「………」
 思わずネロは無表情になってしまう。
 美味かったと言われて嬉しくないはずがない。しかしネロは若いから、それを簡単に面に出すのは変なプライドが許さなかった。が、髭の言葉は胡散臭いのに初代のは素直に受け取れた。これも人徳の為せる技なのだろうか。
「それにレパートリーなら断然俺よりネロが持ってるだろ?チーズ料理しか出来ない奴より何でも作れる奴のほうがいいに決まってる。理由としては充分だと思うがな」
 駄目押しのように言って初代は拭き終わった皿を金属ラックに立て掛け、窺うようにネロの顔を覗き込む。
 確かにレパートリーは頭の中に結構ある。それと言うのも、キリエが一人暮らしの自分を気遣って教えてくれたものがほとんどだからだ。味付けだって教わった通りにしていつも出している。それがダンテに認められていることは鼻が高かったし、頑張っている甲斐だってあるものだ。
 要するに、普通に嬉しかった。
 ネロは蛇口を捻って水を止め、その態勢のままふーと溜め息を吐く。
 ――しょうがねぇな。
 自分は随分とおせっかいだったらしい、恐ろしいものだ。
「わかった、その変わり条件がある」
「おう」
 ネロは蛇口を掴んでいた手を勢いよく初代の鼻先に向けて指差した。反動で水滴が飛ぶ。
「週に一回、あんたが作ったチーズ料理を振る舞え」
「――、」
「それが嫌なら代わりばんこで料理担当にさせる」
「……」
「……」
 見つめ合いの沈黙の後、
「………はぁ、オーケイ」
 観念して初代は両手を上げた。
「わかったよ、あっちに帰るまではそれでいかせて頂きますとも」
「よし」
 条件付きなら押しに負けたわけではない。ネロは小さくガッツポーズをした。これで毎日毎日料理する手間が省けた、と言っても微々たる結果だが。
「なあ、もしレシピ使い切ったらどうするんだ」
「それは自分で考えろよ、本買うなり頭捻ったりなんなりして」
 洗い物も終わったのでネロは冷蔵庫を開けた。中身を確認して今日の晩飯を考えなくてはならないからである。が、
「……」
 見事に空っぽだった。そうだ忘れてた、昨日の夜中も一回見ているのだ。
「……買い出し行ってくる」
 最近溜め息ばかりついてる気がする。蓋を閉めると立ち上がり、後ろを振り返って初代に告げる。初代はラックに置いていた皿やフォークを元の棚に戻していて、ネロの言葉に「あ」と言った顔をした。
「俺も行く」
「え。いいって」
「未来の街がどんなになってるか見てみたいもんでね、それに……」
「それに?」
 ちら、と初代は目だけでリビングの方を指し示した。そっちには髭がいて、一人電話番で椅子に座っているはずだ。
 口の動きだけで、
(――あいつの居ないところで話がしたい)
 この事務所では迂闊には話せない内容らしい。意図を汲み取って無言でネロは頷く。リビングを振り返り、
「――おっさん!」
 間を置いて、
「…なんだぁ?」
「初代と買い出し行ってくる!」
 間を置いて、
「…あぁ、いってきな」
 ネロと初代はぐっとお互いの親指を立てた。
「よし、コート取ってくる」
「あ、俺も」



********



 デビルメイクライが立つスラム街を抜けて二十分ほど歩くと、比較的治安の良い街に出る。さらにその街の中を東に行くと、メインストリートがそのまま食材市場になっている通りに出る。ニキロにも及ぶ一本道の両脇にはところせましと露店が立ち並んでいて、あらゆる材料が集まることから『Ingredient Garden』、略して『ガーデン』と呼ばれ人々から親しまれている――と街人Aが頼んでもいないのに教えてくれた。
 ここが、いつもネロが食材を買っている場所だ。
「ほー、賑やかだな」
「昼時だしな」
 食材市場の入口でネロと初代はその様を見物していた。
 人の出入りは激しい。普通に歩いていれば三回は人にぶつかるかもしれないくらいだ。この市場は地方から来た行商が軒並み連なって店を並べており、水から牛一頭まで何でも売っているらしい。観光客にも人気で、色々な髪色や肌を持つ人々があちこちに見えた。成る程、これだけ様々な人種がいればこちらも目立たないというわけだ。
