教授とマスコミ






覚悟していた通りの騒ぎだった。ルーシィは家を出た途端にマイクとカメラを向けられ、弁護士が車を用意してくれたことに感謝しなければならなかった。

「ありがとうございます」
「いえ、当然のことです」
「今日は自分がボディガードを務めさせていただきます」

助手席の屈強な男性が頭を下げ、前席と後席の間のカーテンを引いた。
必要最低限の会話は心地良かった。ルーシィは乗車時間の短い車内で、コンパクトミラーを覗き込む。泣きはしなかったが目は赤くないだろうか。クマは出来ていないだろうか。一通りチェックしたところで、カーテンの隙間にフラッシュが焚かれた。
大学が近い。構内は車両禁止である。門からは歩いて文学部まで行かなくてはならない。ルーシィはふぅ、と溜め息を吐いた。
緩やかに車が停止し、ドアが外から開けられた。久しぶりのそれにルーシィは顔に出そうになった嫌悪感を淡い笑顔で隠す。

あたしは、ルーシィ・ハートフィリア。

心の中で呪文を唱え、ボディガードの差し出す手のひらに、指先を揃えた手を乗せる。慣れた動作で車を降りて、向けられた光を全身に浴びた。

「教授、お話を!」
「あの男性についてお聞かせください!」
「権力を笠に講座を私物化というのは!」
「家から一緒に出てきたというのは!」

笑いそうになった。
男性、という呼称はおおよそ彼に似合わない。ルーシィは起きそうになった笑いの発作を、奥歯で舌を噛むことで抑えた。殊更ゆっくり瞬きして、カメラのレンズを見ないようにしながら足を動かす。

遠い。

ルーシィは淡い笑みを貼り付かせたまま、いつもより時間のかかる道を、ボディガードに守られながら進んでいく。一歩一歩、歩くたびに今から向かう先が断首台のように思えてきた。
もう、あの教授室に、彼らは来ない。

どこで何やってんのよ。あんだけ付き纏ってたくせに。

昨日から、背中しか思い出せない。手を引いてくれたあの時の、マフラーが揺れる背中。
決めた覚悟が、歩行の揺れに合わせてぶれる。本当に、耐えられるのか?部屋に入って、彼らが居ないことに――。
マスコミは流石に建物の中までは入って来ない。ルーシィは学部棟に足を踏み入れて、弁護士とボディガードに顔を向けた。
その時、外が一段と騒がしくなった。

「な、おい!あれ見ろ!」
「カメラカメラ!」
「皆さん、渦中の男性が現れました!」

スローモーションのようだった。
ガラス扉の向こうに、小さい桜色がちらり、と見えた。ぐんぐんと大きくなり――すぐに人に埋もれたが、しかしそれらを掻い潜って扉にぶち当たった。

「……」

現実感が無くて呆然と眺めるルーシィには目もくれず、くるり、とカメラの群れに向き直る。『ファイ』は前列の女性リポーターが持っていたマイクを奪った。

「オレはルーシィの恋人なんかじゃねぇ!オレは、仕事でっ、」

後から考えると、瞬間移動だったのかもしれない。自分でも不可解な速さで、ルーシィは扉の外に戻っていた。『ファイ』のマイクを引っ手繰って、鼓動とは逆に落ち着いた声音でカメラに向かう。

「彼はあたしの恋人です。お騒がせしまして申し訳ありません」

手早く告げてすい、と頭を下げる。突然ルーシィが戻ってきたことにマスコミさえも驚いたようで、一言も掛けられなかった。喉を詰まらせた『ファイ』の手を強引に掴んで、建物の中に引きずり込む。

「ど…どういうことだよ!?」
「黙って」
「お嬢様、これは…」
「父に伝えて。お望みの通りに、と」

「ルーシィ!」苛立ちを露わに、『ファイ』がルーシィの手を振り払った。「何なんだよ、さっきの!?オレ、そんなんじゃねぇだろ!」

「良いから、付いて来て」

冷静に目を見ると、『ファイ』が怯んで喉を鳴らした。横で、弁護士とボディガードが満足したように一礼する。ちらりと目をやると、コツコツと靴音を響かせてその場を立ち去った。向かうのはきっと――学長室。
ルーシィは自分の部屋に『ファイ』を連れて行った。ぱたん、と扉が閉まるか否か、抑えていた鬱憤を撒き散らすかのように、彼は口を開く。

