First contact.3





 一口食べて、ネロは愕然とした。
(負けた――)
 そう思ってしまった。
 文句の付けようもない焼き具合と、料理本の写真のお手本みたいな狐色。味なんか誰がなんと言おうと百点満点である。
 初代特製リコッタチーズパンケーキは、それぐらいうまかった。
「どうだ?フライパン違うからちょっと苦労したんだが上手くいったと思うぞ」
 キッチンからジューと言う音と共に初代の声が聞こえる。先にネロと髭の分を作って、今は自分の分を制作中なのだ。
「……うまい」
 絶対聞こえないくらい小さく呟いたのに、「そうかそりゃ良かった」と返事が返ってきた。いや、実際聞こえてはいないのだろう。ネロが何を言うか確信してあぁ言ったに違いない。
 向かいの髭が実に嬉しそうにパクパクと食べているのを見て、ネロは月日の残酷さをヒシヒシと感じていた。過去のときからこれだけ料理が出来るのに、何故このダンテは何もやらなくなってしまったのだろうか。自分より上手いのに。
 ムカッときた。
「おいおっさん」
「ん?」
「聞いてねぇぞ、あんたが料理上手だったなんて」
 髭は視線を上げてネロを見る。口に運ぼうとしたフォークから、溶けたマーガリンが落ちた。
「別に上手ってわけじゃないが」
「じゃあ質問。このパンケーキはマズイか?」
「いや、うまい」
「言ったな?俺は確かに聞いたぞ。あんたは今過去の自分が作った料理をうまいって言ったんだ、それが何よりの証拠じゃねえか」
「……つまり何が言いたいんだ?」
「あのなあっ!」
 バシンとテーブルを叩いて立ち上がり、
「料理作れるんならなんで俺にばっかりやらせんだよ!大変なんだぞ金の節約しながら毎日毎日作り続けんのって!そのくらいあんたにだってわかるだろうが!」
「別にいいじゃねぇか、食べてくれる奴がいるんだから。俺のときにはいなかったぞそんな奴」
 意味が分からず沈黙する。
「そりゃあ初めの頃は俺も自炊してたさ。でもな、自分一人のためにわざわざ材料切ったり分量計ったり、こうすれば美味しくなるとかあぁすればもっとダシが出るとかレシピ片手に考えて作るのって結構辛いもんだぜ。トリッシュがいるときもあるが実際は一人の時間のほうが多かったしな、美味けりゃなんでもいいって結論に至ったんだ。誰かのために作るってんなら少しはやりがいもあるだろうけどよ、自分のためだけに作るのって何だかむなしくないか?」
 その考えは一理ある。やっぱり誰かのために作るほうが断然腕まくりの心意気が違う。一人だとどうしても面倒くさくなってついつい出来合いを買ってしまうのは誰しも心当たりがあるのではないか。
 しかしネロはほだされない、
「今は一人じゃないんだから、俺ばっかやらせんのは不公平だと思う」
「いいじゃんか、ここ一ヶ月生活してきて問題なかったんだから結構バランス取れてるんじゃないか?」
「俺に家事全般任せてる奴がよく言えるな」
「やりがいはあるだろう」
「あるけど、せめて手伝いくらいやってくれても」「何話してんだ?」
 初代がキッチンから出てきた。出来上がった自分の分のパンケーキとバターを髭の隣りの席に置く。ネロは唸りながら椅子にドスンと座り直し、
 バター。
「……あれ、マーガリン冷蔵庫になかったっけ?」
 ジリ貧生活者にとってバターは値段が高い。だからフライパンに引くくらいにしか使わない代物で、滅多に冷蔵庫から出されることはないのだ。トーストに塗るのもマーガリンだし、肉を炒めるときもマーガリンを使う。
「あぁ、俺嫌いなんだよ」
 初代は席につくとナイフでバターをぐりっと取る。
「何でだ?」
「だって成分一つ変えればプラスチックとほぼ同じなんだぜ?」
 ネロは目を丸くした。
「そうなのか」
「大雑把に言えばな。石油と水素で作るのがプラスチックで、植物性油脂と水素で作るのがマーガリン。自然じゃなく人口的に作った科学食品だな。しかもハエも寄らぬ代物らしい。安いのは結構だし食品として否定するつもりはないんだが俺は好きじゃない」
「詳しいんだな」
「まぁ聞きかじりだけどな」
 そんな話を耳にしてしまったら何だかマーガリンが別の物に見えてきた。初代だって決して馬鹿にしてるわけではない、人口的に作ってここまで普及されたのだからそれなりに人々から受け入れられているのだ。ただ、苦手だと感じる人もいる、それだけのことである。
 違和感。
(――あれ)
