(オイラ、ルーシィの様子を探るよ)
学校に着くと、ハッピーはルーシィの足元に陣取った。ナツはぼんやりとした頭で、それを見る。
「何?」
ルーシィが視線を追って訝しげな表情を作った。彼女からは何もないところを凝視しているように見えただろう。
「あんた猫みたいね」
「ナツ、やっぱり変だよ?どうしたの?」
リサーナがずっとナツを心配してあれこれ言ってきていた。そんなに、様子が違うと言うのか。
「別に、なんでもねぇよ」
きつめの声で言い捨てて、席にどかっと座る。ルーシィが頬杖を突いて、リサーナと何やら目配せした。二人同時に、首を傾げる。
気分が悪かった。
学校ではこんなに普通の高校生なのに。リサーナともこんなに仲良いくせに。
駆け落ち?オレを殺す?オレが殺す?
有り得ない。がたり、と席を立つ。
「ナツ?」
「サボる」
一言捨て置いて、ナツは屋上に向かった。
「……す」
何回目かのチャイムの後、誰かの話し声が聞こえた。
ナツは浅い睡眠から浮上し、目を開ける。空は今日も、青く澄んでいた。
ちらり、と出入り口の陰から声の出所を見ると、居たのは二人の生徒だった。
ナツは軽く息を飲む。
さらりとした金髪に、右手の包帯。もう一人の男子生徒は知らない顔だった。
「ずっと見てました」
耳を澄まさずとも、声は簡単に拾えた。風も穏やかで、二人は出入り口すぐの場所で話している。
「付き合ってください」
差し出された右手を見ずに、ルーシィは下げられた後頭部を見ている。ナツは思わず息を殺した。
(なんでこんなところで)
(屋上とか校舎裏ってそういうものだよ、ナツ)
心の呟きをフォローされ、ナツはびくり、と肩を揺らした。
ルーシィの足元から、ハッピーがこちらに向かってやってくる。
(こんなとこに居たの)
(気持ち良いんだよ、ここ)
「ごめんなさい」
ルーシィが断った。ナツはなぜかほっとして、胸を撫で下ろす。
「あたし、好きな人、いるから」
背中が壁に触れる。それによって、ナツは自分が身動ぎしたことに気付いた。
「そ、うですか…。誰かって聞いてもいいですか?」
「それは、答えられないわ」
ルーシィの声は興味のない者に対するそれだった。淡々と、義務のように発せられている。
男子生徒も諦めたように「わかりました。それじゃあ」と言って出入り口から駆け出して行く。ルーシィはそれを見送って、軽く溜め息を吐いた。
「ルーシィ」
「わぁあ!?」
後ろから声をかけると、ルーシィは飛び上がって驚いた。そんなつもりはなかったため、ナツもルーシィの奇声に驚いて後ずさった。
「な、なんだよ、驚かせんなよ」
「こっちのセリフよ!…い、何時からそこに?」
「朝からだよ。聞きたくて聞いてたわけじゃねぇからな」
口を尖らせると、ルーシィは両手を上げた。
「別に良いわよ。こんなのよくあることだし」
「うわ。さりげなく自慢かよ」
「だってあたし可愛いもん」
「かわいい?」
「突き落とすわよ」
きーんこーん。
予鈴が鳴って、ルーシィが出入り口を振り返った。あと1コマで、昼休みになる。
ナツはルーシィの包帯の巻かれていない左手を掴んだ。
「なに?」
くるり。ナツを振り返ったルーシィの金髪が、風にふわり、と靡く。
ナツはその髪がルーシィの目を隠したことに安堵した。
「サボらねぇ?」
言ったと同時に、ルーシィは髪を押さえて、ナツを見返した。日の光に照らされて、教室に居るときよりも瞳が明るく見える。
「次、数学よ?」
呆れたように告げられた言葉に、ナツは落胆する。そうだよな。
手を放すと、教室に戻ると思われたルーシィが、さっきまでナツがいた、出入り口の陰に足を向けた。
「へ?」
「何ぼけっとしてんの。サボるんでしょ」
悪戯っぽく笑って、すとん、と体育座りをすると、短いスカートが足の付け根までめくれた。
それを慌てた風もなく手で直して、ルーシィは突っ立ったままのナツを見る。
「何?」
「いや、お前…いいのかよ?」
「んー、今から戻るの面倒だもの」
ナツ達の教室は1階で、校舎は5階建てだ。確かに面倒と言えば面倒だが。
(ナツ、チャンスだね!)
