(今思えば)
(これはあいつの策略だったのかもしれない)
 あの後、「昼間にホラー映画見ても全然意味ないし今涼しくなりたいんだよ!」と最もな意見を若に言われ、結局ネロは水道代を犠牲にして水風呂の許可を取りその場は何とか暑さをしのげた。
 が、夜になってもムワッとする空気は逃げていかず、それどころか湿気が増して寝苦しいことこの上ない。
 さすがにここまでとは思わなかった。
 冷気というのは重いから下にたまる性質がある。
 考えることは皆同じで、二階よりは一階のほうが涼しいはずだと全員が鉢合わせしたときの雰囲気と言ったらなかった。六人のうち四人は同一人物だからまぁいいとして、そいつらと同じ思考に走ってしまったことを悔やみに悔やんだと後にバージルは語っている。
 そこで、一度はお蔵入りになったホラー映画観賞をしようという案になり今に至るのだった。
 ネロと若で深夜の外へジュースやつまみを買いに行き、随分前にバージルがくじ引きで当てたビデオデッキの操作に苦労しつつも準備は着々と整えられた。部屋の明かりを消して雰囲気を出し、ソファーを移動させて皆で見れるようにして、席をじゃんけんで決めた。
 ネロがキッチンで支度をしているとき、
「ビデオはもう入れておくか」
 二代目が言った。時間短縮になるし特に異論はなかったので、髭も素直に持ってきた袋からテープを出して渡す。
 だが、テープを受け取った途端二代目の顔が曇ったのにダンテ達は疑問を浮かべた。確かめるように二代目はラベルを見て、
「おい、これは……」
 言いたげに髭を見るが、髭は何故か意味深に笑って「しぃー」と人差し指を口に上げるだけだ。その様子に若が身を乗り出し、
「なになに、もしかしてAVなのか?」
「………いや。普通にホラー物だな」
 そのときにはもういつもの二代目で、何でもないようにテープをデッキに飲み込ませた。カシャンと蓋が閉まり、読み込みが始まる。
 何でもないのなら別にいいか。彼らは疑問をすぐに消し、その直後にネロの声がして、観賞会は幕を上げたのだった。



