元教授の実家






一人暮らしをしていた部屋は、今頃引き払われているはずだった。
ルーシィは最低限の荷物だけを持ち、馴染めない実家に戻ってきた。年中美しく整えられた広すぎる庭。塵一つ落ちていない生活感のない豪邸。使用人たちは皆ルーシィによくしてくれるが、豪奢な家具は身を落ち着けられはしても心までは休ませてくれない。

相変わらず冷たい家。

敷地内奥にある本宅はルーシィの母親が亡くなってから、そのままになっている。父親も、数年前までは彼女も、専ら母親の死後に建てた第二邸で生活していた。つまり。
ここには、母親の面影すらない。

これからずっと、この豪華なだけの家に閉じ込められる。

しかし感傷に浸る間もなく、馴染みのメイドに無理やり着替えさせられ――彼女は父親の書斎に押し込まれた。

「ただいま戻りました」
「全く…とんでもないことをしてくれたものだ」

記憶にあるものと寸分違わぬ冷たい視線を受けて、ルーシィは軽く目を伏せた。期待していたわけではないが、まず労わってくれても良いだろうに。
今も昔も、父親にとって自分の存在は一人の人間ですらない。これからどんな暴言が吐かれるのか、想像するだけで気が重かった。
書斎の重厚な机の上には、白い書類が10cmほど互い違いに積み上がっていた。ルーシィはそれに出来るだけ意識を持っていき、努めて話を聞き流すことに決める。

「異性問題などと。お前はハートフィリアの人間なのだぞ」
「申し訳ありません」
「どこの馬の骨だかもわからん男と交友関係を結ぶからだ。付き合う人間は選べ、と言っておいただろう」
「……」
「価値を下げおって」

そんなもの、要らない。

叫ぶでもなく、呟くでもなく。胸の内に広がったそれに、小さく唇を噛んだ。

「傷が広がる前に結婚を決めねばならんな。幸いお前に興味を持っている権力者がたが何人も名乗りを上げてくださっている」
「そうですか」
「お前には立派な跡継ぎを産んでもらうぞ」
「……」

恋愛結婚が出来ないことは、初めからわかっていた。それでもじわじわと侵食するのは、悲しみなのか。今更、とルーシィはゆっくりと鼻から息を吐いた。

ねぇ、ナツ。あたし、結婚するみたい。

その姿を脳裏に描くことすら怖くて、ルーシィは書類を睨んだ。瞬きをしてはならない。それだけを、自分に言い聞かせる。

「部屋に戻りなさい」
「…はい」

虚ろな瞳で、ルーシィは父親に背を向けた。




父親の書斎から出たルーシィは、居心地の悪い思いで自分の部屋に戻った。大学に入学する前と何もかも変わらない。鍵をかけて人の目が無くなると、ルーシィはようやく息を吐いた。
姿見の中の自分は仕立ての良い服を着ているものの、随分とみすぼらしく見える。
部屋の隅に投げ出したキャリーケース。しゃらりと垂れ下がる白い天蓋。今だ大きすぎるベッド。その上に、適当に放り投げた、普段使いの小さなバッグ。
ルーシィはこの家の匂いがしないそれを開けて、中の空気を広げてみた。何が変化するわけでもないが。

「バカみたい」

無意味な行動に自嘲気味に笑う。と、折り畳まれた紙が入っているのが目に付いた。
取り出そうと指を触れて、止めた。バッグを元通りに閉め、ぎゅ、と胸に抱く。
静かだった。こんなにも静音性が高かっただろうか、と訝るが、ここで暮らしたのはあまり長くなかったことを思い出す。わからない。この部屋も、他人の部屋のようだった。
ルーシィはバッグをドレッサーの椅子に置くと、ベッドの端に腰を下ろした。早く荷物が来ないだろうか。何かすることが無ければ考え事をしてしまうではないか。早く。早く――。
胃が痛くなるような沈黙は、あまり長い時間は続かなかった。
ルーシィの世界に穴を開けるように、窓がこつん、と音を立てた。

「?…っ!?」

見やって、幻覚かと――いや、幻覚だと思った。
桜色の髪にマフラーをした、男性。少年よりもやや年を重ねた、それでも幼さの残る面差しが、じっとルーシィを射抜いている。

