15

 自分の趣味に没頭する牧くんの姿を見るのは好きだ。だからバスケの試合は毎回観に行ってたけど、今みたいに砂浜に体育座りしながら波に乗る彼を見るのは初めて。
 いつか見てみたいと言った日からいろいろなことがあったから実現するまでに少し時間がかかってしまったけど、ちょうどよかったかもしれない。たくましい腕でボードを抱え戻ってきたとき、水で滴る前髪を一気にかきあげる仕草はとんでもなく色っぽくてかっこよくて。少しだけ情事のときのことを思い出してしまうだなんて口が裂けても言えない。
 とにかく付き合いたての頃の私が見ていたら間違いなく倒れてた。

「サーファーってモテるっていうもんね」
「……なんの話だ?」
「そんなフェロモン出して、言い寄ってくる女の人たくさんいたんじゃない?」
「いるわけないだろ」

 いないわけないでしょ。
 牧くんはしっかりしてるし頼もしいけど、他人からの視線を気にしなさすぎるし、色恋沙汰に関してちょっとボーっとしているところがある。基本的に彼のことは信頼してるけど、大学でモテてるんだろうなぁと思うとちょっとだけ不安になってしまう。ただでさえ私は牧くんの将来の選択肢をぐっと狭めてしまったのだから。
 そういうときの何が卑怯かって、決まって口を噤んでしまう私を安心させるよう、優しく口付けてからそれはそれは幸せそうに笑うことだ。そんな顔を見たら、他に気持ちが傾いてしまうのではないかなんて思ってたのがバカらしくなる。自分に向けられる好意には疎いくせに私の心中を察するのは得意だなんて反則だ。

「またその顔か」
「……どんな顔?」
「してほしいって顔、かな」
「そんな顔してない!」

 「俺はしたいけどな」と言って軽く口付けてくる牧くんの唇は少ししょっぱい海水の味がした。ほら、またそうやって幸せそうな顔して。

「お、イチャついてんな」
「横山さーん! お久しぶりです!」

 声のする方を見ると、そこには圭と数ヶ月ぶりに見たハナちゃんの姿。ハナちゃんは心底嬉しそうに私に駆け寄ってぎゅっと思い切り抱きついてきた。
 ずっとお世話になってたあの整骨院を辞める旨を院長に話した数日後、ハナちゃんに今までのざっくりとした話や今後のことを「本当にありがとうね」なんて言葉を何度も織り交ぜながらしたときぽろぽろと泣かれてしまった。
 「嬉しいけどとっても寂しいです」と言ってくれたことが本当に嬉しくて、私まで泣きそうになった。それくらい彼女も私の心の内にするりと入ってきていた一人だったのだ。

「変わらず元気そうで安心した。院長も元気?」
「みんな変わってないですよー! 横山さんも……いい雰囲気ですね」
「そ、そう……かな?」

 ハナちゃんの視線が私から牧くんに移ってニマニマしてる。雰囲気なんて意識してないことを言われてもどうリアクションしたらいいのか。視線を感じてこっちを向いた牧くんも、頬をぽりぽりかいて少し困ってる。

「本当にあの牧くんと付き合ってるんですねぇ」
「散々恋愛相談っぽいことしてたのに、言い出すのが遅くなってごめんね」
「患者さんとじゃ、ちょっと言いにくいですもんね。……で、どっちからアタックしたんですか?」

 相変わらず目をキラキラさせながら踏み込んでくる。つい言葉に詰まったけど、そういえばどっちから好きになったんだっけ?
 思わず牧くんの方を見たけど、あからさまに視線を外される。そして関わらないのを吉と判断したのか、圭のいる方へ逃げられてしまった。

「っていうか、私たちのことよりも……。まさか圭とハナちゃんに接点ができるなんて思わなかったよ」

 このままじゃ私たちのことをからかわれてしまいそうだったから、咄嗟に話題を二人のことにすり替えた。我ながら上手くできたと思う。

 新しい環境での暮らしに少しずつ慣れてきた頃、圭から”立花ハナコって知り合い?”なんて連絡がきてビックリしたのを今でも覚えてる。どうやら、友達に無理やり連れていかれた合コン先にいたのがハナちゃんだったみたいで、お互い乗り気じゃなかった者同士協力してその場を抜け出したのがキッカケだったそうだ。
 ここまで聞くと何かが始まりそうな出会いだなと思ってしまうのは当然だけど「付き合うの?」と聞いた時の圭の嫌そうな顔は今まで見たことがないくらい酷いものだったし、実際似たような質問をハナちゃんにしたら全く同じような顔をされてしまった。……そんなに相性良くないのかな。

「大好きな横山さんの弟さんなので申し訳ないですけど、ありえないですね」
「いや、まぁ……あの子だらしないとこあるし、分からなくはないけど……」
「だらしないのは別にいいんですよ。私も人のことは言えないですし。そういう意味でも……なんかこう、似てるんですよね。だから考え方は分かるし、いい理解者になってあげられるとは思いますけど……異性としては無理ですよねー」
「へーえ? 好き放題言ってくれんじゃねーか」

