「次はいつ会えるの」なんて聞こうものなら、きっと面倒な女だと思われて別れを切り出されるだろう。
情事を終えて眠る前のその時間、ふと考えた。
なまえは今自分を抱き締めて眠る彼を見て小さく息をつく。
この人とは随分前から付き合っている。
いや、そうは言っても何十年というのではなく2年と少しなのだが。
それでもこの賢木修二というプレイボーイと付き合うことを考えれば、2年というのは驚くべき長さなのだ。
彼のすることに一切干渉せず、本当に付き合っているのかわからないような関係であったけれど。
だからこそ長く続いているのかもしれない。
だが決して、彼に興味がないわけでも愛していないわけでもなかった。
好きだからこそ、離れてほしくなくて何も言えないのだ。
何も聞かないから、彼が自分のことをどう思っているのかもわからない。
他の彼女相手のように浮気を隠していい男だとアピールすることもないし、もしかしたらもう飽きてよく思われていないのかもしれない。
それでも彼は今日も同じで、情事の際にはひどく優しく自分を抱く。
それが余計に混乱させる。
「私のこと、どう思ってるのよ…」
起きているときであれば、決して聞くことはできないが。
「…ただ女だから、優しくしてるのかもしれないわね。」
別れを切り出すことすら面倒で、ズルズルと引きずっているだけかもしれないし。
諦めにも似たため息をつくと、なまえは彼の姿を目に焼き付けて、目を閉じた。
***
「ん……」
いつのまにか眠っていたようだ。
カーテンの間から漏れる光に目を細め、なまえはゆっくりと起き上がる。
ふと隣を見れば、彼はもうそこにはいなかった。
これもいつものこと。
ホテルの宿泊費と簡素なメモをテーブルに置き、彼は先に行ってしまうのだ。
同じ職場ではあっても直接医療現場に関わらない仕事であるため、次はいつ彼に会えるかわからない。
なまえは残された手紙を読んでため息をつくと、鞄から1冊の本を取り出した。
10日分が見開きで1ページとなっている、シンプルな日記。
その日記の昨日の欄に、出来事や思いを綴っていく。
今日もまた賢木のことを書いてスペースが埋まってしまった。
それ専用のものというわけではないのだが、書きたいことといったら彼のことくらいしかないのだ。
なまえは書き終えてペンを置くと、日記を閉じて息をつく。
「準備しないと…!」
あまりのんびりはしていられない、今日も仕事はあるのだ。
なまえは軽くシャワーを浴び、支度を始めた。
「おはようございまーす。」
バベルの自分が勤める部署に着き、お決まりの挨拶をする。
「あ、おはよう。来て早々悪いんだけど、これ運ぶの手伝ってくれない?」
他に誰もいなくて、と苦笑した仕事仲間は、すぐ近くにある荷物と書類の山を指した。
なんでも、これら全部を一緒に持っていかなければならないらしい。
こんな量を一度に持っていくなんて、どうかしている。
なまえもあまりの量に苦笑した。
「いいですよ。」
快く引き受けた彼女は、書類をもって彼と共に部屋を出た。
荷物をもつ彼に比べ、書類をもつなまえにかかる負担は随分と軽い。
他愛もない話をしながら、2人は目的地を目指す。
だがエレベーターを降りたところでなまえの足が止まった。
「どうかした?」
「あ、いえ…」
その先で、賢木の姿を見つけてしまったのだ。
また知らない女性の隣を楽しそうに歩いている。
「…っ……」
ふと前を向いた彼と、目があった。
「っ、行きましょ。」
「ん?あぁ。」
なまえは仕事仲間に声をかけると、賢木を視界に入れないようにしながら歩き出した。
それでも、彼らの会話が耳に入ってくる。
もうすっかり慣れたはずなのに、いつまで経っても傷つく心。
なまえはさらに速足で歩いたため、後ろにいた仕事仲間は息を切らせながら追いかけていた。
「あれ?」
書類を届けた際に、相手側が発した言葉。
「これ、うちのじゃないですよ?」
渡し返された紙を見れば、確かにそれはこの部署宛のものではなかった。
賢木の勤める部署宛の書類。
「悪いけど、それも届けてきて。」
「………」
なまえの勤める部署は、そこから然程離れていない。
そのためこの仕事仲間はついてきてはくれなかった。
こういうとき、何も知らないこの人物を薄情だと思う。
なまえは息をつくと、彼に会える喜びと先程の心の痛みを抱えながら目的地へと歩を進めた。
「失礼します。」
ノックして室内に入ると、そこにいたのは賢木一人だけだった。
さっきの女性はどうなったのだろうという小さな疑問が浮かぶ。
「賢木先生、そちら宛の書類をお持ちしました。」
