ぱさぱさ、とハッピーが戻ってくる。ルーシィは猫と猫よりも小さく見えるナツを見比べた。
「ナツは?」
「下りてこられないみたい」
ハッピーはするりと部屋の中に入ると、机の上を勝手に漁りだした。
「え、何?」
「メモ用紙…あ、これ、使って良い?」
「良いけど」
ルーシィが頷くと、ハッピーは背を向けた。わかりやすい猫背で何かを書き付けている。
「何してんのよ」
「ちょっと待ってて」
語ろうとしない彼に口を尖らせて、ルーシィは窓に戻った。ちょうどこちらを見ていたナツと目が合う。なんとなく手を振ると、彼は嬉しそうに大きく両手を振り上げた。
「あ…」
その身体が何かに吊り上げられたように上昇していく。打てば響くような反応が面白くなって、ルーシィはナツの感情を左右しそうなことを考え始めた。
「うーん……あ!ナツ、今日のご飯、お肉にしよっか!」
ぐいん、上がる。
「あ、やっぱり、野菜メインの方がヘルシーよね!」
がくん、下がる。
「お肉!」
ぐいん。
「野菜!」
がくん。
「あはは!」
「遊んでんじゃねぇええ…!」
遥か上空から、ナツの咆哮が風に乗って届く。その声が遠くて、ルーシィはふと、不安になった。つんつんと逆立った桜色の髪も、笑うと猫のようになる瞳も、いつも手を伸ばせば触れられる距離にあったのに。
「やっぱり…寂しいな」
ぽつり、感情が口から零れる。つい、と視線を下に向けると、ナツの影はほとんど見えないくらい薄かった。
「あれ…また上がってる」
「え?」
いつの間にかハッピーが窓枠に乗って、ナツの位置を見上げていた。その視線を追って、ルーシィも首を上げる。
彼の言う通り、ナツは豆粒のようになっていた。
「ホントだ」
「ルーシィ、なんかした?」
「えっと」
ナツで遊んでいた、とは言いにくい。口ごもると、ハッピーはやれやれ、とでも言いたげに両手を上げた。
「まあ良いや。とにかく、少しずつ下げないと」
「どうするのよ?」
「ルーシィ、これ言ってみて。ナツの耳なら聴こえるだろうから」
「え?」
「ちゃんと感情込めてね」
渡された紙には、子供らしい、読みにくい字がのたくっている。それを解読して、ルーシィはぎょっとした。
「こ、これ、あたしが言うの?」
「あい」
「なんであたしが……あんた言いなさいよ」
「オイラ男だよ!」
小さな身体で、それでも精一杯誇示するように胸を反らす。ルーシィは眉を寄せた。
女の子なら誰でも良いということか。
構えすぎかしら。
ルーシィは字を読み直して、一度目を瞑った。覚悟を決めて、すう、と息を吸う。
「う、浮かれてる人って、カッコ悪い」
「あい」
「けっ、結婚するなら、ちゃんと地に足の着いてる人よねっ」
「あい」
風が吹く。髪がなぶられて、それで時間が止まったわけではないことを確認する。
ナツの表情は遠すぎてわからない。こちらを見下ろしていることだけは視認できた。
しぃん――。
「……」
「えと」
「ちょっと、何も変わらないじゃない!」
これは恥ずかしい。「おかしいな」と首を傾げる青い猫の頭を、がし、と掴む。
――悲鳴が、聞こえた。
「よし!」
ぐ、とハッピーが拳を握る。ナツは彼の思惑通り、戻ってきた。
ただし、止まる気配が、ない。
「ちょ…」
「あれ?」
「うぉわぁああああ!?」
ドップラー効果。
ルーシィがその単語を思い出すよりも早く、ハッピーがばひゅ、と手から飛び出していく。
「ナツ!」
間一髪、ナツの背中に羽が生えた。
「お…おお…危なかった……。ありがとうな、ハッピー!」
ハッピーは勢いのままに空中に弧を描きかけたが、すぐに持ち上がらなくなったらしい。ぎりぎりと歯を食いしばる音がルーシィにも聞こえる。
「重…い……!」
「何やってんだ?」
危機感のない声が聞こえて、ルーシィは目を滑らせた。黒髪に特徴のある銀の鎖――グレイ。恐らく彼も浮いているのだろう、二階の窓からは不自然な位置に居るように見えた。
ただ、それはどうでもいい。問題はただ一つ。
全裸。
一瞬後、ハッピーが手を離した。
「ふぎゃあ!?」
「うげ!?」
折り重なった二人が石畳を凹ませるのを見て、ルーシィはそっと窓を閉めた。