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 暖かい、夢を見ていた。まだ、何も知らなかった頃の夢だ。優しかった父と母、その手を握って無邪気に笑い転げている自分。懐かしい光景が、目まぐるしく眼裏を通り過ぎていく。まるであの時に戻ったかのように、少女の心に光が溢れだした。母の胸に抱かれているような、父の背におぶられているような、そんな安らぎ。
 しかし、微睡みから目覚めた時、少女はそれらが全て凍りついていくのが分かった。
「……ゆ、め」
 のろのろと顔を上げながら、少女は呟いた。瞳に映るのは、揺らぐことのない現実だ。閉ざされた部屋。ここにあるのは生きるのに最低限の備品と、床に散らばった数冊の本。そして隅に蹲る自分だけだった。窓すら無い密室は常に薄暗く、空気さえ重たい。床も壁も剥き出しの石の感触で、そのひんやりとした温度が少女の精神さえも凍えさせていく。
 息が、詰まりそうだった。ここに入れられてどれくらいになるだろうか。日付さえあやふやになっていく感覚に怯えながら、少女は指折り数を数える。一カ月と少し、だろうか。あの恐ろしい話を耳にしてから――。
「……怖くない。怖くない」
 再び固く目を瞑り、膝に顔を埋める。震える身体を鎮めようと、少女は呪文のように繰り返した。
 最近、幸せだった頃の夢をよく見る。とうの昔に失って、二度と戻ることは出来ないであろう日のことだ。ある種の諦めさえ覚えていたというのに、心が逃げ場を求めて過去を揺り起こす。それが、逆に辛い現実を際立たせるだけだというのに。
 こんな風に考えるのは、初めてではない。閉じ込められるよりずっと前、初めてこの場所に連れてこられた時もそうだった。人も、物も、自分を取り巻く全てが得体が知れず、恐ろしかった。毎日、逃げ出したくてたまらなかった。それでも気が狂うこともなく留まり続けていられたのは、ひとえにあの少年のお陰である。彼は愚かにも何も知らず、けれども純粋な優しさで少女に接してくれた。彼と手を繋ぐことで不安が和らぎ、周囲の環境や人にも慣れ、少女は笑顔さえも取り戻すことが出来た。その日々だけが今の少女が持つ大事なもので、唯一の心の支えだった。
 だが、その少年はもうここには居ない。少女自身がそれを選んだのだ。彼だけでも、助けなければ。そう決意して必死に出立てを講じ、その結果が今なのだ。幼く未熟な思考では己の身までは顧みることは出来なかったが、仕方がない。自らが望んだ結果だ。だから、怖くはないはずだ。彼が無事ならば、それでいい。
「……ルアス、どうか無事で……」
 光の差さない檻の中、少女は孤独に祈り続けていた。


第四章・終


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