手が、行き場を求めさ迷いわなわなと指を動かす。そこには不可視の壁があった。触れたくてもその壁に阻まれている。そう感じた。私の視線に気付くと、彼はサッと手を引っ込めてしまった。


「そんな、どうして……」


驚くことに、アルバムには私の写真が多く納められていた。いつ、どこで、誰と。簡潔な思い出の糸口を記したメモが私の筆跡を載せて写真に添えられている。

ホグワーツの制服を着た私がくるりとローブを見せびらかす写真、涙をこらえ笑って手を振る卒業式、病室のベッドに寝転んではしゃぐ私、そして騎士団のメンバーに囲まれて微笑む私。次第に私の隣にセブルスが写っていることが増えていった。


「これは去年の写真だ」


懐かしむように目を細めたセブルスが指したのは、同じく騎士団メンバーに囲まれた私たちの写真だった。違うのは、私たちが揃いの指輪を嵌め、全員がマグルのものとは少し違う礼装を着ていること。すぐさま自分の指を見ると、そこには写真と同じ指輪があった。


「私のも、ここに」


窺えば、彼は薬指に光る誓いを見せてくれた。


アルバムには手紙が挟まっていた。私宛の私の筆跡。それによれば、私はホグワーツで起こった大戦により完治しきれない傷を負った。そのせいで時々記憶が消えてしまうことがあるらしい。簡単な私の経歴や、記憶はいずれ戻る可能性が高いことも書かれていた。

そして最後に、この手紙を渡してくれた人物はセブルス・スネイプと言う名で、自分が世界中の誰よりも愛する人で、彼にも溢れるほどの愛を貰っていて、自分は望んで彼の家に住んでいることや、彼を信じてほしいことが書かれていた。


「こんな、ことが、本当に……」

「今は受け入れがたいことばかりだろう。私でなくとも君には友人が大勢いる。つまり写真の彼らだが、君が求めれば助けてくれる。どこかに身を寄せると良い。だがポッターは止めておけ。英雄殿のそばでは静かに休むことなど到底――」


アルバムを指しながらああだこうだと私の友人たちについて説明し始めた彼は、どこか生き生きとしているように思えた。けれど誰を指しても結局は難癖をつけて次を指す。

私が大好きだった映画は現実の記憶を元に組み上げられた物語で、夢として見ていたものは数多の後悔だった。

じわじわと胸に沁み込み始めた推論に突き動かされ、私はセブルスの手を取った。彼の指先をタータンチェックの似合う老魔女から引き離し、分かりやすく驚いた表情で固まる彼へと向け直す。


「私、か?」

「先程のお話があなたにも当てはまるなら」

「勿論だ」


異物感に調合の手元が狂うなら外すべきだと私は言ったのに、彼は頑なに指輪を外そうとしなかった。身に余る幸福に身体の震えが止まらないだけだ、と冗談めかした彼の笑顔が脳裏に過る。


「……リリー?」

「私は笑顔のあなたを見ていたんですね」

「記憶が戻ったのか!?」


けれどその問いには首を横へと振った。


「どうか私にも笑ってください」

「……それは君のユーモア次第だな」


視線を左右に流した彼がそう溢し、私はふっと笑ってしまう。釣られてくれたのか彼の頬にも緩みが見え、私の心はフワフワとベッドを跳ね回った。


「長い夢を見ていたんです。その夢の中でも、私はあなたのことが大好きで――」


重なったままの手へ、不意に彼の左手が伸ばされる。グッと強く包まれて、そこから雪崩れ込む彼の思いに言葉を呑まれた。


「これからは私と共に夢を見てくれ。今は忘れていたとしても、私をこんな風にしたのは君だ。君が私に未来を与えた。最後まで責任を取りたまえ」

「はい、喜んで」

「……――?」


セブルスはもぞりと身動いで、モゴモゴと唇を震わせた。それは消え入りそうな、遠慮がちの願い。

私は返事の代わりに両手を広げた。彼は慎重すぎるほどゆっくりと身体を寄せ、飴細工へ触れるようにふわりと抱きしめてくれる。その身体は震えていて、儚くて、消えてしまいそうだった。いつまで経っても込められることのない力。触れるか触れないかくらいで止まったまま。呼吸と共に入り込んだ彼の香りが私の記憶を刺激する。

私は抱きしめ返した腕に力を込めた。強く、強く、すがり付くように。こうして触れて良いのだと手本を示すように。


「リリー……?」


抱きしめあったまま、不安げに囁く低い声が耳を擽る。知らないけど、知っている。愛しくて、愛しくて、堪らない。

ゆっくりと離れた温もりが恋しくて、つい追いかけてしまいたくなる。


「一つ、聞いてもいいですか?」

「何なりと」

「プロポーズの言葉は?」

「なっ……にを、そのうち思い出す」

「言ってはくださったんですね。もしかすると、私が強引に押しきったのかも、と」

「本当は既にすべてを思い出しているのではないかね?」

「そうだと良いんですが……」

「……君はいつどのようなときも変わらず君だな。そんな君を私は――」

「私は?」

「私は冷めた紅茶を淹れ直す。以上だ」


君はもう少し休んでいたまえ、と付け加えて、セブルスは有無を言わさず部屋を出ていってしまった。残された私は再びアルバムを見返して、撮った記憶のない思い出を追いかける。

奥のページからはみ出していた写真の端を引き抜けば、うたた寝をするセブルスの隠し撮りが挟まっていた。ソファへ座りながら暖炉で温まる彼は、膝に乗せた分厚い本へ指をかけて目を閉じている。その表情はとても穏やかなもの。

本当はこちらの世界が夢の中なのではと陰りが心の奥底に潜みながらも、どうか覚めないでほしいと強く願う。

できれば、彼の隣で末長く一緒に・・。

Special Thanks
you
(2019.11.25)


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