デート


どんな日も必ず朝は来る。陽は昇り、ヒトの定める1日の始まりを告げた。林ではチチチ、ヒューイヒューイと鳥たちが互いの無事を確認し、木々を忙しなく行き交って、枯れ葉の下でも小動物の気配が強まる。

林に構える平屋は待ちに待った住人を迎え入れ、どこかむず痒くぎこちのない朝を始めていた。年季の入った蝶番を歌わせて、夜の残る空気を台所の窓から吐き出す。代わりにヒヤリと澄んだ草木の呼吸を取り込んで、住人へと今朝を伝えた。

彼方より飛来した斑のふくろうが我が物顔で台所へと着地した。ふくろうは運んだ紙束をダイニングテーブルへと放り出し、その細く白い右足を住人の女へと差し出す。そこには小さな袋がくくりつけられていた。


「ありがとうございます。小腹は空いてますか?」


リリーは皿へカリカリに焼いたベーコンを乗せ、ふくろうの前へと置いた。そして備え付けの棚へと移動すると、カゴから銅貨を5枚取り出す。その様子をふくろうはじっと狙いを定めた獲物のように追っていた。やがて小袋へ紙束の対価を受け取って、ついにベーコンをつつくことなく飛び去っていった。

林を駆けた風が平屋を通り抜け、バサバサと届いたばかりの紙束が風を孕んで広がった。動く写真の男は変わらずにこやかに手を振って、大見出しはチカチカとその文字を変化させる。リリーは身震いをし、換気を終えた窓を閉めた。

カチャリ、と台所と廊下を繋ぐ扉が開く。


「……おはよう」

「おはようございます、セブルスさん」


リリーが引いた椅子へとセブルスは座った。差し出された新聞を一瞥し、火元へと視線を流す。彼女がミルクティーを淹れに背を向けると、彼はテーブルに置かれたままのベーコンを指で摘まんで口へと放った。


「あっ」


マグカップを片手にリリーが立ち止まる。


「ふくろう用だろう?どうやら手をつけてもらえなかったらしいが」

「ネズミを用意しておくべきでしょうか……」

「用意する気が君にあるとは驚きだな。だが不要だ。ふくろう便は馴染みの客か余程の空腹でもない限り代金以外を受け取らない。尤も、その訓練に成功しているふくろうはごく一部だけだがな」

「ここの担当は優秀なふくろうなんですね」

「そうらしい。おかげで朝食をつつかれずに済む」


リリーは甲斐甲斐しく働いた。セブルスが家事を何一つせず済むように、そのすべてを率先して行った。朝食は時間もメニューも彼に合わせて用意する。それは彼女にとって苦ではなかった。寧ろ働いている間はこれが結婚生活であることを忘れられ、ぎこちなさを消して過ごせた。

セブルスは屋敷しもべ妖精との同居を思わずにはいられなかった。言わずとも食事は用意され、家中が清潔に保たれて、汚れた服は洗濯されて戻ってくる。ホグワーツにいた頃と同じ。違うのはその屋敷しもべ妖精が魔法を使えず、彼に語りかけてくることくらいだった。


「今日は買い物へ出てきます。何か必要なものや召し上がりたいものがあれば仰ってください」


特にない、とセブルスは答えた。あれば自ら買いに行く、と出そうになった言葉は呑み込んで、受け取ったマグカップへ口付ける。ミルクティーは温もりと共に彼へ一つの思い付きをもたらした。


「君は町に詳しいのか?」

「まだ詳しいと言えるほどではありませんが、大方の地理は分かります」

「もし可能ならば、案内をしてもらいたい。私も知っておいて損はないだろう」


リリーは眉を跳ねさせ大袈裟な瞬きをした。彼女の予想した返答と大きく異なっていることはセブルスの目にも明らかで、同時にその姿が純粋な驚きからくる反応であることまでも彼へと伝わる。


