03

 教室に入ると、ずらりと並んだ机のひとつひとつに名前が印刷された紙が貼りつけてあって、私は、後ろのほうにあった自分の席に座ってクラス全体を見渡した。先生が来るまでのわずかな時間でも、こいつは持ち上がり、あいつは編入生、とう区別はなんとなくついた。昨日今日知り合いました、という雰囲気でもないわきあいあいとした空気が持ち上がりの連中を覆っている。私はさみしい編入組なので、椅子に座ってすることもなく先生がくるのを、頬杖をついて待っていた。ちなみに、薫も秋吉も席が一番前なので、話す相手もいない。となりの席の奴は、先ほどおそらくトイレに立ってしまった。
 スライド式のドアが開く。私が通っていた中学校のドアは、古ぼけて建てつけも悪くなった木製のものだったけれど、さすが私立の進学校、すっと開いてすっと閉じる。
 入ってきたのは、笑っちゃいけねえ、とは思いつつ、思わず視線がそこに向かってしまうバーコードハゲのおじさんだった。年齢は想像がつかない。四十代くらいにも見えるしもっといっているようにも見える。先生が入ってきて、ざわざわざしていた室内は波が引くように静かになった。皆なんだかんだ言って緊張しているのだろう、編入組はもちろん、持ち上がりも。
「ええ、これから一年間君たちのクラスの担任になる、田中壮士だ」
 言いながら、自分の名前をぴかぴかにきれいな黒板に書く。振り返った拍子にバーコードの一部がふわりと風に浮き、皆の小さな笑いを誘った。それに気づいているのかいないのか、何も変わらない態度で先生は続ける。
「持ち上がりの人たちは分かっていると思うが、……あまりこんなことは言いたくないんだが、ここは日本でも有数の進学校だ。正慶の名を汚さないように、品行方正に行動すること」
 相槌はない。皆しいんと静まり返っている。先生はそれに構うことなく、咳払いをひとつして、続けた。
「それじゃあ、持ち上がりの人たちは知った顔も多いと思うが。五十音順に自己紹介でもしようか」
 自己紹介。それは私にとってひどく苦痛なことのひとつである。まず、無趣味に近いのだ。とりあえず、名前を言う。これではきっと足りない。趣味は男の乳首当てゲームですなんて口が裂けても言えない。ほかの趣味と言えば、漫画はあまり読まないし、小説もほとんど読まないし、世相には疎いしインドアだし、ツイッターに入り浸ってくだらないことをして友達(オンオフ問わず)と騒いだりしているなんてとても言えないし、いったいどうすればいいのか。趣味はネットサーフィンです。……考えれば考えるほど、さみしい人間である。
 ……そうだ。
 兄の趣味を言えばいいのだ。私はここでは吉瀬比呂なのだから。あれは私と反対に多趣味な男なのだ。食べ歩きにカラオケに漫画にゲームに、ほかにも枚挙にいとまがない。何か無難なものをひとつ選別しておこう、と考えているうちに、とうとう私の番がやってきてしまった。
「えっと、吉瀬比呂、です。一応短い間ですが、イギリスにステイしていました。趣味は……えっと……カラオケです……」
 ちなみに兄はカラオケ店自体には滅多に行かない。基本的にケチなので、目に見えない「時間を買う」という行為は嫌いなのだ。なので、家でヘッドフォンをつけて熱唱するのが常である。あれはよくない、最高に音痴に聞こえる。なぜ私は数ある兄の趣味の中からカラオケを選んでしまったのだ。
 それはさておき、なんとか自己紹介を切り抜けた私は、席について待てよと考える。寮生活でカラオケに行く機会なんてめったにあるまい。もしかしてなかなか機転の利いた自己紹介だったのではないか。などと思っていると、となりの席の奴が、私が一息ついたのに合わせて耳打ちしてきた。
「歌好きなんだ? だったら新歓パーティもいけるな」
 ん? 新歓パーティ?

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