結婚


魔法とは無縁の小さな田舎町から外れ、森の小道を二人分の足音が続く。男が浮遊するトランクを従えて先を行き、女が殿を務めていた。

空を覆う木の葉は幾重にも重なり、僅かな隙間からは夏も終盤に差し掛かった太陽の光が二人へ届く。草木に滴る昨夜の雨が土の匂いと共にその青臭さを誇らせていた。男が気にせず踏んだ小さな水溜まりを、女はひょこりと飛び越えた。

小道の突き当たりには、一家族が暮らすには十分な広さの平屋が建てられていた。


「ここに地下室はあるのか?」


男は初めて訪れた家を前に足を止めた。


「いいえ、ないはずです」


女はプカプカと浮かび続けるトランクに釘付けになっていた視線を彼へと向ける。好奇の視線が消えたことに安心して、トランクが音もなく地面へ着地した。


「では一番日当たりの悪い部屋を私が使わせてもらう。君にとっても不都合はないだろう」

「それは、そうですが……」

「地下暮らしが長かったせいで、太陽に叩き起こされるのは性に合わん」

「地下、ですか?ミネルバおばさまは『私室からの雄大な眺めは何十年見ても飽きなかった』と……」

「まぁ、職員の私室にも色々とある」


話を切り上げ、男はトランクを手に古びた木柵の途切れた場所から敷地へ踏み入った。庭を横切り、伸びた芝も、混じる雑草も、母屋から切り離されて建つ右手の小屋にさえも目を向けることなく、真っ直ぐ玄関扉へと進む。


「待ってください、ミネルバおばさまから預かった鍵を私――」

「アロホモラ(開け)」


扉からカチャリと開錠の音がした。女は小さなポシェットへ手を突っ込んだまま、ポカンと口を開けて固まる。男が振り返り、小馬鹿にして鼻を鳴らした。


「私の分の鍵は必要ない」

「……もう、作ってしまいました」


ずんずんと家を物色し始めた男の背に、女が呟いた。






セブルス・スネイプは結婚した。それは魔法界からの失跡。知らされた極少数の人間は皆一様に驚愕した。

ホグワーツ大戦を辛くも生き延びた彼は、日刊予言者新聞曰く、影の英雄。それは彼にとって望まぬ脚光だった。どこへ行くにも視線が集まる。ホグワーツへ戻ることもせず、彼は次第にスピナーズ・エンドへ籠るようになっていた。

そんな彼を心配した一人にミネルバ・マクゴナガルがいた。彼女は彼へマグルに紛れる暮らしを提案し、その協力者として一人の女を紹介した。二人には通ずるものがあるに違いない。何か新たな未来が始まるかもしれない。ミネルバはそう期待していた。そんな彼女にとっても、二人の結婚は青天の霹靂だった。

スネイプはスピナーズ・エンドを離れることを躊躇わなかった。元より残したい思い出のある場所でもない。新天地がどんな場所であろうと、生家よりはましに違いない。たとえそれがドラゴンの棲みかに近かろうと彼は構わなかった。


リリー・エバンズは結婚した。それは新たな出発。家族は彼女の決断に戸惑いながらも祝福した。

魔女をおとぎ話だとする世界にいたエバンズ家は、第二子の誕生を機に世界が変わった。リリーの妹は魔女だった。家族は大いに喜び、リリーも素晴らしい祝福だと受け入れた。しかし一方でリリーは魔法を自身と関係ないものとして深く関わることなく生きてきた。

そんな彼女の人生は、愛した人の死によってまた大きく変わる。結婚の約束をした矢先の不幸だった。誰かに感情をぶつけることもできず、ただ亡き彼を思い続けることしかできない日々。彼の死から10年が経とうとしていた。

暮らしていた部屋は彼との思い出に溢れすぎていた。彼女は引っ越しを決めるまでに時間を要した。旅行鞄に彼の写真を一つ忍ばせ、心を決める。

そうして数度顔を合わせただけのセブルス・スネイプとリリー・エバンズは結婚した。

二人の真意を知る者は誰もいなかった。互いに唯一と信じた者を失い、新たな者との共生を始める。それが二人の未来にどう影響するのかも、知る者は誰もいない。

しかし誰もが穏やかな物語を願った。






「まずは家に名を付ける必要がある」

「名前を……?」


ぬいぐるみや愛車に名付ける愛好家を思い描き、リリーは心底意外だという表情をした。セブルスと地の底まで深まった親睦などない彼女であっても、彼が到底そのようなタイプだとは思えなかった。そんな彼女の心を見透かして、彼が眉間にシワを寄せる。


「私の趣味ではない。暖炉を煙突飛行ネットワークへ組み込むために便宜上の呼び名を――簡潔に言えばこちらの都合だ。マグルに紛れて暮らすとは言え、私は魔法を捨てたわけではないからな」


リリーの右耳から左耳へ説明が通り抜ける様を見たような気がして、セブルスは大きく息を吐き出した。血縁者に魔女がいるものの、彼女の振る舞いはほとんど生粋のマグルそのものだった。


「君にはこの家がどう見える?」


気を取り直したセブルスが再度問い掛ける。


「素敵な家だと思います。自然に囲まれて、生き物がたくさんいて賑やかで。外の柵にはセミの脱け殻、庭の隅には獣道、きっとこの家のどこかにも小さな隣人たちは隠れているはず。私には初めてで楽しいものばかりが見えます」


リリーの答えに満足したのかしていないのか、セブルスは顎へ手を当て会話の続きへ間を置いた。そして開け放たれたままの玄関扉から流れ込む風を吸い込み、異論は認めないとばかりに目をギラつかせた。


「脱け殻の家。我々の住む場所としてはなかなかに適した名だろう」

「脱け殻……」


リリーはポッカリ空いたままとなっている自身の奥深くへと手を当てた。どれだけの時が経とうとも、明るく振る舞っていても、そこにいるはずの人物は抜け落ちたまま。

同時にセブルスは廊下の隅へと視線を隠した。たとえ忘れ形見を守り抜こうとも、賞賛を浴びようとも、失われた人物が再び微笑んでくれることはない。

風に押された扉がバタンと音を立て、二人は薄闇に放り込まれた。どちらともなく顔を見合わせ、互いの読めない表情に安堵する。


「これから、よろしくお願いします」

「あぁ、こちらこそ」







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