ビデオの中からこんにちは/前編





 真夜中だというのに、デビルメイクライ事務所のキッチンには明かりが付いていた。それ以外は真っほぼ暗闇に閉ざされていて、まるでキッチンだけが異次元の空間に取り残されたようである。
 そのキッチンで、青いコートを脱いでタンクトップ姿のネロがLサイズのポテトチップスの袋をパーティ開けしていた。袋が皿代わりになり、キッチンペーパーを被せたトレイにそれを載せると、山盛りのチップスの隣りにポッキーとハッピーターンと柿の種をこれでもかとばらまく。
 つまみはこんなもんでいいだろう。
 さらにコップを六つ戸棚から出して氷を入れると別のトレイに置き、四つにはジンジャーエールを、二つにはアイスティーを注いだ。
 全ての準備が完了し、ネロはキッチンの明かりを消す。ふっと周りが闇に包まれるが、リビングの方からほのかな明かりが漏れているため視界は完全には遮られていない。山盛りのトレイとコップが載ったトレイを片手に一つずつ持ち、見事なバランス感覚でネロはその明かりに向かって注意深く歩き出す。
 やがて辿り着いた先には、電源の入ったテレビの前でソファーに座るダンテ達がいた。
「持ってきた」
 ネロの声に全員が振り返り、真ん中に座っている二代目が無言で手を差し出す。ネロは左手に持っていた飲み物のトレイを渡した。
「悪いなネロ、全部任せて」
「いいよ」
 ネロは二代目の右隣りに座ると、目の前の四角いテーブルにつまみのトレイを置く。
 テレビを正面から見れる三人掛けのソファーには、二代目を真ん中にすると座った目線からネロは右、若が左にいる。さらにネロの右斜め前と若の左斜め前にはそれぞれテーブルを囲むように一人掛けソファーがあり、そこに髭とバージルが座っている。初代はというと、ネロが座っている側で床にあぐらを掻いていた。じゃんけんで負けたからである。
 二代目がアイスティーを自分とバージルの前に置き、残りのジンジャーエールをバケツリレーのように皆に回した。すでにコップは汗を掻いており、上半身裸の若は受け取った途端いきなりぐびーっと半分も飲んだ。
「ぷはあ!生き返る!」
「親父かよ」
 初代が突っ込む。
「だってあっちーじゃんか、夜だっつーのに何でこんな蒸し蒸ししてんだよ」
「夏だから当たり前だろ?」
「でもおかしい、この暑さはぜってーオゾン層破壊のせいだな。だからフロンなんか早く止めれば良かったんだよ。二酸化炭素万歳!」
 いかん、若の頭が暑さでふやけ始めているようだ。バージルが見てられんとばかりに首を緩く振った。
 現在の気温は30度を越えていて、さすがに皆いつもの格好からコートを脱いでいた。ただ、二代目は脱いだら若みたいになってしまうので薄い生地の黒いYシャツを羽織り、手袋もぴったりした薄手の物を付けている。いいじゃん二代目もオソロで裸になろうぜと若が誘うのをネロとバージルがダブル閻魔刀で制したのは昼過ぎの出来事だ。これ以上裸率が増えてはたまったものじゃない。
 コップを額に当ててほてりを冷やしている髭が、
「だからこうして涼しくなろうとホラー映画借りてきたんじゃないか」
 そう。
 今から彼らは、ホラー映画観賞に入ろうとしているのだ。
 すでにビデオデッキにはテープがセットされている。あとはチャンネルを合わせて再生するだけだ。
 くだらん、とバージルは一蹴した。
「ホラー映画など人が想像した作り物に過ぎないだろうが。何が怖いというんだ」
「とか言ってバージルも参加してるじゃんか」
「暑さで眠れないだけだ、暇潰しにはなる」
 確かにこんな夜じゃぐっすり眠れたものじゃない。だったら少しでも寒くなるよう期待するしかなかった。
 リモコンをテレビに向けてネロが言う。
「――じゃ、付けるぞ」
 時刻は0時半分過ぎ。
 画面が真っ黒になり、提供と別の予告映画が流れ、真夜中の映画観賞が静かに始まりを告げる。



