初恋を未だ知らない。
そう白状すると、みんなは寄って集って珍獣を見るような目で私を質問攻めにする。恋を知らないのはそんなにおかしいことだろうか。
パートナーがいなくとも、私の毎日は充実している。仕事が恋人とは言わないが、オーナーに誘われ始めたこのカフェで働いている時が今は一番楽しい。
月曜の朝イチに死にそうな顔で現れるスーツの女性はブルーレディ、毎日昼頃に現れる砂糖山盛り入りの青年はミスターシュガー、そしてこの暑い夏日に毎回黒ずくめで来る男はブラックマン。彼は夏の間だけ、週に一度は現れる。
今日もまた、いつもの黒で彼は現れた。
「こんにちは。ご注文はいつもと同じですか?」
「……それほど頻繁に来ているつもりはないが」
「真夏に黒ずくめで来られる方はそう多くありませんので」
「生憎、服装に口出しをしてくれる友人がいないものでね」
用意した持ち帰り用のカップを差し出すと、彼は「どうも」とだけ残して店を去った。
一週間もしないうちにまた彼はやって来た。片手に知らない新聞社の夕刊を握りしめ、うっすらとついた隈の目。けれどいつもの全身黒は取り止めて、黒のスラックスはそのままに、シャツがグレーへと変わっていた。
「こんばんは。今日は黒ではないんですね」
「君に指摘されてから着づらくなった」
「グレーもお似合いですよ」
「この店では世辞を売っているのか?」
「いつもの、ご用意しますね」
少しずつ、少しずつ、会話を重ねた。いつしかそれが楽しみになって、彼を待つ自分に気付いた。いつか名前を聞けたらいいな、なんて思ったりして。容赦なく迫る秋に憂鬱になったりもして。
でも、たぶん、きっと、おそらく、自信はないけど
これは恋じゃない。
Special Thanks
you
(2019.4.22)