「なんであんなこと言ったんだよ?お前、恋人って意味知ってるか?」
「知ってるわよ。てかあんたに彼女いるとしたらまずかったわね」
「いねぇよ、んなもん」

お互い立ったままだったが、座る気にはなれなかった。『ファイ』ははぁ、と息を吐き出して肩の力を抜く。その様子に、足りないものを感じてルーシィは首を傾げた。

「ハッピーは?」
「…あー…置いてきちまった」

焦ってたんだよ、と頭をがしがしと掻いて、ルーシィを真っ直ぐ見据えた。

「ニュース見たんだ」

「そう」感情の無い声で相槌を打つと、『ファイ』の目が細まった。眉間に苦しそうなシワが寄せられる。

「なんで、オレを責めないんだよ?オレがお前ん家に行きたいって言ったせいじゃねぇか!帰らなかったのだって、オレのせいじゃねぇか!」
「違うわよ。切欠はどうあれ、あたしが軽率だったの」
「そんなわけねぇだろ?きちんと言えばいいじゃねぇか、押しかけられただけだって。さっきだって、なんであんな嘘吐いたんだよ?」
「男の友人を家に泊める方が問題だからよ。それにあんたの発言を全否定する必要だってあったし」

恋人宣言の理由はむしろ後者だったが、ルーシィは無理やりワンクッション入れた。恩を着せるつもりはない。
『ファイ』がこのままルーシィの前から消えるのなら、会見で友人だと説明したところで確かめる術もなく事態は終息するはずだった。
しかし、『ファイ』は来た。こうして、自分を助けようとしてくれた。

十分、だよ。

素直に喜びを表すことが出来たら、どんなに楽だろう。マフラーと同じようにその首にしがみ付いて、泣いてしまえればどんなに幸せだろう。
考えても、そんな可愛らしい自分はどこにも居ない。今居るのはここに居る自分だけ。冷たく呆れたフリをする、自分だけ。
『ファイ』はピンと来なかったようで「は?」と疑問符を浮かべただけだった。

「…あんた、何言おうとしたのよ?」
「何って…」

『ファイ』は逆に質問されると思ってなかったのか、目をぱちくり、と瞬かせた。
ルーシィは机の端に寄りかかって、腕を組んだ。

「仕事、て言いかけたけど」
「あ…仕事で、お前に近付いた、って」

返答にやっぱり、と思った。冷たさの残る文言にちくりと胸が刺されるが、ルーシィは呆れて溜め息を吐く。

「そんなこと言ったら、雇い主売るようなもんよ?」
「は?」

財閥の令嬢に不審な人物が近付いて、仕事なんです、と言えば大抵怪しむ。仕事の内容はもちろん、会社の構成だって調べ上げられるだろう。収賄容疑調査の依頼人――おそらくルーシィの周りの誰か――の正体とフェアリーテイルが白日の下に晒され、問題視されるのは目に見えていた。

「マスコミを甘く見ないの。なんでも嗅ぎつけるわよ?」

今回みたいに、とは言えなかった。
『ファイ』は信じられないものでも見るような目でルーシィを凝視した。

「お前…オレらのこと、庇ったのか?」
「違うわ。大事になったら面倒だからよ」
「大事って…もうなってんじゃんか」
「まだあたしのことだけで済んでるでしょ」

大学だけの問題ではない。フェアリーテイルの危機でもある。
結局のところ、原因は自分だった。大学の教授職に齧りついているため、誰かに妬まれることになったのだから。
大学に残れば、第二第三の罠が仕掛けられるかもしれない。それにまたフェアリーテイルが関われば、次はその存在が明るみに出るかもしれない――。
実家に戻りたくない、という抵抗から会見で釈明しようと思っていたが、『ファイ』が来てくれたことで踏ん切りが付いた。どちらにしても恋人宣言したことで私物化の完全否定はやや難しい。内部カメラなどの証拠が無い限り、元々口だけの弁解にはなるが、恋人か友人かでは受け取られる意味合いが全く違うだろう。何より実家で保護されるよりも隙が多くなる。『ファイ』の素性が割れる可能性も十分にあった。
ならば、このままルーシィが身を引けば波風が立たずに済む。元々大学教授の椅子に固執してはいない。ここが潮時なのだろう。

教授職を辞任して、実家に帰る――。何時かは、決断しなければならなかった。それが、今になっただけ。
こうすれば、大学も『ファイ』達も、フェアリーテイルも。全てが守れる。