********



 時間を戻して現在に視点を移す。
 髭が借りてきたホラー映画のタイトルは「ダークフォレスト」。主人公はジャーナリストの女性。郊外のとある森に入った者は次々に消息を絶つと言われ、その真相を確かめるために五人の仲間と共に足を踏み入れたところから物語は始まる。どうにもB級臭いが監督も俳優もそれなりだし、賞は取らなかったが面白い映画だと評価される、隠れて有名な作品らしい。
 ネロは、ホラー映画を観るのはこれが初めてだった。
 フォルトゥナでは騎士団の仕事をしてるか、暇なときは武器の改造をしたりキリエと一緒に居たりしてたから、娯楽物などまったく見たことがなかったのだ。
 画面に映るほの暗い森、果敢に進む主人公達が映っている。あえてBGMを無くしているから草を踏む足音と会話しか聞こえない。
 ホラーなんて人間が作り出した幻想だ。
 バージルはそう言ったが、それでも怖いと思ってしまうのが人間心理である。
 ダンテ達は割りきっているかもしれない。修羅場なんか幾度も潜り抜けてきたはずだし、こんなのより現実のほうがよっぽど怖い。しかしドキドキする、ネロはコップを握る手に力を込めて画面を食い入るように見つめる。
 突然、画面の外で最後尾を歩いていた主人公の仲間の一人が小さく悲鳴を上げた。
「っ」
 思わずこっちも声が出そうになるのを慌てて我慢する。主人公達が振り返り、
『ショーン?』
 しかし仲間の姿はそこにはなく、青々とした茂みと不気味な木々と、仲間の荷物の中身が散らばっているだけだ。そこでやっとか細くBGMが流れ、仲間達に物言いたげな雰囲気が漂う。同時に若がトレイに手を伸ばしてポテチを鷲掴みにし、バリボリと音を立てて食べた。うるさいとばかりにバージルがギロリと睨むが意に介した様子はない。
 どうやら怖いと思ってるのは自分だけらしい。
 これは意地でも悲鳴を上げるわけにはいかない。ネロの中で男のプライドがむくむくと登り始める。
 そうこうしているうちに主人公達は寂れた小屋に辿り着いた。具合からして無人が長く続いていたらしく、蔦が纏わりつきコケまで生えている。どう考えても袋のネズミ状態になりそうなのに、彼らは一休みのためと言ってその小屋の中に入ってしまった。
 パタンと扉が閉まると、画面が一瞬砂嵐にまみれる。
「?なんだ今の」
「演出じゃね?」
 若と初代の呟き。
 主人公達は丸くなって座り、仲間の行方を案じていた。きっと大丈夫、彼ならすぐに追いついてくるから。根拠もなく励まし合うが逆にそれが恐怖を煽った。いなくなったのが坂道でならまだわかる、つまづいて転げ落ちただけかもしれないから。だがあそこは平坦な道だったし、悲鳴がしてすぐに振り返ったにも関わらず彼は荷物を残して跡形もなく消えてしまっていたのだ。
 彼がいた地面が不自然に盛り上がっていたことには、誰も突っ込まなかった。
 ネロはすっかり氷が溶けて薄くなったジュースを未だに掴んでいる。つまみの存在も忘れて食い入るようにテレビを見つめている。髭がネロを見て喉を鳴らして笑ったことにも気づかない。
 突然、小屋の外から誰かが扉をノックした。
 主人公達は飛び上がって驚くが、仲間の一人が『もしかしたらショーンかもしれない』と慌てて扉に行き開けようとする。だがノックは全く別のほう、扉とは反対方向の壁からもした。そのうちにまた別の壁からも、天井からも、あろうことか床下からも、ドンドンと叩く音が小屋全体を包んでいく。まるで出てこいとばかりに力強い、心臓を揺さぶられるような音。ノックの合唱はいつまでも続き、仲間達は耳を塞ぐがそれでも聞こえてくる。壁が軋みを上げ始めノックする度に木の板が折れそうになり、このままだと小屋が破壊されてしまいそうだった。
 意を決して、男が扉をいきおいよく開けた。
『いい加減にしろ!』
 だが外に一歩出た途端、男は小屋の上から伸びてきた無数の青白い手に捕まって、そのまま引っ張り上げられてしまった。
 本物の恐怖の叫びが上から聞こえるが、それは不自然なところでぷっつりと途絶える。
 主人公達は凍りつき、ネロも凍りついた。
 ノックの合唱も止んでいた。
 無音の状態が続き、時が止まったかのような中、やがて主人公がおもむろに立ち上がって外に出ようとする。
『待てジェシカ!ここから動かないほうがいい!』
『ここに居てもきっと同じことよ、だったら外に出て確かめたいの』
 二代目が組んでいた足を変える。いつの間にか若も食い入るようにテレビを見つめていて、持っている柿の種がなかなか食べられない。
 主人公は外に出て注意深く辺りを見回す。だが何もいなかった、あれだけのノック音がしたのならたくさんの「何か」が居たはずなのに、影も形もない。涼しい空気と不気味な木々の群れがあるだけだ。彼女は安全なことを伝えようと小屋の中の仲間達を振り返り、
 ネロはまた悲鳴を上げそうになった。
 小屋の中には、仲間達の一人もいなかったのだ。
 荷物だけが残っていた。そして床板が下からぶち抜かれていて、そこから土が盛り上がって散らばっていた。
 何かが仲間達を、床下の地面に引きずり込んだかのような跡だった。
 一目散に主人公は逃げる。
 今すぐこの森から出なくてはならない。そんな思いなのだろう、自分の荷物も置いてきてしまったことに気づいていない。道順など構わずに闇雲に逃げる、「あーあーあー落ち着けばいいのに」と初代が柿の種を食べながら言う。
 いきなり主人公がコケた。
 げ、と若は思う。これはお約束パターンだ、バッチリ死亡フラグだ、ほら早く立て、何もたもたしてんだよ逃げろよ!と心の中で罵倒する。すっかり映画の世界に入り込んでいることには気づかない。
 主人公は起き上がってまた走ろうとした。
 だが、後ろ髪を引かれたかのようにツン、と足が止まる。
 目を見開く、信じたくない現実を必死で否定しようとするような表情。

