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「……立てるか?」
 反射的に身構えたゼキアだったが、予想に反して彼はゆっくりと手を差し伸べた。一瞬何を言われているのか解らず、その手と男の顔を見比べる。ようやくその意図を理解すると、ゼキアは男の手に捕まり立ち上がった。
「部下がすまなかったな。怪我はないか?」
 その問い掛けに、ゼキアは無言で頷いた。転んだ時の軽い擦り傷はあったが、大したことはない。どうやらこの男――オルゼスは、人を人として扱うくらいの分別はあるらしい。
「私の顔に、何か付いているかな」
 しげしげと己の顔を眺めるゼキアを不思議に思ったのか、オルゼスは首を傾げた。声音は至って穏やかだ。気に障った、という風でもないことに安心し、ゼキアも本音を漏らす。
「……まともな奴もいるんだと思って。みんな、さっきみたいなのと同じかと思ってた」
 それを聞いたオルゼスは瞠目し、困ったように苦笑した。正直すぎる感想だったが、実際にそうなのだから仕方がない。今までに見てきた騎士というものは、粗暴で人を傷つけることを良しとするような輩ばかりだった。彼のように弱者を助け、こんな風に声を掛けてきた者はいなかった。そんな率直な意見にも、オルゼスは動じる素振りも見せない。それどころか膝をついてゼキアと視線を合わせ、静かに語り始めた。
「そうだな……あれが普通であることなど、本来なら許されない。なのに、それがまかり通っているのは嘆かわしいことだ」
「副団長って呼ばれてた。あんた偉いんじゃないのか? なんとかなんないのかよ」
 バートが口にした呼称を思い出し、ゼキアは訴えた。騎士や役人がよく言う『身分の高い者に従え』という言葉に倣うなら、それなりの地位がありそうなオルゼスには皆従うのだろう。ゼキアはそう思ったのだが、彼は悲しげに目を細めるだけだった。
「もちろん、善処はしている。だが、私一人では難しい事も多くてね……そうだな、君のような正義感の強い子が騎士団にいれば、もっと違うかもしれないが」
「俺ぇ?」
 予想だにしなかったオルゼスの発言に、ゼキアは思わず素っ頓狂な声を上げた。
「むりむり、父さんと母さんの手伝いもしなきゃいけないし、リスタは泣き虫だから俺が見ててやんなきゃいけないし……あ、からかってるんだろ!」
 ひとしきり否定の言葉を並べた後にその可能性に思い当たり、ゼキアはオルゼスを指差し非難した。それの何が可笑しかったのか、彼は声を上げて笑い始める。
「ほら、やっぱり!」
 どうせそんな事だと思った、と不貞腐れると、声を抑えながらオルゼスはゼキアの頭を撫でた。
「いやいや、本気でそう思っているよ。騎士相手に立ち向かっていく勇気は素晴らしいし、身のこなしもなかなかだ。君は筋が良い。私が直接稽古を付けたいくらいだよ」
「本当かよ……」
 オルゼスは悪人ではないかもしれないが、やはり騎士というものは信用ならないのかもしれない。そんな思いで彼を疑いの眼差しで睨んでいる最中、後方からオルゼスを呼ぶ声が聞こえた。振り返ってみると、何やらこちらに合図を送っている。先程の男とは別人だったが、やはり彼の部下なのだろう。オルゼスは再びゼキアの頭を二、三度撫でると、おもむろに立ち上がった。
「さて、私もそろそろ行かなくては。君、名前はなんという?」
「……ゼキアだけど」
「ゼキア、だな。次は本当に勧誘しに来よう。またな」
 そう告げて微笑むと、オルゼスは部下の元へと戻って行った。その背中を見送りながら、ゼキアは告げられた言葉を反芻する。
「俺が騎士、ねぇ」
 考えたこともなかった。自分はこの村で友達と遊び、両親を支え、妹を守って暮らしていく。なんとなく、そんなものだと思っていた。だが、初めて提示された選択肢に心が動かないと言えば嘘になる。民衆を無下に扱うような騎士は御免だが、オルゼスのように虐げられる人々を守れるなら。デルカ村や、家族を救えるなら――それも、悪くはないのかもしれない。
「……あ、そうだ! リスタ!」
 暫し自分の将来像に思いを馳せていたゼキアだったが、不意に妹の存在を忘れていたことに気が付いた。恐らくは宿屋で待っている筈だ。まだ泣きべそをかいているかもしれないし、早く迎えに行ってやらなければ。そう思って駆け出した時には、既に騎士になるなどということは頭から消え去っていた。
 ――この日が人生の境目になるなどとは、幼いゼキアは考えもしなかったのである。


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