********



 発端は、エアコンが壊れたと二代目が告げたところから始まった。
 ネロと若と初代は顔を上げて、嘘だろ、と悪夢のような宣言に呆然自失。
「今日は最高気温て言ってただろ、なのにこのタイミングで壊れるか普通!?」
 ソファーから思わず叫ぶ若に二代目は静かに首を振るしかない。
「……残念ながら」
「最悪だ……」
 ネロはがっくりと肩を落とした。暑いのが苦手なネロにとってこれは死刑宣告を受けたに等しい。ただでさえ連日太陽ギンギラなのに、だから外へもなかなか行く気がしないのに。事務所の中はどんどん温度が上昇している。初代が腰に手を当てて疲れたような溜め息をつき、
「業者呼ぶか?」
「こんなスラム街に来るとは思えんが」
「一かバチかで電話してみようぜ。エアコンに電話番号のシール貼ってなかったっけ?」
 二代目はリビングの端にあるエアコンを見上げる。大分汚れているが確かに電話番号の書いたシールがあった。
「…読んで、俺架けるから」
 受話器を取ってネロが言う。事務机には髭の姿はなく、今はどこかに外出中だ。こんな炎天下の中よく行けるよなと思う。
「これだな、8368425…」
 読み上げられる番号を押してしばらく待つと、電話相手はすぐに出たらしい。ネロが事情を簡単に話している。それをダンテ達は無言で聞いている。だが電話はなかなか終わらない、ネロが珍しく必死に食い下がって、
「いや、だから今の住所に……」
 間。
「じゃあその後でもいい、とにかく手が空いたら、」
 電話相手が何か言った。
 いきなりネロのボルテージが上がった。
「ぁあ!?ざっけんなよてめえそれでも働いてんのか!!スラムがなんだよ客が困ってんならどこにでも駆けつけるのが業者ってもんだろーが!!大体……ん?おいもしもし!もしもし!………、」
 暴言を吐いてネロが受話器を乱暴に戻した。どうやら切られたらしい。と思ったらまた受話器を取って先程の番号をガタガタと押す。
 数秒後、電話相手が出た途端、
「おいクソ野郎覚えてろよ!今にお天道様を拝めなくしてやるからな、布団被ってファックされるのを震えて待ってやがれ!覚悟しとけよ!」
 ガチャン、と今度はネロの方から電話を切った。
 肩で息をしてぜーはー言っている。
「……何だって?」
 若の問いにネロは背中を向けたまま、
「今日はお宅みたいな手合いがたくさんいて忙しい、それにこの住所は治安が悪くて行けません。だとよ」
「ネロ、その会社に殴り込むぞ」
「おう」
 待て待て待て、と初代が割り込む。
「殴り込んだってエアコンは直らねぇし、んなことしたら二度と取り次いでもらえなくなるぞ。それに住所わかるのか?」
 二人は黙り込む。初代の言う通りだった、暑さでまともに考える思考が低下しているのかもしれない。実はシールに住所も載っていたことを二代目は敢えて黙った。代わりに、
「とにかく、何か別の方法で暑さを凌ぐしかないな」
「別の方法って?」
「水風呂に入るとか」
 ネロが即座に否定した。
「駄目だ、今月の水道代マジやべぇから」
「だよな…」
「氷ならあるけど。タオルにくるんで枕にするとか」
 ぶんぶんと若が首を振る。
「さっきやったけど、一時凌ぎだった」
「やったのかよ」
「もっと涼しさが長持ちする方法探そうぜ」
「……何かいい方法思いつくか?」
「………ない」
「……」
 沈黙。
 そうこうしている間にもじわじわと身体を熱が侵食し、汗がだらだらと流れて服が肌に張り付く。太陽は容赦などせず、風も成りを潜めていて、ねっとりした空気が部屋全体に沈んでいた。
 ポツリと若が、
「バージルに訊くか。何か知ってそうだし」
 えぇ、とネロが唸る。
「そうは思えねぇけど」
「背に腹は変えられないってな。そういうわけで二代目頼む」
 いきなりの名指しに二代目は瞬きをし、
「何故だ」
「あいつ今暑さでイライラしてるから部屋にこもってるんだ、へたに話し掛けると多分串刺しにされると思う。二代目だったら大丈夫だろ」