「大したもんだな。俺もこっちにはよく行ってたが、あのときはここまで賑わってなかったぜ」
「へぇ、そうなのか。おっさんそんなこと言ってなかったけどな」
 取りあえずちょっと歩くぞ。そう言ってネロは人混みの中に迷いもなく入り込み、ぶつかることなくするすると人波を避けて普段通りに歩いていく。まるで他の奴らがネロを避けているような錯覚さえ覚えた。
 デビルハンターの肩書きは伊達ではないらしいな。
 一つ頷くと初代も人混みに出陣し、同じように全く人にぶつからず、それでいてネロよりも速く歩いていく。すぐに銀髪を見つけて横に追い付くと、ネロは「やるじゃん」と言った顔をした。
「初めてなのによく歩けるな、やっぱりあんたもダンテか」
「ネロはどうだったんだよ」
「ラクショー」
「…ほー。ま、足さばきの訓練にはなりそうだな……、ん?」
 そのとき、周りの人々がじろじろこちらを見ていることに初代は気付いた。一様に「なんて格好をしてるんだ」と言わんばかりの視線で、その中には何故か十字を切っている者までいる。
 ――なんだ?
「…そんなに目立つ格好してるか?俺」
 初代の言葉にネロも気付いたらしい。一瞬だけ眼を周りに向け、次いで初代を頭から足の先まで見下ろし、
「…赤い服はどう考えても目立つと思うけど」
「俺のパーソナルカラーなんだがなぁ」
「それは関係ないだろ」
 人垣を歩き続けること百メートルもすると、周りの売り物が目に良さそうな色になってきた。新鮮な自然の香りがする、野菜市のゾーンに入ったらしい。
 ネロが右側に連なる露店の一つの前で止まった。
「ここだ」
 よくある野菜売りの店だった。テントの下には木箱に布を掛けられた上に様々な野菜が一パック分ずつザルに置いてある。みずみずしい緑だ、生でも食べられそうだ。
 店番らしい少女が小銭を数える手から顔を上げた。茶髪の可愛らしい子だった。
 少女はネロを見て頬を赤くするが、初代に視線を移して何故か今度は顔を青くし、次の瞬間には店員の顔でにこやかに挨拶してくる。
「いらっしゃい」
 ……?
 さっきからなんなのだろうか。取りあえず何でもないように「どうも」と挨拶を返し、ふとネロは周りを見回した。
「今日じーさんいないのか」
「お祖父さんは今風邪で休んでます。今日は私が代わりに店番を」
「ふぅん。何かオススメあるか?」
 少女は野菜に視線を下ろすと一つ一つ指差しながら、
「ラディッシュとブロッコリーと、あとはトマトがオススメです」
「じゃ、それ四つずつくれ」
「はい」
 ネロは代金きっかりの小銭を少女の手に落とし、ビニールに包んで紙袋に入れた品を渡される。野菜を見物していた初代を振り返り、
「よし、次行くぞ」
「おう」
 じゃあな嬢ちゃん、と少女にも挨拶しようと初代が顔を向けて、
「………」
 少女は、物凄く心配そうな表情でこちらを見返していた。
「……嬢ちゃん。俺の顔に何か付いてるのか?」
「! あ、いえ、あの…」
 それから俯き、数秒してから意を決したように顔を上げて、
「あの、張り紙見ませんでしたか…?」
「張り紙?」
 入口の掲示板に確かにそれらしきものはあったが、まともに見ちゃいなかった。そう告げると少女はまた俯き、顔面を強張らせながら呟くように口を開いた。
「……ここ一週間、ガーデンで殺人事件が起きてるんです」
 ネロと初代は顔を見合わせる。
「――殺人事件?」
「はい。ほとんどはガーデンから一歩外れた路地裏で殺されているみたいで、その人達はみんな赤い服を着ていたらしいんです。女の人も男の人も見境がなくて、原形をとどめないくらいの殺し方だって。それでガーデンでは『五日前から赤い服を着るのは控えるように』と張り紙が出されたんです……ご存知なかったんですか」