「もちろん、喜んでご案内します」

「……どうも」


彼から出た礼とも言えない言葉にも、リリーは感謝を見つけ出して柔らかに微笑んだ。




二人の住む平屋と町を結ぶ一本の小道。木々のアーチを20分も潜って行けば町へと繋がる幾分か大きな道へ出る。そこを二人で歩くのはこの地へ越して以来だった。


「その様なお召し物もお持ちだったんですね」

「マグルの町へ出るからには場に溶け込めるだけの配慮はする。……もし私の認識違いがあれば言ってくれ。服の形を変えるくらいはここですぐにできる」

「よくお似合いです」


リリーの言葉に嘘を見つけられず、セブルスは視線をさ迷わせた後コクリと頷くように首を動かした。引きずる布もなく足は軽やかで、多少の窮屈さはあれどそれなりの機能性は見受けられる。

半分ほども歩いてから颯爽と進む自身に遅れまいとする彼女の様子に気が付いて、セブルスは足が縺れるような思いでのっそりと足を動かした。


町は栄えているとは言い難く、しかし決して寂れているわけでもない。のどかで時間の歩みがゆったりと流れていた。田舎町と呼ぶに相応しいこの場所の空気に二人はほっと息をつく。

広場、教会、パブなど町の中心部やこぢんまりとした趣味の延長のような温かみある店をリリーが案内して回る。ゆっくりと見て回っても大して時間はかからずに町を一周し終えることができた。

日暮れはまだ先で、夕食にも早い時間。近隣で採れた野菜ばかりを扱う小さな店へ立ち寄って、今夜のメニューを吟味する。

リリーが今晩のデザート候補を手に取ったとき、ようやく奥から店主が姿を見せた。人の良さそうな笑みで二人へ歩み寄り、自慢の果実に胸を張る。


「観光かい?良ければすぐに食べられるよう切ってあげるよ。ここまで足を伸ばしてくれる人は珍しい」

「いえ、私たちは――」


リリーは言いかけて止めた。自主的なそれはセブルスを気にかけてのもので、続きを相談するべく横目で窺う。

彼がここへ越してきたことは大っぴらにすべきでないとミネルバに言われていた。真っ白だとは言い切れない手段でそれでも偉業を成し遂げた彼には静かな場所が必要なのだと聞いている。果たしてそれが所謂マグルの町でも有効なのかどうか、リリーは判断できずにいた。


「町の外れに引っ越してきた」


しかし彼女の配慮を他所に、セブルスは躊躇うことなく真実を述べた。


「なぁんだ、新婚さんかい!私からの祝いだ、買ってくれるならおまけしとくよ!」


店主はリリーの手から果実を拝借し、そのまま袋へと放り込む。次はどれだと袋を差し出され、二人が立ち去る選択肢など端からない様子の彼に、二人は思わず顔を見合わせた。


『新婚さん』


二人の脳裏に店主の言葉が甦る。お互いが妻で、夫で。これからを共にするであろう人物。バチリと合った視線に弾かれて、どちらともなく視線を逸らす。宙を漂った二つの意識は棚の青果へと注がれて、それぞれ異なるものを手に取った。


「仲良くやるんだよ」

「元よりそのつもりだ」


セブルスの返答にリリーの心へぽっと灯りが点った。はぐらかすでも黙りでもなく、彼は間を置かずに言葉を返した。隣に立つよく知りもしない夫はそれなりに自分との関係を良好に保つ気がある。それを知れたことが彼女は何よりも嬉しく、安堵した。


「あとは帰るだけでいいな?」

「はい。色々と買い込みはしましたが、夕食は何にしましょうか?」

「この歳の胃に合うものなら任せる」

「寮の食事は合いませんでしたか?」

「食材も味付けも子供に合わされては堪らん。私はどこかの老魔女よりも繊細なものでね」

「ミネルバおばさまが聞いたら怒られてしまいますよ」

「私は彼女の話をした覚えはないぞ」


ハッとリリーが彼を見て、セブルスはしたり顔で彼女を見やる。「怒られるのは私だ」と嘆く彼女に彼は適当な慰めを並べてみせた。

砂利を踏みしめる足音が二つ分のリズムを刻む。平屋のある林では今朝とは違う鳥が夜待ち遠しく鳴いていた。沈み行く陽が横から照らし、二人の影を伸ばして重ねる。はちみつ色の家々が帰路を見守っていた。







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