 初代は過去のダンテである。この時点でバター派なのだったら、必然的に今の時代の髭ダンテだって同じ嗜好のはずだ。しかし、髭はネロが料理担当になり始めたときからすでにマーガリンを普通に食していた。まさか節約のために遠慮してたとは思えない、それ以前にダンテの辞書に遠慮と言う文字はない。
 歳を取れば味覚も変わると言うし、ダンテもふいにどこかでマーガリン派に転向したのかもしれない――そんな結論に至ってしまったので、ネロは結局この疑問を口にすることはなかった。
 代わりに先程の話をぶり返す、
「なあ初代、あんたからも言ってやれよ。こいつ全っ然メシ作るの手伝わねぇんだぜ?こっちは苦労してるっつーのに。料理出来んならやれってんだよ」
 向かいで髭があらぬ方向に口笛を吹いている。すでに皿は空だ。初代はふわふわパンケーキをナイフで斬りながら髭をちらりと目にし、
「俺に言っても仕方ねぇんじゃねーか?こいつ未来の俺だし」
「そうだけど……」
「仮に、俺がこいつくらいになっても家事してるようになったら、それは未来が変わったってことになるんじゃないのか?そしたらネロ、お前もここには居ないかもしれないぞ」
「そ、そうだけど」
「もしかしたら今この時点ですでに未来が変わり始めてるかもしれないし。……観察者効果って言うのかもな」
「なんだそれ」
「見たり聞いたりすること、それ事態が未来に影響を及ぼすってやつだ。本人は意識してないが、実際は見たり聞いたりした未来の通りにしようと無意識に行動するらしい」
 ――それって、
 言いたげにネロは二人のダンテを見つめる。髭がその意図に気づいて口笛を止め、テーブルに肘をついて顎を斜めに乗せると気だるげにネロを見返した。
「ここにいて見たり聞いたりしたこと。初代がそれらを過去に持ち帰ったときに、こいつは本来の未来とは違う行動を取ってしまうんじゃないか――って言いたいんだろ」
 無言で頷く。
「その辺りがどうなるかは誰にもわからん。第一、過去の人間がこの時代にいるってだけですでに充分俺達に影響が出るはずだ。なのに何も変わってない。少なくとも今はな」
「どうしてだ?」
「さあ?俺は時間の神様じゃないからサッパリだ」
 髭は態勢を変えないままフォークで皿に残ったはちみつを集め始めた。フォークに絡めるようにしてから持ち上げると、はちみつが重さに堪えかねて滴り落ちる。それも気にせずパクリと口に入れると、そのまままた喋り始めた。
「ただ、このまま何も起こらないってわけじゃないだろう。それが明日か明後日か、半年後か一年後になるかは預かり知らぬところだが。どっちにしろもう遅いけどな」
 話すたびにフォークの取っ手が上下に動く。今に始まったことではないが行儀が悪い。呆れて見ていると、
「ごちそうさん」
 初代が告げた。そういえば話の張本人なのに全く会話に参加していない。不思議そうにネロが見ていると、空の皿を持って立ち上がりながら初代がこちらに視線を移した。
「心配しなくても、そう簡単に未来は変わったりしないさ。それに俺は自分がやりたいことをやっていく。何があってもな。大体、俺が過去に帰らなきゃ意味がないだろ?」
 あ、とネロは心の中で呟く。今までの話の流れからすると、まるで初代がここに来たのが悪かったような言い方なのに気付いたのだ。だから初代は何も言わなかったのかもしれない。不可抗力とはいえ、時間軸がねじ曲がったのは初代が現れたからだ。
「……あのさ」
 これだけは、言っておきたかった。
「初代が来なきゃ良かったなんて、俺思ってないから」
 昨日の今日で会ったばかりの奴の何がわかる、と思うかもしれない。しかしネロは自分の言ったことは間違っていないと断言する。なぜなら、彼もまたダンテだからだ。性格も微妙に違うし料理も出来るしおまけに髭よりいい加減でない。が、彼はやはりどこか髭と似ている。髪も拭かずにバスルームから出るところしかり、どこまでも自分であろうとするスタイルはやはりダンテだった。自分がダンテと会う前から、彼がすでに己の生き様を貫く生き方をしてたことを知れただけでも良かったと思う。
 それに元はと言えばあのクソ猫が悪いのだ、何も気にやむことはない。最もダンテのことだから全く気にしていないかもしれないが。
 初代はネロの台詞に目を見開くが、やがてニタリとほくそ笑むと嬉しそうに、
「お前、本当にいい奴だな。――いや、物好きな奴か」
「誉めてんのかそれ?」
「さあ、どっちだろうな」
 くるりときびすを返して空の皿を持ったままキッチンに向かいつつ、
「ネロが未来に居るなら安心して家事手離せそうだなー」
 !?
