思い起こせば、ずいぶん遡る…ーー




「ねぇ、おかあさん…こんなにおいしいのに、このレストラン、来月でおわっちゃうの?」


厨房で蛇口から水を流し、若干の音を立てて食器を洗っていたにも関わらず、少女の放った一声は、俺の耳にいやに響いた。


「だって…ここって川もキレーだし、動物もいっぱいいるし、素敵な町だからいつかまた来たいのに。そのときには、このレストランが無くなっちゃってるなんて…」


しゅん、と項垂れる少女を、母親がそっと宥める。
ありふれたその光景だが、話題が話題だからだろうか。俺は少女から目が離せなかった。



ーーーガチャン!



「あっ……失礼しましたっ!!」


手元を見ていなかったせいだ。皿を一枚割ってしまった。
じいさんが血相を変えて飛んできたが、俺が怒られることはない。だって、この店は来月で閉店するから。
皿の一枚や二枚割れようが、じいさんにとってはあまり関係ないことなのだ。


「レーガ…!怪我はなかったか?」

「うん…ごめんな、じいさん」

「いや、良いんだ。片付ける時も怪我しないよう気を付けてな。」


そう言って、目尻にしわを寄せて微笑むじいさんは、最近、少しだけ寂しそうだ。

…知っている。本当は、この店を終わらせたくないと思っていること。
できれば親父に、この店を、この味を、受け継いでほしかったこと。
だけど、親父が離婚してこの家から去ってしまった以上…それはもう叶わないんだ。

俺だって、もうじいさんの料理を多くの人に味わってもらえないと思うと寂しいけど、大人の世界にはどうしようもないことだってある。
それくらいは分かる年になったつもりだ。



「…すみません、お会計をお願いします」

「はい、少々おまちください!」


ふと見れば、先ほどの母娘だった。
さっきの子は…思ったよりも、俺と近い年齢に見える。

レジを打ちながら、俺だってこの店が閉まったら寂しいよ、と、心の中で少女に話しかけてみる。
もちろん、その会話は俺の中で完結したつもりだったんだけど…。
少女があまりにも真っ直ぐ俺のことを見ているものだから、少し、身構えてしまった。



「ごちそうさま。すっごくおいしかったです。…ねぇお兄さん、まだやめないで、これからもお料理作ってほしいな。私、ここでまたおいしいご飯が食べたくて…」


低い背丈をカウンターに乗り出して必死に訴える少女の言葉は、心に反響して、目から鱗が落ちた。


「…ちょっとなまえ!お店の人に勝手なこと言わないの!…すみません、気にしないでください。もう、この子ったら…」


それから母親が会計を済ませ、ぺこりと頭を下げて少女を連れて行くのを、俺はお礼を言うのも忘れてただぼうっと見ていた。


俺が…継ぐ?
考えてもいなかった。けど、もしそれができるなら……。

閃いた瞬間、目の前に道ができた。

俺はまっすぐにじいさんの元に走って、思った事をありのままに伝えた。
今まで手伝いくらいしかしてこなかったけど…料理だって何だって、一生懸命勉強してやる。
じいさんは俺の言葉に驚いていたみたいだけど、少し考えたあと、優しく微笑んでくれた。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





…俺は、目を疑った。

俺の人生を、あるべき方向に導いてくれた、なまえという名前の少女。
もう一生会えないと思っていた彼女が…新しい牧場主として、確かに俺の目の前にいるなんて。

なにせ、かなり昔のことなのだ。
彼女はもう、俺のことも、この店のことも覚えていないのかもしれない。

それでも俺は、彼女と再会できたことに運命を感じずにはいられなくて。
あの日、店を後にする彼女に言えなかった感謝の気持ちを、俺に出来る全部を賭けてでも伝えようと…そう、固く決心した。






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