目眩がする。
ホグワーツの八階にある一室で、スネイプはこめかみに手を当てた。もう片方は絢爛な執務机へとやって、身体を支える。数メートルの距離で壁の肖像画と話すリリーに気取られることのないように。誰よりも、いや今のスネイプにとっては唯一の、彼を案じる存在へ、酷使しすぎた心身を隠す。
頭痛は治まる気配を見せなかった。
日頃の激務が堪えている。校長として、死喰い人として、ダンブルドアの駒として。1人が背負うには多すぎる。しかし無駄なことを考える隙もない日々が、スネイプにとっては幸いでもあった。
リリーのために、
救うべき大勢のために、
そしてリリーのために。
「セブルス!」
校長室がグラリと揺れた。それがスネイプの視界だけで起こったと気付く間もなく、彼の身体は床へと倒れた。
スネイプはボロ屋敷にいた。一歩踏み出すごとに軋む床板へは構わずに、彼はもう1人の登場人物と話していた。お互いが歩み寄る気など更々ないやり取りは、冷えきった春の夜にうってつけの雰囲気を醸し出す。
スネイプは自分で話していながら自分の言葉を聞き取ることが出来なかった。声を荒げたり猫なで声をだしてみたり。時には身振り手振りをつけて、もう1人の男へ何かを訴えていた。視界の端に映る自らの指先に、今朝作ってしまったばかりの切り傷が見て取れる。
それは突如として終わりを告げた。
男が大蛇を解き放つ。一直線に向かってくるその巨体に、スネイプが抗うことはなかった。
時を移さずして、彼の身体は床へと倒れた。
「セブルス!」
スネイプは校長室にいた。先程まで見ていた光景と何ら変わりない、いつもの雑然とした部屋だった。窓の外に広がる夜空も、星一つない今日の空。そばに座り込むリリーがほっと安堵の息を吐いた。
「一体……」
「倒れたんです。あなたは少し休まなきゃ」
「どのくらい意識を失っていた?」
「ほんの1、2分」
「そうか」
スネイプは床に手を突き腰を上げた。しかし隣でリリーが彼の腕にひしとしがみつく。
「リリー」
「少しだけ、ほんの少しだけで良いんです。休みませんか?もう学校中が寝静まる時間です」
スネイプはリリーを見つめた。その真っ直ぐな黒い瞳の奥で、思い浮かぶのは先程の光景。夢とするにはあまりにも生々しい。この荒廃した日々で預言者としての能力が芽生えてしまったのではと、そう過ってしまった。
「君はどうする?私が明日――或いは今日――死ぬとしたら」
「ポッターがホグワーツへ乗り込んで来るかもしれない、と報せが入ったからですか?」
スネイプが最後に見た彼は復讐心の塊だった。読みやすく幼い丸裸の心で立ちはだかろうとしてきた。
あれから1年。彼が何をしていたにしろ、自分に敵うほどまでは成長していまい。そうスネイプは心で嘲笑う。
「違う。だが、きっかけはあの子に違いない」
瞬く間にリリーの目に涙が溜まった。スネイプは逸らしたくなる衝動に拳を震わせ耐えていた。
すがる彼女の力が、ふっと抜けた。
「私は……どうもしません。どんな未来が待っていようと、あなたの意思を尊重します」
決意とは裏腹に、その声は消え入りそうだった。普段の彼女とは比べ物にならない声色で、それでも瞳だけは強い炎が燃えている。
とうとう溢れた彼女の涙を、スネイプの親指が拭った。
「たとえ世界が私たちを別とうとも、私はいつまでもセブルスを愛しています」
自然と唇が重なった。すぐに離れた温もりを追うことはない。彼の手のひらに覆われた頬を、リリーがグッと引き上げた。明るく誤魔化した声を無理矢理に作ったいつもの笑みが支える。
「くらっときました?」
Special Thanks
you
(2019.5.1)