二人の幸せ事情

 早朝ラッシュという名の地獄をくぐり抜け、ぴったり同じ時間にタイムカードを通すのはどこか清々しく、妙な達成感まである。
 ちらほら聞こえる「おはようございます」の声に軽く返しながら、自分のデスクで簡単な仕事の準備だけしても朝礼まではまだ少し余裕がある。朝のコーヒーでも優雅に頂きながら、隣のデスクの使用者が今日は何分前に出社するか当てようか。きっと今日は五分前ってところか。

「おはよう琴音!」
「あれ、おはよう」

 ぱたぱたと小走りで入ってきた人物は、やや息が上がっている。朝礼開始まであと十分。これは読みが外れたな。
 「いやー間に合ったー」とお決まりの台詞を口にしながら隣のデスクに腰を下ろした雪菜を横目で見る。否、正確には雪菜とほぼ同じタイミングで出社してきた花巻くん。
 ついこの間、雪菜が花巻くんのことを(やっと)好きだと白状してから詳しい話は聞いていないけど、女の勘とは恐ろしいもので二人の間に何かあったことは、この朝の数秒のやり取りや空気で分かってしまうものだ。

「花巻、あんた寝ぐせ直ってないよ」
「え、マジ?どこ」
「ここ」

 昔から気兼ねなく何でも話す仲ではあった二人だけど、ここ数日で急激に変化した距離は隠しきれてないものなのか、割と親しい仲の私だからこそ分かるものなのか、もしくは両方なのか。
 恋愛においてなにかと上手くいかなかった雪菜が目の前で幸せそうにしてるのは友人としてとても喜ばしい。喜ばしいが、直接報告くらいくれてもいいだろうに。それだけ彼に夢中なのかなと、少し花巻くんに嫉妬心を感じてしまうも本当だ。

「二人とも、そろそろ朝礼の時間だよ」
「わっ本当だ」
「さーて、今日も頑張りますかネ」

 花巻くんが自分のデスクに向かおうとした瞬間、彼の大きな手が雪菜の頭をぽんと包み込んだのを私はしかとこの目で確認した。私の目を盗んだのかどうかは分からないが、成程。彼はなかなか大胆な人だ。雪菜は面白い子で、こういう時とてもよく顔に出る。その癖隠せている風を装うから、私は毎回笑うのを精一杯堪えているんだ。


「お疲れさま」
「お疲れー…っと」
「雪菜なら下までコーヒー買いに行ったよ。そろそろ戻ってくると思うけど」
「あぁ、いや別に」

 休憩中、無意識なのかこちらに来た花巻くん。別に、なんてとっても白々しい台詞を聞くことになるとは思わなかったから、これまた笑っちゃいそうになった。

「二人って、もうセックスしたの?」
「ぶっ」
「あ、ごめん」

 微妙な沈黙を破った私の言葉は、日中の社内には不釣り合いだった。油断しきっていた花巻くんは、本当にびっくりしたのか飲んでいた缶コーヒーを零すまいと口に手を当てていた。

「な、なに言って、え?」
「いや、二人ともあんなに分かりやすいのに」
「え、嘘」
「隠せてると思ったの?」

 耳が髪の毛の色とおんなじ色に染まっているところを見ると、朝のアレは無意識だったのか。雪菜から聞いていたほどプレイボーイというわけでもなさそうだ。

「いや〜、俺は知られてもいいんだけどネ?」
「雪菜か」
「まだ心の準備がーとかウダウダ言ってたから」

 しょうがねぇやつ。口ではそう言っているけど、花巻くんの顔はとろとろにふやけている。私が抱いていた花巻くんの印象は、器用に仕事をこなす社交的な人。その一方、ここ数年で彼女が何回か変わっていた、プレイボーイ。雪菜からの偏った情報の影響は大きいけど、だいたいそんなところだ。
 だから、雪菜と付き合ってると思った時、少しだけ心配だったりした。けれど杞憂だったようで、一気に力が抜けた。

「まぁ、あれだ花巻くん」
「ん?」
「雪菜をよろしくね」
「もちろん、任せて」

 ニヤリと不敵に笑った顔は頼もしく、余裕すら感じる。何も知らずにやってきた雪菜になんて言ってやろうか。とりあえず、今夜だけは私の晩酌に付き合ってもらうとするか。