11月も半分が過ぎ、刻一刻と試合が近付いていた。そろそろ言わなければならないことがある。その相手は私の部屋でソファにちょこんと座り、嬉しそうに足をばたつかせていた。
私はこれから、ドビーに解雇を申し渡さねばならない。すべては彼にホグワーツで働いてもらうため。
「ドビー、君に言わなくちゃならないことがある」
「何なりとお申し付けください!」
ピョコンとソファから飛び降り胸を張るドビーに、心がズキリと痛む。
「ドビー……あー、今月いっぱいで君を、解雇する」
自由な屋敷しもべ妖精に洋服は意味がない。私は言葉で伝えなければならなかった。楽観的に彼を雇ったことをこれほど後悔したことはない。
ドビーの大きな目が一層大きく見開かれ、みるみるうちに潤んでいった。
「リリー・エバンズ?ドビーはお役に立てていませんでしたか?ドビーはいけないことをしたのですか?ドビーは悪い子!」
衝動的に走り出そうとする彼の手を辛うじて掴み、癖になったままの罰を防ぐ。
「ドビーのせいじゃないよ。そこは分かってほしい。君は素晴らしい屋敷しもべ妖精だ。だけど……そろそろお店を畳もうかと思ってね」
私はドビーの隣へ移動して、その手を握り、ソファへ座るよう促す。
ギリギリまで開けていたかったがそれももう限界だった。この3ヶ月間、以前ほど古書店の仕事に労力を割けていない。すべてにおいて中途半端に手を出すことを止める時期が来たのだ。
まず手始めに、古書店から。
「店を閉めるのが、最後の仕事になる。ドビーにしか頼めないんだ。お願いしてもいい?」
「もちろんです!」
ドビーはポンと胸を叩き、微笑んだ。
「ここからは提案なんだけど、ウィンキーって屋敷しもべ妖精を知ってるね?」
「ドビーはウィンキーを知っています!彼女も自由な屋敷しもべ妖精になったのでございます!」
「彼女を誘ってホグワーツで働いてみない?ダンブルドア校長には私から頼んでみる」
「ホグワーツで?」
「そう、ここで。ここ以上に素敵な働き口なんてないんじゃないかな。考えてみてほしい」
ドビーは目を輝かせ、コクりと頷いた。
数日後の日曜日、朝一番にドビーは絶望に打ちひしがれるウィンキーを連れてやって来た。二人揃ってホグワーツで働きたいとのことだった(しかしウィンキーにその意志があるようには見えなかった)。
朝食に降りた大広間では私以上に食の細くなったポッターがいて、《本》の予言通りドラゴンのことを知ったのだと分かった。順調にクラウチJr.があちこちに策を張り巡らせている。
ドラゴンの囲い地の設営、テント、競技場、ドラゴン使いたちへの対応。仕事がドッと舞い込んだ。それらをすべて生徒に秘密裏に行うのだから神経を使う。
クィディッチ・ワールドカップで見たウィーズリー家の息子や魔法省の魔法ゲーム・スポーツ部にいる元同期との再会の挨拶もそこそこに、私は走り回る羽目になった。決まった授業を持たない私は実に都合のよい存在だった。
やっと作れた午後の休憩時間もスネイプ教授の呼び出しによって消え去った。ヘトヘトに疲れきった状態で繊細な調合をやり遂げる自信はなく、聞きそびれてしまった仕事内容によっては断ろうと心に決めていた。
「お待たせしました、教授。私は何をすれば?」
扉を開けた後事務机へと向かうスネイプの背に問う。珍しく責付くリリーに構うことなく、彼は座れとばかりにソファを指差した。
ソファテーブルには何も用意されてない。リリーは首を傾げながらも、研究室に通されないなら仕事は断らずに済みそうだとホッと息をつく。
「少し待て」
「はい」
そう言ったスネイプはいつもの事務机ではなく雑多(少なくともリリーにはそう見える)に物が置かれた棚へと向かう。リリーが視線だけで彼を追うと、砂時計が添えられ蒸らされているらしいティーポットが目についた。
リリーはくっと顔をしかめる。以前彼が魔法を避け紅茶を淹れた時の記憶がありありと甦った。紐付けされてするすると手繰らずとも引っ張り出される記憶は、楽しいお茶会だったとはとても言えない。
ムーディ……クラウチJr.……避ける理由……
スネイプ教授はあの日の続きをしようと言うのだろうか?
仕事で呼ばれたわけではないのは明確だった。未だ説明のない彼はテーブルにティーセットを置くと、事務机から手紙を呼び寄せる。
「これを」
おずおずと受け取れば、それはダモクレス氏直々の手紙だった。夏休み中にスラグホーン教授を介してダモクレス氏に脱狼薬についての意見書を出したことがある。驚きと期待にざわりと胸が踊った。
優雅に紅茶を飲むスネイプ教授を窺って中を引き出す。
そこには、送った意見は他からも出ており一考の価値がある、と感謝が綴られていた。強固な壁として聳えていたものも、私たちの仮説ならば越えられるかもしれないと。
「ス、スネイプ教授!」
カッと身体が火照り溢れる喜びをどう表現すべきか分からず、おろおろと助けを求めるように名を呼んだ。何度も何度も手紙を読み返し、じわじわと実感が伴ってきたころようやく顔を上げる。
バチリと目が合い、ふわりとスネイプ教授の口角が上がった。眉間は柔らかく解け、細められた目からは情が覗いている。
十分暑いはずなのに、またカッと熱くなる。
リリーは見慣れない、しかし自身の強く望んでいたスネイプの表情を直視できず、再び手紙に視線を落とした。
心臓がこれほど乱痴気騒ぎを起こしたのは初めてだった。祖父の手紙を読んだときでさえこんなに高鳴りはしなかった。ダモクレス氏の手紙が薄れてしまうほどの衝撃だった。
軽く目を閉じ、細く長い息で肺を空っぽにする。覚悟を決めて前を見ると、そこにはいつもの不機嫌顔のスネイプ教授がいた。落胆よりも安心した自分がいて、心の内で笑う。
「こんな風に聞き入れていただけるなんて思いませんでした」
「価値があると判断したからこそ、わざわざスラグホーンを煩わせてまで手紙を出した。当然の反応だ」
スネイプは得意気に眉を跳ねさせニヤリと口端を上げた。
「ありがとうございます」
スネイプは仕草一つで続きを促す。
「スネイプ教授が一笑に付したりせず知恵を貸してくださったお陰です」
「いや――」
言い澱んだスネイプは薄い唇をピクピクと動かした。迷いの見える黒い瞳を左右に走らせ、ゆっくりと瞬きをする。
「理論や知識があれば一を十にすることは難しくない。だが零を一にする閃きは、本を読んだからといって手に入るものではない」
スネイプ教授の言葉が不思議なくらい真っ直ぐ私に入ってきた。ぐっと喉が狭まったように息が詰まる。見つめる教授の顔がじわりと揺らめいた。溢れそうになる喜びを、天井に意識を向けることで防ぐ。
「だが喜ぶのは早い。氏が実験を繰り返し有益であると確証を得るまで、これは想像の産物に過ぎないのだからな」
「はい!」
スネイプ教授に評価された。私にはそれだけで十分だった。緩みきる頬を隠せず行く先々で怪訝な顔をされたが、それも気にならなかった。コツコツと独特の足音でさえ、私の気分を下げるには不十分だった。
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