「何…やってんの…?」

本当にそこにいるのかどうか確信が持てず、ルーシィは恐る恐る近寄って窓の錠を外した。ナツは外気と一緒に躊躇なく室内に踏み入れるや否や、彼女の手を掴んでくる。

「迎えに来た」
「迎えって」
「一緒に来いよ」
「ちょ、」

本物だ。本物であれば、こんなところに居てはいけない。
ルーシィは強引に引っ張られる手を護身術の要領で振り払った。
ナツの仕事はもう終わったはずだ。今更ルーシィに付き纏っても意味なんてない。なのに。

どうして、あたしを放っておいてくれないの。

「なんで…」
「ここに居たくねぇんだろ」

簡潔でわかりやすいそれに、思わず唇を噛む。どうしてそんなことがわかってしまうのだろう。ナツに、実家の話なんて一度もしなかったのに。
まさかルーシィの為だけにここに居ると言うのか。
一人暮らしの部屋とは訳が違う。ここはもう、ハートフィリアの家だ。敷地に入るだけで厳重なはずの警備を掻い潜って、不法侵入までして。

どうしてそんな危険を犯すのよ。

なんとか穏便に、他の者に気付かれないように帰さなくてはならない。警察に捕まったら、元も子もない。
ナツは焦るルーシィにも気付いた風はなかった。

「本が好きなんだろ。魔法だって」
「実家から逃げてちゃダメだもの。あたしは、もういいから」
「いいってなんだよ、オレは良くない」
「帰って、ナツ」
「帰らねぇよ」

ルーシィはナツを無視して、さっきまで座っていたベッドに向かった。普通に説得しても納得してくれるようには思えない。どうするべきか。
思案するルーシィの背中に、ナツが戸惑ったような声をかけた。

「…ナツ?お前、なんでオレの名前知ってんだ?」

今気付いたのか。ルーシィはやや呆れて、それでも今口を突いて出たのは無意識だったので、振り返らずにぐるり、と視線だけを巡らせた。質の良い天蓋布が、窓からの光で風もないのに揺らめいているように見える。

「…ラジオ。聴いてた、の」

思った通り動揺する気配がした。

「き、聴いてた、て…」
「あんたらが何しに来たかも、知ってたわ」
「…知ってた?」

すとん、と声のトーンが落ちた。何ごとだろう、と訝ると同時に、ナツが激昂した。

「知ってたなら言えよ!なんで否定もしないで探らせてんだよ!?」

何故ナツが怒るのだろうか。ルーシィはそれをどこか遠くで聞いていた。相手との温度差が開くと、時折こういう感覚に陥る。

「何も出て来ないもの」
「出て来るかどうかの問題じゃねぇよ!一言言えば良いだろ!」
「言ってどうなるってのよ。こっちがそんな事実ありません、なんて言っても信じてくれないでしょ」
「お前がやってないって言えば、オレはお前を信じるだろうが!そんなことしてない、助けてくれって言えよ…オレを頼れよ!」

ぐるり、と視界が水平に回った。正面にナツを捉えたのに一瞬遅れて、肩を掴まれていることに気付く。
ナツの表情は語調に反して、怒りというより悲しみに染まっていた。

ああ、ナツも裏切られたんだ。可哀想にね。…誰に?

疑問に脳が答えた瞬間、唐突に、自分が道を間違えたような後悔が襲った。
しかしそんなはずはない。例えルーシィが容疑を否定したとしても、その証拠などない。信じてもらえるはずはなかった。
だから、こちらの言い分は正しいはず――。
ルーシィは顔に出たかもしれない葛藤に、慌ててナツの瞳を睨み付けた。

「早く帰って。不法侵入で訴えるわよ」
「ルーシィはそんなことしねぇ。いい奴だからな」
「っ、わ、わかんないでしょ。暴行罪も付け加えるわよ」

言ってやるとナツは大人しく肩を放してくれた。
乱暴な所作だったのに名残惜しく感じて、ルーシィは心の中で自分を笑った。放して欲しくはなかったのだ。ただ、口から出ただけで。






折角お別れしたのに、なんで来ちゃうの?


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