 そして、テレビの前のネロも、同じような顔をしていた。

 主人公が恐る恐る、非常にゆっくりと後ろを振り返りながら自分の足を見下ろす。
 全く同じように、ネロも自分の足元に視線を下ろした。

 主人公の足首を、地面から出た青白い手が掴んでいた。
 そしてネロの足首にも、

『きゃああああああああ!!』
「ぎゃああああああああ!!」
 画面からだけでなく現実からも聞こえた叫び声に皆は不覚にもビクッと肩を揺らし、何だ何だと目を丸くして画面から三人掛けのソファーに視線を移す。
 意外な光景だった。
 ネロがブーツごとソファーの上に乗り上げて、恐怖の表情を浮かべながら隣りの二代目に抱きついていたのだ。
「いいい今、いまいまいまいま足あしあしあし!」
「いまいましい?」
 と若。
「ちげぇよ馬鹿!!い、今俺の足を誰かが掴んで…!」
 ?
 ダンテ達の頭にはてなマークが浮かぶ。だがパニック状態のネロは自分が支離滅裂なことを言っているのに気づかない。二代目の肩に顔を押し付けてうわごとのように、
「なあ誰かソファーの下見てくれよなんかいたんだよ白い手が伸びてて俺の足いきなり掴んできてそれで引っ張ってきて下に、下に、手が」
「落ちつけネロ。大丈夫だ」
 震える背中をあやすように二代目はポンポンと優しく叩く。ネロはさらにぎゅうと抱きつく力を強くし、床から出来るだけ距離をおこうと膝が胸につくくらい足を折り曲げる。尋常ではない怯え方にさすがに皆は眉を寄せ、おもむろに初代がソファーの下を覗きこんだ。
 画面の明かりしか頼りがないが、見えるのは床板とホコリだけだ。
「……何もいないぜ」
「うそだ!絶対いた!いたんだよ!」
「幻覚じゃね?恐怖でありもしないのを見てしまうってよくある話だしよ。…つーかネロってホラー駄目なのか」
「今はんなことどうでもいいから!もう一回見てくれよ!」
 常らしからぬ混乱ぶりである。ネロの恐怖が伝染してきたのか、若も無意識に床から足を離してソファーの上で三角座りになる。ふと気付いたバージルがおもむろにリモコンで一時停止を押した。もう誰も映画を見ていないからだ。画面の中で主人公ジェシカは下半身が地面に埋もれた状態でストップする。
 身体を屈めて初代がもう一度ソファー下を覗くが、やはり何もいなかった。
「……いないぜネロ。間違いなくな」
「………」
 無言。
 どうしたものかと初代は二代目に視線を送る。駄々をこねた挙げ句ふてくされた子供のようなネロの様子には、こちらもどう対処すればいいかわからない。
 二代目はあやす手を止めて、
「ネロ、怖いなら先に部屋に戻って寝たほうがいい」
 視界に映る猫っ毛の髪が動いた。首を横に振ったのだ。
「…部屋に戻ったら、追ってくる」
 何が、とは訊けない。
「俺も一緒にいてやるから」
「いやだ。あんたらとここに居る。映画見てていいから、もう叫ばないから、だから」
 一体、何がネロをここまでパニックにさせたのだろうか。
 いつものネロを見てれば信じられないくらいの怯え様である。悪魔の死体の群れの只中にいても眉一つ動かさないのに、小さい子供ならともかく、空想の恐怖を映画の形で作られたものを見ただけでこんなにまでなるのだろうか。
「……ネロがそう言ってんだ、続き見ようぜ」
 だんまりだった髭がついに口を開いた。渋い顔で若が、
「でもよ……いいのか」
「ここに居たほうが、少なくとも何かあったときに俺達がいるからな」
「…ネロ、辛かったら言えよー…」
 こくりとネロが頷いた。二代目に抱きついたままなので顔は見えない。だが安心したのか、さっきよりは混乱状態は収まっているように見えた。
「付けるぞ」
 バージルが確認の意味で呟いてから、一時停止を解除する。画面からBGMと悲鳴が戻ってくる。
 その中で、ふむと髭は周りを見回して、
(――どうするかな)
 どうやら皆には見えないらしい。

 自分の手首を掴んでる青白い手を、いかにして振り払おうか。


後編に続く








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