すいみん不足





街路樹の根元に生えた細長い葉っぱの上に、蒸発しそこなった朝露が付いている。ちとちとと歩いてきたてんとう虫が、身の丈ほどもあるそれの前で止まった。迂回するかしないか悩むかのように、触角を動かしている。
ナツはああ居るな、くらいにしか思わなかったが、ハッピーは興味をそそられたらしい。ぴたりと立ち止まって、それを覗き込んだ。朝露には青い毛並が映ったが、てんとう虫にはハッピーの存在が目に入っていないかもしれない。ぴこぴこと触角で露だけを探っている。
横を見れば、ルーシィがハッピーの頭越しにてんとう虫を眺めていた。観察というほど力の入っていない、けれどもてんとう虫を視界の真ん中に入れた、そんな視線だった。ナツに気付いて、頭を上げる。

何も言わない。

何も考えていないように、ルーシィはぼんやりとした表情をしていた。ナツも同じ――仕事から帰ってきたのは昨日の、いや、今日の、夜と朝の狭間の時間だった。まだ半分くらい寝惚けている。もしかすると、ハッピーもただぼうっとしているだけでてんとう虫など見ていないのかもしれない。
ナツもルーシィもハッピーも――てんとう虫以外、この場の全員がぼうっとしている。いや、てんとう虫だって、ハッピーが見えていないのだ。ぼうっとしている。みんな、ぼうっとしている。
それをやはりぼうっと受け止めて、ナツはルーシィに顔を寄せた。これは面白い、ような気がする。
漠然と、何かを言おうと思って――

唇を、合わせた。

あれ。

違う。こんなことをしたかったのではない。
ナツは焦った――が、実際には焦ることができなかった。焦りもその他の感情も泥の中にあるように形が掴めない。心に浮かばない。ただぼけっと、ルーシィを見返す。
ルーシィは緩慢に目を見開いた。そして今日初めて見るような機敏な動作で首を引いた。ぱちぱちと二回瞬きをして、何故か。

ハッピーを、見た。

ナツもハッピーを見た。居眠りでもしているのか、じっとその場を動いていない。これなら。

もう一回、できる。

互いに目を戻したのは同時だった。それだけで、同じことを考えている、と悟る。
視界を傾けると、ルーシィが角度を合わせてくれた。そのまま、確実に触れてから――目を閉じる。

一回。
二回。
少し目を合わせてから、三回目。

ふっと息を抜くと、ルーシィが恥ずかしそうに笑った。それが嬉しくなって、もう一回。あ、違った、可愛いと思ったんだ、と思考を修正して、さらにもう一回。

ちゅ、と微かな音が鼓膜を叩いた。

ルーシィの肩が小さく揺れる。さっと確認したが、ハッピーはまだてんとう虫を見ていた。横でも胸を撫で下ろす気配がする。
おかしくなって、でも声は出さずにナツは笑った。ルーシィも笑っている。見なくてもわかる。
唇を離しても、ナツは今や、ルーシィと心の底から繋がっていた。精神が溶け出して、二人の間で一つの塊になっているような気分だった。自分はナツで、同時にルーシィで――
横に居るのはルーシィだが、自分でもある。半分正気から足を踏み外して、ナツは自分の手を見下ろした。これは自分の手だが、ルーシィの手かもしれない。
ほんの少しだけ動かせば、細い手と重なる。そのまま、ナツはルーシィの腕を辿った。首の後ろを指先だけ掠らせる。

この金髪も。この頬も。
この――

触れる。

自分だから躊躇いはない。自分。自分だから。そう、自分だから。

んん?
言い訳している――?

その違和感がナツを起こすより先に、ばちん、と頬が音を立てる。
痛みとルーシィの真っ赤な顔で目が覚めた。柔らかくて温かい感触だけが、手のひらに残る。

葉っぱの先から、てんとう虫が飛び去った。






2015.3.2-2015.4.2拍手お礼文。


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