 知らなかった、とネロは思う。一週間前と言うと自分がここに最後にやってきた日で、それから今日まで来なかったから耳にすらしていない。よくよく周りを見れば確かに赤い服を身に付けている者は皆無。なるほど合点がいった、だから周囲の人々から見られていたのだ。わざわざ殺しに来てほしいとマークを付けているようなものだから、奇人変人に映ったのだろうか。
「…そりゃあ物騒だな、気をつけるよ」
 言う言葉とは裏腹に、初代は深紅のコートの端を持ってぴらぴらと見せつけるように揺らした。どう汲み取ったのか少女は慌てて、
「あの、近くには服を売ってるお店もありますから。お召し物は早く変えたほうがいいと思います」
「わかった、わざわざ忠告ありがとな」
 少女の店に背を向けて歩き出す。あっさりな反応に戸惑いつつも少女はペコリとお辞儀をした。初代はそれに手を振って答え、ネロは取りあえずお礼の意味を込めて少女を一瞥してから初代の背中を追う。
 しばらく歩いて店から離れると、
「どうする?」
 一応、といった感じに聞いてみた。初代は肩をすくめ、
「どうもしねぇよ。ま、向かってきたらお相手願うけどな」
「…そうなったらそいつは気の毒だな」
 ダンテを狙ったことを後悔するに違いない。
 ネロだって中は赤地の袖なしパーカーだが、それはコートで隠せばどうにかなる。初代のインパクトのほうが強いからどうせそっちばかりに目が行ってしまうだろう。
「で?今度は何買うんだ」
「あぁ、果物市で安いの色々。何買うかはまだ決めてない」
「苺あったら買ってくれよ」
「安かったらな」
 野菜市のゾーンから果物市のゾーンまではそんなに距離はない。食材はカラフルになり、目にも鮮やかで艶やかな果物が水滴を反射させてキラキラしている。次第に野菜の匂いはフルーティーに変わり、初代は肺いっぱいに空気を吸い込んだ。この匂いは嫌いじゃない。
 ネロがいつも通っているらしい露店には、オーソドックスなものから珍しい果物までが軒並み揃っていた。店番は白髪の老婆で、無言でこちらに一瞥をくれるとすぐに手元の本に視線を下ろした。まるで売る気がしない。
「…いいのかあれ?」
「いつもあんな調子なんだよ。でも物はみんな良いし、多めに買うと時々サービスで果物一個入れてくれるんだ」
 いわゆる穴場と言うやつである。お前すっかりおかんだな、と初代は心の中で呟き、ネロは意気揚々と果物を物色し始めた。こうして物を選別するのは嫌いじゃない。
 包帯に巻かれた手で良さげなオレンジを取ったとき、
「あ」
「なんだよ」
「…そういえば初代、話があるとか言ってなかったか?」
 髭が居ないところで。
 ここなら他人のお喋りをまともに聞く奴はいない。皆売り物に夢中だし、老婆も我関せずの人だから大丈夫だと思う――そう言うと、初代はこちらに目も向けないままでかいメロンを手袋越しに長い指でつつき、
「…お前、俺のことどこまで知ってるんだ?」
「え?」
「いやな、最初に会ったとき俺がスパーダの息子だって言っても全然驚かなかったから不思議だったんだ。ひょっとして、あの髭は全部お前に自分のこと話したんじゃないかって」
「………」
 ――長い話だった。
 クロウムと一戦交えたあの夜、髭は約束通り全てを話してくれた。感情を抜きにして事実だけを伝えたものだったが、それは朝日が昇るまで続いた。
 双子の兄がいたこと、幼い頃に母を魔帝の部下によって殺されたこと、一人で生きてきたこと、テメンニグルの塔での出来事、マレット島で兄を倒し、魔帝を封印したこと。
 どこまでも淡々とした口調で、あのときの髭の表情を今でもネロは忘れない。
「………そうだよ」
 一言でネロが答えると、初代の肩が苦笑気味に揺れた。
「そうか。わかった、それだけ聞きたかったんだ」
「……」
「実を言うとな、」
 初代が何か言おうとした。

 まるでそれを見計らったかのように、ネロの右腕が悪魔に反応して青白く光り出した。



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