動物園に誘ったのは、今朝見たニュースが原因だった。この街の動物園で、虎の子供が生まれたらしい。明日から公開するとのことだった。
ルーシィは魔法界生まれ魔法界育ちである。魔法界には動物園は無いが、昔、父親に付いて人間界に来たとき、一度だけ行ったことがあった。ニュースを見てそれを思い出したのだ。これくらい、良いだろう。
幽鬼の支配者が指示してきたのは、高校生として馴染むことだった。どうせ意味はわかっている。試しているのだ、この自分を。
叩きつけられた挑戦状を受け取った上で、ルーシィはナツと学校外で会うことを選択した。これで文句はないはずだ。
動物園に行きたいのも本音だが、どこで目を光らせているかわからない幽鬼の支配者に向けて、あたしはちゃんと仕事しているわよ、と主張する。ナツと交友関係を結んで、尚且つ、ナツを殺してみせる。
ルーシィはナツに情など抱くはずもない。自分の目的ははっきりしている。なんとしても幽鬼の支配者に、入らなければならない。それだけだ。
――それだけ。
それだけのために、ナツを。
ルーシィは屋上から階段を下りながら、ふるり、と頭を振った。
「お願い!」
「あ、そ、そうだよね!うん、わかった!」
リサーナに週末動物園に行こうと話をしたら、途中からで良いから二人きりにして欲しい、と言われた。ルーシィは断る理由もなく、慌てて頷く。
そうだった。応援する、と約束した以上、ここは計画を中断させて協力すべきだ。
なぜかほっとした自分に気付きながらも、リサーナの申し訳無さそうな顔を見て、笑ってみせた。
「任せといてよ!急用が出来たことにして、あたし行かないから!」
「え?でも」
「いきなり居なくなるとナツも気が散るでしょ?こういうのは、初めから居ない方がいいの!たまには待ち合わせして、デートを楽しんで来なよ!」
「でも、ルーシィ。行きたかったんじゃないの?」
「あたし?別にそうでもないかなー。ニュース思い出して、成り行きで話題にしただけだし」
ルーシィが苦笑すると、リサーナは眉を寄せた。その眉間を、てい、と指で突く。
「だぁいじょーぶ!ほら、笑って!ナツの前ではにこにこしてなきゃ、駄目だよ!」
「ルーシィ…うん、ありがとう」
リサーナの笑顔を見て、ルーシィはきり、と胸に痛みが走った。
ナツを殺したら、リサーナが悲しむ。
「ルーシィ?」
表情を隠す余裕が無くて、ルーシィはリサーナを抱き寄せた。
「もー、可愛いんだから!リサーナってば!」
右手にはもうほとんど痛みはない。変身していないが、魔力はこうして人間界に居るだけでどんどんと消費されている。そろそろ補給に行かなければならないだろう。あの、ゲートに。
今夜、あの、ゲートに。
教室で急に繰り広げられた美少女二人の抱擁に、遠巻きに見ていた周りの人間が息を飲んだ。
「久しぶりね」
「…もう良いのかよ、右手は」
今夜の幽兵は10体居た。流石に秒殺とはいかずに、ナツは肩で息をする。
目の前には仮面を着けたルーシィ。右手の包帯は取り除かれ、指先だけ出た手袋に覆われている。
(ハッピー、アレ、出せ)
(あいさ!)
ルーシィが鍵のようなものを構えるより早く、ハッピーがナツの前にぽん、と黒い何かを出現させた。ぱし、と受け取って、ルーシィに投げ渡す。
「ほれ」
「え?」
ルーシィが片手で受け止めたそれは、先日置いていった鞭だった。もう戻ってこないと諦めていたそれに、目を白黒させる。
「な、なんで?」
「なんでって…お前のだろうが」
そんなことを訊いたんじゃない。敵に武器を渡すとは何事だ。
やっぱり、ナツはルーシィを敵だと思っていない。これでは。
ナツは自分に殺される。
「あんた、あたしが何しに来たのかわかってんの?」
怒気を孕んだ声が、自然と喉から引き出された。せめて抵抗して欲しい。
それによって目的達成が困難になるとしても。こっちだって、本気を出せなくなる。
「…殺しに来たんだろ」
ナツの声は静かだった。急に怖くなって、ルーシィはぞくり、と身を震わせる。
「そ、そうよ。わかっているなら」
「でも殺させねぇ」
抵抗はする気か。ルーシィは安堵して強張った肩の力を抜いた。びっ、と鞭を構える。
今日は魔力の補充に来ただけだったが、遭遇してしまった以上、見逃すわけにはいかない。そんなところを幽鬼の支配者が見ていたら、一気に信用を失くすだろう。
「お喋りはここまでね」
「殺させねぇよ。ルーシィには、誰も」
「…え?」
低い声で静かに紡がれた言葉に、思わず聞き返す。今、名前を呼ばれた?
躊躇した隙に、ナツはぐん、とルーシィとの距離を詰めた。がし、と鞭を持つ手を押さえられて、ルーシィはナツを見上げる。
ぴっ、と仮面を剥ぎ取られた。
「っ!」
左手で顔を隠そうとして、その手も掴まれる。右足を振り上げようとしたが、ブロックされた。
「いい加減にしろよ、ルーシィ」
一頻り暴れたのを綺麗に押さえ込んで、ナツが瞳に仮面の無いルーシィを映す。
「お前の目的は何だ?」
「あんたを殺すことよ」
ルーシィの目は決意に溢れていたが、その奥に逡巡が見て取れる。ナツは眉を寄せて舌打ちした。
(どうして、オレに隠すんだよ)
(いや、どう考えてもナツには言わないと思うよ)
冷静なハッピーのツッコミに若干凹む。きっ、と瞳を睨みつけて、ナツはルーシィとの距離を詰めていった。
オレを信用してねぇってのか。少なくともオレは、ルーシィになら何でも言えるのに。
「え?ちょ、ちょっと!?」
ルーシィから悲鳴が上がる。吐息を感じる距離。もう少し。
ひゅっ!
異様な風切音が聞こえ、ナツは咄嗟にルーシィを抱えて横転した。
ぼひゅっ!ぼっ、ぼっ!
一瞬前まで二人が居た場所に、長い炎――矢のような――が突き刺さる。
「誰だっ!?」
「…兎兎丸」
腕の中のルーシィが、佇む影を呆然と見上げた。