『ファイ』は混乱したように言葉を紡いだ。

「オレらは、お前の収賄容疑の調査に来てんだぞ?お前んちにあるっていう書類を捜して来いって」
「それは信じても良い?」

ルーシィは『ファイ』をじっくりと観察した。真実なら、少なくとも彼らは騙されてここに来ていることになる。『ファイ』はびっくりしたように「当たり前だろ!」と何度もこくこくと頷いた。
嘘は、感じなかった。

良かった。

ある程度覚悟はしていたが、二重に騙されていたのだとしたら立ち直れないところだった。ルーシィはほっとしていつの間にか握り締めていた拳を緩めた。

「あたしには賄賂の事実はないわ」
「そ、そうだろ!だからオレは、」
「きっと、このスキャンダルこそが目的なのよ」
「へ?」
「だから、あんたの調査がフェイクで、あたしの家に男を入れることが本当の目的だった――と思うわ」
「…なんだよ、それ…?」
「利用されたのよ。だから、これであんたの仕事も完了よ。おめでとう、お疲れ様」

笑えなかった。ルーシィは笑顔を作ろうとして失敗し、代わりに長く息を吐き出す。

「帰りなさい」
「…嫌だ!納得できねぇよ!てか、完了してねぇし!」

蒼白になりながら『ファイ』が叫んだ。

「お前なんなんだよ?オレら庇って、一人で泥被って!背負い込み過ぎだろうが!怒れよ!あんたのせいだ、って殴れよ!」
「あのね…」

要するに気が治まらない、というやつだろうか。ルーシィは人差し指をこめかみに当てた。

「殴れば帰るの?」
「っ…」
「あんたをいつまでもこの部屋に入れておけないの。すぐに帰ってくれないと、また外のマスコミが部屋を私物化だなんだ、て言い出すわ」

『ファイ』は唇を噛んで、床を見つめた。その視線を追って、ルーシィも床の一点に視線を固定する。何もないそこが、今だけは大切な場所に思えた。

「…どこでなら、会えるんだ?」
「あんたも注目されてることを自覚しなさい。もう会わないわよ」
「嫌だ」

強い語調で、言い切られた。ルーシィは口の中だけで「ありがと」と呟き、『ファイ』の前まで足を進める。縋るような視線を受けて、背筋を伸ばした。

「お願い。マスコミには、もう何も言わないで」
「ルーシィ」
「ハッピーにも、よろしく言っておいて」
「ルーシィ」
「あたしは大丈夫だから、あんたはあんたの家に、帰りなさい」
「ルーシィ」
「一人で帰れる?車用意させようか?」
「要らねぇよ!」

叫びに被せるように、『ファイ』の両腕が、ルーシィに絡みついた。抱き締められた、と認識した一瞬後には、肺が潰れそうなほどの力が込められる。
主張が認められないことに苛立ったのか。ルーシィを壊そうとでもするかのようだった。

苦しい。熱くて痛い。息が出来ない。

でも、ナツの力のせいではない。そんなもので、こんな痛みは感じない。

やめて――。

ぎり、と奥歯を噛み締めたのは、どっちだったのだろう。
衣擦れ音の隙間を縫って、とんとん、とノックの音が割って入った。

「お嬢様、学長がお話を、と」

扉の外から、弁護士の声が聞こえた。入って来ないのは、こちらが返事をしていないから。よく飼いならされた犬に苦笑して、ルーシィは「今行きます」とだけ返した。
力を失った腕を押し返す。

「あたしも暇じゃないの。帰ってちょうだい」
「嫌だ」

ばちん、と『ファイ』の頬が鳴った。ルーシィは勢い良く振り抜いた右手を戻して、すぅ、と息を吸い込む。

「迷惑だからもう来ないで」

声を冷たくして言い切って、カツカツと靴音を立ててドアノブに手をかける。

「さよなら、ナツ」

返事を待たずに扉を開けた。
待っていた弁護士を促して、廊下を急ぎ足で渡る。
誰もいない空間が、やけに広く見えた。
毎日が楽しかった。怒鳴ってばかりだったけれど、あんなに感情を露わに出来る相手など、初めてだった。
初めは声だけだったけれど。実際会えて、その自由で、温かい笑顔が。やっぱり真っ直ぐな言葉が。

好き、だったよ――。

右手のひらの熱が、じわりと胸に広がっていく。


彼がマスコミに引っかからずに帰れるかどうかだけが、心配だった。






最後だから――名前を呼ばせて。


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