02

 なのだが、彼がまったくそういう空気にしてくれない。このままなあなあでいきそうで少し怖い気はしている。
 というか私が彼のことを知らないのと同様、彼だって私のことをよく知らないはずなのだが、いったい彼は私のどこを気に入ってくれたのだろう。
「断るなら早く断っておきなよ」
「分かってるよ」
 人に好かれるのは悪い気分じゃないし、ありがたいとは思うんだが、優柔不断を自覚しているだけあって、中途半端な状況に甘んじているとずるずると断れなくなりそうで、嫌だ。
 しかし私には、青井氏のことよりももっと考えるべき、悩むべきことがある。
「亜衣ちん、ただいま〜」
 夏休みに入ると、兄が帰省してきた。
「おかえり。相変わらずチャラいね」
 リビングで雑誌を読んでいた私は、顔を上げて彼を迎え入れる。兄に甘い母は、比呂が帰ってくるから今日は腕によりをかける、と言って張り切って夕飯の買い物に出かけている。私が寮から帰還したときもそんなことしなかったのに、つくづく不公平である。
「え。俺チャラい?」
「服装とか見た目とかがじゃなくて、中身が」
「それ一番ヤバイやつじゃん」
 派手な柄のTシャツにデニムのハーフパンツを合わせた彼は、ヤバイとか言いつつけたけた笑い飛ばして私のとなりに座った。そして急に真面目な顔をする。
「髪伸びたね」
「うん」
「亜衣、髪の毛きれいにしてたもんね」
「うん」
「ごめんね」
 眉を下げ、自省している様子の兄は、私の頭をこどもにするように撫でる。
「俺、亜衣のロングヘア好きだったのになあ」
「誰のせいだと思ってんだよ」
 私の怒りは一応鎮火はしたもののまだくすぶっている。
「だってまさか、俺が帰らなかったことによって亜衣が被弾するとか思わないでしょ」
「それ母さんの前で言ってやって」
 唇を尖らせて母の顔を思い浮かべる。ほんとうに、学費がもったいないからって娘の人権を踏みにじるとは思わなかった。よくよく考えると非道な母親である。
 少し伸びた私の前髪をいじっていた兄は、ふと呟いた。
「でも、そのおかげで秋吉とも出会えたし、俺思うけど、悪いことばっかじゃなかったでしょ?」
「それは……」
「びっくりしたもんね、吉瀬比呂がめっちゃ皆に愛されててさ、亜衣ってやっぱすげえんだなって思った」
 兄の口ぶりは、ほんとうに感心したようなそれで、私は少し照れくさくなる。私が演じた吉瀬比呂は、皆に愛されていたのだと思えば、たしかに悪いことばかりではなかった。
「薫、元気にしてる?」
「超元気。元気すぎて困っちゃう」
 首をすくめて、兄がため息をつく。
「よかった」
「でもそれ秋吉に聞いたら駄目だよ」
「え?」
 急になんの話をしているのだ。首を傾げる。そして、先日のデートでたしかに、秋吉は私が薫の話題を振ると不機嫌になっていたのを思い出した。もしかして、兄はそれについてなにか事情を知っているのだろうか。
「秋吉って、薫と喧嘩してるの?」
「してないよ」
「でも、秋吉に薫の話すると、すごく不機嫌になってたよ」
「でしょうね〜」
 にたり、と兄の顔が歪む。その胡散臭さに若干引き気味になるも、ここをうやむやにしても仕方ない。と言うよりは気になってしまう。
「なんで?」
「秋吉は、ほら、やきもちやきだから」
「はあ?」
 こいつはなにを言っているのだ。薫のことと秋吉の元来の性格になんの関係があると言うのだ。というか、秋吉ってやきもちやきだったのか。
「亜衣がほかの男のこと一生懸命考えてんのが気に食わないの。秋吉は、亜衣に好かれてる自覚があるから、そういうことされると不機嫌になっちゃうの」
 ちょっと待て。好かれてる自覚がある?
「もしかして私の気持ちばれてんの?」
「なんでばれてないと思ってんの?」
 そこを突っ込まれると苦しい。たしかに私は分かりやすい人間だと言われるし、秋吉もそう言っていた。けれどまさかそんなことまでばれているとは思いもよらないだろう。兄にならまだしも、秋吉本人にまで。……ということは、先日のデートでも、全部ばれていたというのか。

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