 さっきまで牧くんと話をしていた圭が額に青筋を立てて私たちを見下ろしてた。否、正確にはハナちゃんを。

「全部俺の台詞なんだけどな」
「圭くん。そろそろ可愛げってやつを身につけないと年上のお姉さんにはモテないよ?」
「ご忠告ありがとうございますー。けどそこまで困ってないですし、ハナコさんこそ、ぶりっ子キャラにはタイムリミットがあるってご存知ですか?」

 厭味ったらしくハナちゃんの名前を呼ぶ圭の顔はどことなく楽しそう。そんな生意気な圭を見て今度はハナちゃんの額に青筋が立つ。
 こんな言い合いをしているけど、どこか馬が合うのか最近では定期的に会ってお互いの近況報告なんかをしてるみたいだし、姉としては今後の発展を望んでたりするんだけど……そう上手くはいかないものか。

 そのあと暫く懐かしい空気のなか談笑したあと、私とハナちゃんは二人でシズちゃんの家に顔を出した。二人一緒に顔を見せるのはお葬式の日以来。女子だけの空間になったせいか、海辺で聞かれた質問の続きはどんどんエスカレートしていった。「シズちゃんもきっと聞きたいですよ」とダメ押しで言われてしまえばそれはもう答えるしかなくて、久しぶりの恋バナというやつに華を咲かせた。
 最後に和夫さんに挨拶だけして玄関を出ると、圭と牧くんがそれぞれ車で近くまで迎えに来てくれていた。私は牧くんの、ハナちゃんは圭の運転する車に乗り込んで「またね」と笑顔で別れる。

「楽しかったか?」
「うん。会いたかった人に会えたし、話したかったこともたくさん喋れたし、サーフィンする牧くんは見れたし」

 「よかったな」とハンドルを握ってない手で頭を撫でられる。免許をとったあと「ある程度慣れるまでは乗せられない」と言われていたが、助手席に私が腰かけるようになるまでそう時間はかからなかった。
 何度か二人で都内をドライブして満を持して今日この海にやってこれた。自分の心に住み着いた大切な人たちと過ごす時間はあっという間に過ぎてしまって、目の前に広がるこの海を見るのもまた数か月後なのかなと思うとまだほんの少し寂しい。そんなとき、急に牧くんがパーキングに車を停め始めるから少し驚いた。

「どうしたの?」
「最後に少し歩くか」

 さっさと運転席から身を乗り出した牧くんは助手席のドアを開けて手を差し伸べてきた。大きくて厚い牧くんの手の平はどこまでも私の心をホっとさせてくれる。

 陽が落ちかけてきた海辺を歩きながら話す内容はどれも他愛もないことだけど幸せだ。考えてみれば、最初から牧くんとの間で交わされる話はどれも何気ない日常話。沈黙を気まずいと感じたこともあまりないかもしれない。

「そういえば……私からアタックしたってことになるのかな」

 昼間、ハナちゃんに質問されたことをふと思い出した。アタック、イコール告白という解釈でいいのならばそれは私なはずと思ってぼそりと口から出た言葉に牧くんは目をまあるくさせていた。

「……そんな覚えないぞ」
「え!? だって告白したのは、私からじゃん」

 しばらく目線を上の方にやっていた牧くんは「あんなの、ほぼ同時だろ」と苦笑いを浮かべてる。確かに、自分の意志で言ったというよりはポロっと出てしまった告白ではあったけど。

「どっちが先かなんて重要視してなかったけど、そう言われると多分俺のが先だろうな」
「なにが?」
「好きになったのは」

 「この場所で楓さんと過ごした日のことが、頭から離れないんだ」なんてキザな台詞をさらりと言えてしまうんだから天然って怖い。こっちが恥ずかしくなってくる。
 それは初めて二人で海に来た時のことなのかなと記憶を手繰り寄せる。勿論私も覚えてはいるけど、あの時、今みたいに心臓がバクバクきゅんきゅんしていたかと言われると微妙なところだ。

「だから、変に負い目に感じるな」
「え?」
「俺が自分で選んだ道だ」

 将来の選択肢を狭めたかも、というのは誰にも言ってない小さな罪悪感だったのにまた見透かされてしまった。
 私の傍で寄り添ってくれる彼のために、私も全力で彼を支えていきたい。それが今の私の夢だ。

「あぁでも……私にとってもあの日は特別かも」
「そうなのか?」
「だって、牧くんが初めて私の手を引っ張って連れ出してくれた日だから」

 すっかり二人の思い出の場所となったここへ最初に連れてきてくれたのは牧くんだ。繋いだ手の平から伝わる熱が心地いい。これから先、どんなことがあっても私がこの手を離すことはないだろうし、きっとそれは牧くんだって同じなんだろう。

 二人で生きていくなかで大切な人やものや思い出がどんどん増えていけば、辛かったことだって笑って話ができる日がきっとくる。
 その時、一人で抱え込んでいる子がいたらきっと私は「手を差し延べると不思議と助けてくれる人はいるものだよ」と笑って言ってあげられるだろう。




BACK

NEXT