「お待たせ。……どうしたの? 怖い顔をして」
「……いや、甘いものは好き?」
「ええ」
「アイスでも食べながら帰ろうか」
 丁寧にラッピングされたウサギのぬいぐるみを抱え、レイラは殊勝な顔で頷いた。
「でも、わたしの分のアイスはわたしがお金を出すのよ」
「参ったな。男に見栄も張らせてくれないのか、このお嬢さんは」
 困ったような顔をしたレイラに笑って、歩き出す。なるべく人通りの多い道を、と思いながら、ミナトミライに人が少ない場所なんてそんなにないことに安心する。
「送るよ。家はどこ?」
「平気よ。ひとりで帰れるわ」
「大丈夫、送り狼になんかならないし、レイラが家に入ったところを見届けて、それでデートを終わらせないと」
「……駅までで平気。家はコウナンダイよ」
 なるほど、それなりに裕福な家庭が多いイメージの地域だ。それでこんなに品のいいお嬢さんが育ったというわけだな。
 散々迷って、コウナンダイの駅前なら人目も多いし大丈夫だろうと踏んで、頷く。
「オーケー。駅まで」
「ありがとう」
 電車に乗る。もちろん、尾行がくっついてきているのを確認した。顔は覚えがないが、おそらく他勢力の若手だろう。レイラをシートに座らせて、俺は吊革に掴まって彼女を見下ろす。レイラはぽつんと呟いた。
「あの、今日はほんとうにありがとう」
「俺のほうこそ、楽しかったよ」
「あなたはちょっと怖そうに見えるけど、とても優しいのね」
「……実はとても怖い人かもしれないよね」
「そうかしら?」
 俺がひとりになったところを狙うはずだが、もしかしてレイラにその矛先が向かないとも言い切れない。だから、俺はレイラが家に帰りつくまでをこっそり見届けることを決意していた。
 コウナンダイの駅前、デパートの前でレイラがこちらを振り向く。
「ここまでで平気よ。バイバイ」
「うん。また機会があれば、会えるかな」
「ええ、またね」
 にっこりと笑い、レイラはその場でくるりと回る。
「とっても可愛い服と、楽しい時間をありがとう」
 翻ったスカートの裾に目を奪われかけて、我に返る。この先レイラがどちらの方角に向かうかは分からないが、住宅街のほうに行ってしまうと途端に人通りは少なくなる。それが不安だった。
「じゃあ、また」
 手を振って、レイラが小走りに駆けて行った方角は、案の定住宅街の方角だった。笑顔で手を振って、見えなくなるまで見送る姿勢を見せて、それから振り向いて飛んできた拳を手で受ける。
「ご挨拶だな、初対面から」
 三人いる。人の流れが切れる時間帯なのか、あたりにはあまり人の気配が感じられず、またただならぬ空気を察するのか、通りの向こうからやってくるはずの人が来ない。
「俺たちのシマで好き勝手やってくれてるじゃねえか」
「シマ……?」
 身に覚えのないことを言われて、思いを巡らせながら臨戦態勢に入る。とは言え、こちらは丸腰だ。せめてモニカに応援を頼んでおけばよかった。歯噛みしながら、三人を相手にするのはなかなか面倒くさい、と思いつつも応戦する。
 何のことだと聞いても奴らは答えるつもりがなさそうで、次々に繰り出されるパンチを避けながら、相手の腹に一発入れる。鈍いうめき声とともに、ひとり潰した。
 ふたり目の脳天に回し蹴りを食らわせてなぎ倒したところで、誰かが警察を呼んだらしい、辺りが急に騒がしくなる。それと同時に俺の頭を金切声がつんざいた。
「ジェイミー!」
 残りのひとりと取っ組み合っているところで、はっと背後を振り返る。騒ぎを聞きつけたらしいレイラがこちらに向かってきていた。
「来るな!」
 俺が叫んだのと同時に、がら空きになった腹にボディブローを入れられて一瞬視界がぐらりと歪む。
 その瞬間、のどかな駅前に似つかわしくない乾いた破裂音が響き渡った。レイラの身体が傾ぐ。
「……は?」
 ほとんど反射で振り向けば、俺がなぎ倒した男がふらふらと銃を構えて立っていた。目を見開いて開いた口から荒い呼気が漏れ出している。たぶん、俺を狙ったはずだった。
「レイラ」
 俺に掴みかかっていた男を、やってきた警官が取り押さえ、拳銃を構えていた男も押さえつけられる。俺は、その隙をかいくぐり倒れ込んだレイラのほうに向かう。
「レイラ!」
「……ジェイミー、……」
 真っ白なワンピースの腹部が血に染まっている。ひゅうひゅうと開いた穴から空気が漏れ出すような呼吸で、レイラは俺の名を呼んだ。こんな状態に陥ってもまだ俺は彼女に触れることをためらった。俺が触れれば、出血がますます加速するのでは。俺が触れれば、彼女はその瞬間腐り落ちてしまうのでは。
 震える息を吐いて、そばに跪く。細く白い腕が伸びて、俺の頬に指が触れた。
「怪我をしてるわ……」
「……」
 何を言っているんだ。と笑ってしまいそうになった。実際乾いた笑いが漏れる。俺の頬の切り傷なんてどうでもいいのに、なぜ彼女はそんなことを心配しているんだ。
「すぐ救急車を」
「ジェイミー」
 少し長く、目を閉じた。それから弱弱しく開き、レイラは俺に、きれいに包まれたウサギのぬいぐるみを差し出した。
「パパに、渡して」
「ふざけるな! 自分で渡せ!」
 怒鳴っても、泣いても、彼女の出血がおさまるわけではなかった。

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