 人徳の為せる技なのかただ単に最強だからか、バージルは二代目には頭が上がらないふしがある。結構素直に物事を聞いてくれるし、幻影剣を向けられた回数も二代目が断トツで低い。
「……わかった」
 数秒考えて頷くと、二代目は階段を上がってバージルの部屋に向かった。
 だが、
「知らん」
 一言だった。
 暑さに耐えきれなくなったらしく部屋から出てきたところを二代目と鉢合わせし、一緒に一階に降りてきて事情を説明するとバージルはそう言った。いつもより眉間の皺が増している。
「知っていたらすでに実行している」
「……おっしゃる通りで」
 頼みの綱にあっさり切られた落胆は深い。とうとう若は背もたれに突っ伏して動かなくなり、ネロも「いっそのこと冷蔵庫に顔突っ込むか」と電気代を犠牲にする考えを浮かべ始め、初代と二代目はハァーと重い息を吐きバージルはこめかみに青筋が目立ち始める。
 もう駄目だ、終わった。
 なにもかも。
 そのときだった。
「――I'm hoooome.」
 玄関の扉が開き、太陽光で白く塗りつぶされた外の景色を背後に髭が帰ってきた。日差しを避けるために赤いコートを頭から被って、片手に紺のナイロン袋を持って。
「ったくアホみたいな暑さだな。少し歩いてもう汗だらだら……、どうしたんだ?」
 異様な光景に髭は足を止めた。何故か事務所の中は涼しくなく、若い奴らはグロッキー状態。初代と二代目は疲れ切った声で「Welcome back.」と呟き、何故かバージルはイライラマックスで幻影剣を一本向けている。
「お前らなに辛気くさい顔してんだよ?」
「……エアコンがな」
「エアコン……」
 二代目のその一言で悟ったらしい。汗を浮かべた顔に「勘弁してくれ」といったような表情が滲み出る。
「そうか、どうやらよっぽど空気の読めるエアコンらしいな」
「冗談言ってる場合じゃないぞ、このままじゃ熱中症になる」
「冷凍庫に氷とかないのか?」
「あるにはあるが一時凌ぎだ。冷たくなっても一瞬だけだから余計暑さがこたえる」
「じゃああれだ、ケルベロス使えばいいんじゃないか。氷属性だろあれ」
 げっそりした若が力なく首を振る。
「使用者が涼しくなるわけじゃねーし、動きたくねえ……」
 そのとき、ネロがいきなり床にバッタンとうつ伏せに倒れた。脱水症状でとうとう意識が飛んだらしい。だが本能が危険信号を出してるのか、ゾンビの如くずりずり這ってキッチンの方へ向かおうとしながら枯れ果てた声で呟く。
「み、水…」
 こりゃまずい、と初代が慌ててキッチンに飛んで冷蔵庫に入っているミネラルウォーターのペットボトルを出した。ネロの身体を起こして死にそうな手にそれを握らせると、目を回していながらもノロノロと口に運んで飲み始める。羨ましそうな視線がネロに突き刺さる。
「しょだいー俺にも水くれー」
 第二のゾンビがソファーから呼ぶが、初代は冷蔵庫の中を確認して何度目かのため息。
「ネロの飲んでるのが最後の一本」
「じゃあ俺にも分けろよネロー」
 だいぶ瞳に生気を取り戻したネロは、口から離すと空のペットボトルを振って見せてそれに答えた。
 水終了のお知らせだった。
 本当に為す術が無くなってくる。水道水はさすがに危険だし、トマトジュースも今日に限ってゼロだ。おまけに暑くて無駄にイライラ度が増すからバージルが今にも八つ当たりを開始しそうである。ふやけた脳みそではいい考えも浮かばず、ただただ時間が過ぎるのがひたすら遅く感じる。
 が、今しがた帰ってきた髭だけは辛うじて正常だったらしい。
 ふと片手に持ったナイロン製の袋を見て、ピコーンと電球が閃いた。
「――涼しくなる方法なら、もう一つあるぜ」
 皆は一斉に髭に視線を集めた。
 もうなんでもいいから教えてくれと言うのが心情だったが。
 髭は袋を見せるように掲げて、これだ、と指差した。袋には黄色の文字で「RENT」と書かれていて、下の方に小さく店の名前が載っていた。

「ホラー映画、見てみないか?」



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