 恐ろしいことを呟くものだからネロはガタリと椅子から立ち上がり、
「ちょっと待て!未来変わってもいいからそれは止めろ!」
「なんだよいいだろ?楽できるってわかったのに今更続けられるかよ」
「おい!せめてここにいる間くらい、」
「何か勘違いしてないか?俺はチーズ使ったメシしか作れないぞ」
「はぁあ!?」
 初代がキッチンに消えた。ネロも追いかけようと走るが三歩でストップし、ぐるっと方向転換するとテーブルの上の皿を髭の分も一緒に持って、さらに髭の口に未だ突っ込んであったフォークも強引にズポッと取る。まだ味わってたのにと抗議する間もなく、ネロは髭に向かって「い゛ーっ!」と歯を剥き出すと今度こそキッチンに走って行った。意味が分からない。
 ダイニングが一気に静かになった。
 パンケーキとバターの匂いがほのかにくすぶっている。実に美味しかったと髭は思う、同一人物ながらこうも違うとは何だか悲しいものだが。
 そう、
 髭はチーズ料理が得意ではないし、リコッタチーズのパンケーキなど一度も作ったことはなかった。
 早く気づけばいいのに。
 何かがおかしいことに。
 椅子を後ろに引くとテーブルの上にどっかりと足を乗せ、身体を傾けて天井を見上げる。
 呟いた。
「先に俺から話したほうが早そうだな」



「だから、俺はチーズ料理以外はあんまり得意じゃないんだよ。それならネロのほうが全然うめぇな」
「何でチーズ限定なんだ……」
 キッチンでは洗面台でガチャガチャと洗い物中だった。ネロが泡立ったスポンジで汚れを落とし水で流すと、布巾を持った初代がそれを拭くという形である。
「何でか知らんが、事務所にチーズ料理の本が置いてあってな。ほとんどのレシピはそこから取ったんだ。ピザ食べる日のほうが多かったが、自炊する日はいつもその本片手に作ってた」
 ネロは記憶を手探る。居候し始めての数日は掃除に追われていて、そこで本棚の整理もした。しかしチーズ料理の本を見た気がしない、もし見つけていたらすでに使っているはずである。
「じゃあ、他の料理とかは?」
「ある程度並に、って感じだな」
「充分じゃんか、髭に比べたら」
 初代は苦笑する。
「まぁそう言わずにこれからも頼む。俺もたまには手伝ってやるから」
「……じゃあ料理したくない理由を教えろよ」
 言いながらキュッと皿を洗い終えると初代に渡す。手早く布巾で水気を拭きながら初代は遠い目になり、
「――飽きてんだ」
「は」
「自分で作ったメシを食べるのに飽きてんだよ。ずっと長い間そればっかだったしな。それに比べて他人様の料理の美味いことと言ったらない、昨日ネロが作ってくれたパスタサラダはガチで美味かったんだぜ?だったら俺はそっちを取るね」



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