(な、なななんのだよ!?)
(何動揺してんの。ルーシィから情報を聞き出そうよ)
(あ、あー、そうだな)
ごほん、とナツは咳払いしてからルーシィの横に座った。教室とは違う、近い距離。
「お前、さ」
ルーシィがナツを見上げた。ん?と首まで傾げて、笑っている。するとナツは急に、自分がしようとしていた「なんで妖精の尻尾を抜けたんだ?」という話を忘れた。
「好きな奴、いんのかよ」
「え?」
口から出た言葉は、ナツ自身を動揺させた。心臓が他の臓器を食べようとする。
ばくばくばく。
いや、確かに気になったけど。でも、答えられないって言ってたじゃねぇか。
ルーシィはそんなナツの心情に気付かないように、平気な顔で答えた。
「いないわよ。さっきのはね、そう言えば諦めてくれるの。常套文句よ」
「へ?」
想像していたものと全く違う答えが返ってきて、ナツは目を白黒させた。
「そ、それって、なんか」
「何よ?」
「酷くねぇか?」
ナツは思ったことを口にした。自分だったら、好きな奴に告白して、そんな嘘を吐かれたら傷付く。好きな人がいる、と言われたら、相手のことを思いやって身を引くのが普通なんじゃないのか。それが諦めさせる為だけの、嘘なんて。
「いいのよ、別に。だって今の人に興味ないもの」
平然と言ってのけるルーシィに、ナツは出かかった言葉を飲み込む。
『グレイって奴はどうなんだよ』
言えないセリフがぐるぐると頭を巡る。
ハッピーはナツの心の声を聞きながら、極力何も考えないようにしていた。
もどかしい。ツッコんでしまいそうだ。
ハッピーが魔法界に戻っていた間に、ルーシィへの想いが強まっていたのか。駆け落ち云々は言わない方が良かった、と反省する。
まぁ何にせよ、これでナツがルーシィを傷付ける心配は完全に取り除かれたわけだ。
後はルーシィがナツへの攻撃を止めてくれれば。今のナツには、ルーシィが勝てるとはあまり思えないけれど。
風がそよそよと二人を包む。ルーシィがポケットから携帯を取り出した。
「ね、今週末さ、リサーナと三人で動物園行かない?」
「動物園?」
「うん。たまにはさ、そういうのも良いかなって」
ルーシィはにこにこと笑顔を振りまいている。
「あー…そうだな、たまにはな」
「やった!あたしね、動物園すっごい久しぶりなんだ!」
その嬉しそうな顔に、ハッピーは首を傾げた。そっとテレパシーを閉じて考える。
ルーシィは本当に、なんのつもりなんだろうか。学校に通っているときは普通の人間のようだ。
通常、人間界に潜伏する魔導士は、ルーシィと同じように魔法を使うときのみ変身を用いる。そうしないと魔力が漏れていくからだ。しかし中身まで変身の影響を受けることはない。つまり、魔導士姿のときとそうでないときで、人格の変化はないはずだ。
夜にナツを殺そうとしてくるルーシィが、昼に学校でナツに攻撃しないのはなぜ?
魔法で殺さなければならない理由があるのか?
それにしてもこんなに馴れ合う必要はないはずだ。ナツに反撃させないため?いや、ルーシィはナツに正体がバレていないと思っているはずだ。
もう一度ルーシィを観察する。
ナツがルーシィから目を逸らした隙に、ルーシィが目を細めた。
ハッピーは思わず腰を浮かしかけるが、その瞳は何かを狙ったわけじゃなく。
一瞬だけ、迷いのような切ない影が走るのを、ハッピーは見逃さなかった。
ルーシィも、殺したくない?
だとすれば、この状況は――幽鬼の支配者の指示なのか。
ナツに情を移した上で、殺せ、と言うのか。
ハッピーの胸に、ぎりぎりと怒りが湧く。
ルーシィはこれを乗り越えてまで、幽鬼の支配者に入りたいのか。どうして?
授業終了のチャイムが鳴るまで、ルーシィはナツに動物園の熊について熱く語っていた。