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 入学式を終え、これがあの海南バスケ部かと希望に満ちた目をして入ってきた大勢の新入部員。その半数が退部届を出し始めた4月中旬。「毎年恒例だな」と笑う監督の横で神も苦笑いを浮かべている。

「今年はまだ半分残ってるんで、いい方じゃないですか」
「まだ4月だ。秋にはまた減るぞ」
「それでも、ほら。あの元気印がいますから」

 神が指さす先にいるのは今年入部してきた清田。初日の挨拶で一番声がでかく、日頃から一番の目立ちたがり屋。そして一番の運動能力とスタミナを持ち合わせた威勢のいい奴だった。
 持って生まれた体格や運動能力、技術なんかもバスケットでは当然大事だが、試合で使ってくれというアピール力も重要だと俺は思う。一年の中でもそれらをバランスよく持ち合わせているあいつがスタメン入りするのは時間の問題かもしれない。監督の目がキラリと光るのを見てそう確信した。


 予想は的中。時間の問題というほどの時も経過していない数日後の練習試合。スタメンとして起用された清田は期待以上の活躍をし海南のユニフォームを勝ち取った。新たなチームの形が見えてきたような気がして、練習試合が終わったばかりだというのに早く次の試合がしたくてたまらない。

 そんな高揚した気持ちに水を差すかのよう走った膝の衝撃に、つい体のバランスを崩したのを支えたのは神だった。

「大丈夫ですか牧さん」
「っ――。あぁ、少し違和感を感じただけだ」
「え! どこか痛めたんスか牧さん!」

 遠くから清田が大声をあげて走り寄ってくる。そんな大袈裟なものじゃないといくら言ってもチームメイトの心配そうな表情は変わらない。
 結局「インターハイ予選まで時間があるとはいえ、長引かせないよう病院に行っておけ」という監督の一声に従う形でその日は終わった。



 高頭監督の勧めてくれた整骨院は自宅最寄り駅の数駅手前に位置していた。なんでも古くからの知り合いだそうで、代々海南バスケ部はここに世話になっているらしく話がつきやすいそうだ。

「ふじよし整骨院って……あぁ、もしかしてあそこッスか。花屋の角曲がったとこの」
「なんだ清田。知ってるのか」
「俺の最寄り駅っすもん。中学の頃行ったことあります」

 さきほど監督から手渡された雑に書かれた地図をポケットにしまい、携帯画面に表示された正しい地図と照らし合わせる。揺られること僅か数分の電車内でも隣の清田はまだまだ元気いっぱいだ。
 改札を抜けお互い反対方向へ向かおうと背を向けた瞬間「あっ!」と何か思い出したように大声をあげるからつい足が止まった。ぐいと距離を縮めてきた清田はこっそり「受付のおねーさん、超かわいいッス!」なんて嬉々として言うもんだから呆れた息しかでない。

 話の通り駅近にある花屋の角を曲がった、住宅街に入るか入らないかの位置に目当ての整骨院があった。こじんまりとはしているが、綺麗な一軒家のような見た目はアットホームな雰囲気を感じさせる。
 時刻は19時過ぎ。この時間まで営業してるなんてここら辺じゃ珍しいな。

「おっ、来たか。高頭んとこの」
「牧紳一です。すみません、急に」

 カランと鳴る扉を開け、一番に出迎えたのはおそらく院長。うちの監督と知り合いと言っていたから同じ年くらいかと思っていたが想像より若い見た目に少し驚いた。
 話は全部電話で聞いていたようで、他の患者も少ないことから診察や治療はスムーズだ。「あの海南の牧くん……怪物がうちの患者さんになるとはねぇ」と笑っている院長にどんな顔をするのが正解なのか。一応自分が高校バスケ界で有名と言われているのは自覚しているが、初対面の人間に面と向かって言われてはどうにもこそばゆい。

 そして会計をする際対応してくれた女性スタッフを見て清田が言っていたのはこの人かとピンときた。くりくりの瞳に高くて甘い声。なるほど、男子高校生はイチコロというやつかもしれない。
 けれど俺はその横から冷静に割って入ってきたもう一人の女性スタッフについ瞳を奪われた。

「ハナちゃん。カルテ記入してもらった?」
「あっ、忘れてました」
「保険証は?」
「あれ? 院長とってないんですか?」

 いつものことなのか、やれやれと苦笑いしたあと彼女は俺に向き直り改まってカルテボードをこちらに差し出した。

「牧さん、お会計後にごめんなさい。この上の部分、お名前住所連絡先だけでいいんで記入してもらっていいですか? あと、もし持ってたら保険証も。コピーだけとらせてください」

 清田の言っていた女性とはまた違った可愛い…というべきか綺麗、というべきか。少なくとも俺には魅力的に見えたその人の微笑みはやけに上品で、鈴を転がすような声に少しだけ緊張した。

