「お腹が痛いんです」
その女はやけに目を引く容姿をしていた。スピナーズ・エンドには相応しくない金色の波打つ長い髪が地面へ流れることも気にせずに、道の真ん中で座り込んでいる。居合わせた少年は周囲に自分以外の人がいないことを知ると、数秒躊躇ってから女へと近付いた。
「医者を呼んだ方が……?」
少年にはその女が正しく病人であるように思えた。
「医者?――あぁ、癒者。その必要はありません」
女の返答に少年の黒い瞳が輝いた。医者を癒者と呼ぶのはごく一部の人間だけ。母から聞いたその仕事を思い出しながら、少年はまた一歩、女へと近付いた。
「あなたは魔女?」
「あら、小さな魔法使いくんはとても賢いようですね」
「そんな、ことは……」
少年は嬉しいやら恥ずかしいやらで指先をもじもじと動かしながら、チラリと女の青い瞳を見た。その周囲に広がる枯れたような表情に、少年は当初の目的を思い出す。そして再度口にすべく息を吸い込んだ。
「お恵みいただけますか?」
しかしそれを遮るように女が口を開いた。差し出された白く美しい手に吸い込まれ、少年は考える間もなく己の右手を差し出す。
「お恵み」とは?
そう過ったときには遅く、少年は女に引き寄せられていた。大した力も入っていないその手は少年を膝の上へと誘導し、それが叶えば腰へと緩く巻き付く。
逃げる余地の多分に残されたその状況に、少年は咄嗟に立ち上がることができなかった。逃走を試みて失敗したときの絶望感が怖かった。背に感じる温かな人の気配に束の間の安らぎを感じてしまった自分が怖かった。
「ほんの少しだけ」
そう言って何度か頭を往復した手に、少年は僅かに残っていた抵抗する気力さえも抜かれてしまった。
チクリ、と少年は首筋に鋭利な何かが突き刺さったのを感じた。しかしそれは不思議と痛みを伴わず、どちらかと言えば掻痒感に近い。傷口の周囲には柔らかく温かな何かが推し当てられ、ねっとりと何かが這って、少年はようやく正体を掴むことができた。
「吸血鬼……」
少年は解放された身体でそう呟くのがやっとだった。ふわふわとした心地とは裏腹の、抗えない倦怠感。少年の目にはハツラツとした美しさの女が映っていた。
「まだ味も若い。もう少し経てば私好みに熟れそうですね」
「僕に、何を……っ」
「私に目を掛けられた子はみんな出世しているんです。等価以上の交換だと思いますが」
女の言葉を理解できずにいるほど少年は幼くも鈍くもなかった。ただ「出世」というものが自分にとってどれだけの価値をもたらすかは想像できずにいた。
回復した女は少年を軽々と抱き上げて、少年が目を見張り動揺を隠せなくなる玄関扉の前へと下ろす。何故ここを、と問いたげなその唇へ指を当て、女はにっこりと笑みを浮かべた。
「また会いましょう」
Special Thanks
you
(2019.9.24)