「綺麗な字ですね。読みやすくて助かっちゃいます」
「えっ、そうですか?」
「ええ。あっ、今日は痛めたばっかりだからまだ揉めないけど少し様子見ながら治療追加していきますからね。あと、保険証ありがとうございました」
「何日置きに来た方がいいとかはありますか?」
「うーん、痛みが気になるうちは、なるべく日を空けないで来たほうが治りは早いですねやっぱ。うち、この時間までは空いてるんで時間のある時にでも」

 適度に雑談を交えながら、今後の治療方針や自宅での過ごし方を教えてくれるできたスタッフだと素直に感心した。そういうのは施術スタッフのすることだと思っていたから余計に。
 うちにこんなマネージャーがいたらよかったのにな。

 カランと扉が開く音に反射的に目を向けると、そこにいたのは制服を着崩した藤真の姿だった。

「藤真?」
「……は?牧?」

 次に会うのはインターハイ予選だと思っていた相手と、まさかの場所で再開したことに双方驚きを隠せない。沈黙を破ったのはあの高い声の女性スタッフ。

「あっ、藤真くんこんばんは」
「どーも立花さん」
「もー、ハナちゃんでいいのに」
「ハナコさんじゃなくて?」
「怒るよ藤真くん?」

 やけに親し気に話している様子を見るに、どうやら常連のようだ。コイツも清田のように「あのお姉さん超かわいいよな」なんて言い出したら一体どこからツッコめばいいのやら。

「健司くん。部活終わり?」

 目の前で俺の対応をしていた彼女が、少しリラックスした表情で藤真に声をかけ驚いた。健司君?
 まるで王子のようだ、と海南でも人気の高い翔陽バスケ部藤真。それは分かっていたが、まさか年上にまで人気があったとは。
 慣れた様子で待合室に腰かける藤間は、今流行りの漫画を手にとり、隣に座るようぽんぽんと合図を送ってきてる。

「なんだよ。お前もここの世話になってたのか」
「俺は今日初めてだ。監督の紹介でな」
「なーんだ。……で、どっち派?」

 ああ、これだから嫌だったんだ。
 この筋肉とタッパがなければ女と間違えられるであろう顔に似つかわしくない笑みは正真正銘の男子高校生。
 コートの中ではあまり見ることのないリラックスした様子の藤真は「ここは昔から女子スタッフのレベル高いことで有名なんだよなー」などどうでもいい情報をペラペラと俺に教えてくる。

「早く治ればそれが一番だろ」
「なんだよ、つまんねー男だな。そんなんだから諸星あたりに毎年からかわれるんだぞ」
「……やめろ」

 他県にいるライバルの名前を出された瞬間、去年「彼女はいるのか」と散々問い詰められ勝手に話を大きくされたことを思い出す。
 藤真も諸星もプレイヤーとしては尊敬に値する良きライバルだというのに、コートを出ると何故こうも俺の力を抜けさせるんだ。
 そんなくだらない話なら俺は先に帰るぞ、そう腰をあげた俺に向かって「早く全快しろよ。インターハイで叩き潰してやるから」と挑発的に言ってきた藤真の瞳は静かに燃えている。できるものならやってみろ。

「あ、牧さん。これ、診察券です。後ろに診療時間書いてあるから、いつでもどうぞ」

 さっきの声に呼び止められるとふわりと微笑んだ彼女の姿。「健司くんとお知り合いだったんですね」と言われつい逸らしてしまった瞳を戻すと、話を聞いてた藤真が割って入ってきた。

「あぁ、こいつ俺のライバルなんだよ」
「……ライバル?」
「高校は違うけど、同じバスケ部で。予選でいつも当たるんです」

 綺麗な笑みが瞬時に固まり、瞳をぱちくりさせたあと慌てて手元の用紙に目を落とした。それはさっき俺が出した保険証のコピー。
 再び嫌な予感がし思わず眉に力が入った。慣れたこととはいえ傷つくのは仕方ない。隣にいた藤真は気がついたのか肩が震えだしている。ああ、殴りたい。

「こうこう、せい……。え!? 健司くんと同じ年!?」

 コピー用紙と俺の間をいったりきたりする視線が辛い。
 驚く声を合図に、堪えきれない笑いを待合室中に響かせる藤真に我慢ならなかった俺は考えるよりも先に手が出ていた。「いってぇな!」などと言うやつの声はシカトだ。
 何度も平謝りしては「ご、ごめんね!てっきり大人の患者さんだと……」とあわあわ続ける弁解はちっとも嬉しくないが、慌てふためく様子を少し可愛らしいと感じてしまった。

「不快な思いしてもう来ないとかは勘弁してね。院長に怒られちゃう」
「そんなことしませんよ。その代わり、早く治してほしいです」
「任せて! サービスしちゃうから」

 安心したように笑って見送ってくれた彼女の胸元で光るネームプレートの確認をすっかり忘れてしまったので、それは次回。
 帰りの電車を待つホームにいる間あの鈴を転がすような声が何度か頭を過ったが、数分後には電車到着のアナウンスで全てかき消された。膝の違和感はなくなっていた。

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