だがもちろんそんなことは聞けず、当たり前のように仕事の話だけをした。
職場ではなんの関係も持たない赤の他人として接するため、彼を親しく呼んだりすることはない。
「あぁ、ありがとうございます。」
それは彼も同じで、仕事用の笑みを向けなまえから書類を受け取った。
「では失礼します。」
なまえは賢木から目を逸らすと、早々にそこから立ち去った。
去り際に彼がこちらを見た気がしたが、きっと気のせいなんだろう。
***
1日の仕事を終え、なまえは帰路につく。
やはり賢木は自分を誘わず、今日は一人だ。
だが今日は職場で彼と話すことができた、それだけでもラッキーだったと思わなければ。
「あ…」
ふと、なまえは足を止めた。
そういえば、あと2ヶ月と10日で彼の誕生日だ。
たくさん貰うのはわかっているけれど、自分も何か渡したい。
何より彼が生まれてきてくれたことを祝いたいのだ。
今年は何をプレゼントしようか。
なまえは歩く速度を落とし、道沿いに並ぶ店を見る。
そしてそれらを参考に今年のプレゼントを考えた。
“もうすぐ修二の誕生日。今年は何を渡そうかな…なるべく他の人と被りたくないけど、難しいよね。”
今日の日記の内容はそれ。
下にその日見つけたプレゼント候補とその店名も書いておく。
それから何週間かは、ずっと同じような内容だった。
そんな自分に自嘲しながらも、なまえは毎日日記を綴っていく。
もうプレゼントの候補もだいぶ増えてきた。
だが、誕生日の2週間前になって内容が少し変わった。
“何も考えずただこうやって書いてきたけど、今年は当日一緒に過ごせるのかな?”
去年はたまたま一緒に過ごせたけど、今年はどうかなんてわからない。
賢木と過ごしたい彼女はたくさんいるだろうし、彼もまたたくさんの彼女と過ごしたいはずだ。
ただずるずると関係を引き摺っている女となんて過ごしたいはずがない。
「…あ、やだ……」
そのページに涙が落ちてしまった。
書いたばかりの場所に落ちたため、文字が少し滲む。
こんなことで泣くなんて馬鹿みたい。
なまえは涙を拭くと、日記をパタンと閉じた。
考えても仕方がない。
あまりたくさん望んではいけない。
本来なら、何人もいる彼女の中に自分も入れてもらえるだけでも感謝しなければ。
なまえはテーブルに突っ伏し、そのまま何も考えないように努めながら眠った。
***
ある日のことだった。
携帯を開き、彼に電話してみようかと思った。
だが実際にかけてみると、呼び出し音が一度鳴り終える前に切ってしまう。
彼の反応を知るのが怖いのだ。
なまえは自嘲気味に笑って携帯を閉じる。
そしてひとつ息をつくと、気持ちを切り替えてバベルを出た。
今日もいつもと同じように、仕事帰りに賢木へのプレゼントを物色する。
だがもう既に、それは決まりつつある。
「やっぱり、あれにしようかな…」
なまえは行き先を家からその店に変えると、少し気分を高揚させながら歩いた。
「プレゼント用ですか?」
「えぇ。」
店員に言われ少し照れながら返事をすると、彼女は微笑んで包装してくれた。
まだ彼の誕生日まで1週間はあるが、先に買っておくのは悪いことではないだろう。
他の誰かに買われてしまわなくてよかった。
なまえは鞄から日記を取り出し、“修二へのプレゼントを買った”と書いた。
「お待たせしました。」
「あ、ありがとうございます。」
店員から商品を受け取り店を出る。
今日はこの季節にしては珍しくよく晴れていた。
こんな日には彼と一緒に出掛けたいと思うことがある。
だが彼は忙しいし、何より他の彼女に見つかったら大変だ。
「あ。」
信号が青に変わった。
早く帰ってプレゼントに添えるカードも書きたい。
なまえは青になってから少し経った横断歩道を渡り出す。
その時だった。
角を曲がってきた車がなまえに衝突した。
他に渡っていた人は皆既に渡りきっていたため、その時渡っていたのは彼女だけ。
どちらも信号を無視したわけではないのだが、死角となって見えていなかったのだろう。
不運だったとなまえは思う。
向こうもあまり速度を落としていなかったため、結構大きな事故となってしまった。
意識が朦朧とする中で、思い浮かんだのは賢木の顔。
なまえはそのまま意識を手放した。
***
仕事が休みでたまたま自宅にいた賢木は、携帯の着信履歴を見て自嘲した。
探しても見つからない名前。
彼女から電話がかかってきたことはないし、きっとこれからもかけられることはないのだろう。
携帯を閉じ、しばらくそれを見つめる。
すると、突然誰かから電話がかかってきた。
「なっ…!」
相手を確認すれば、それは今しがた決してかかってくることはないだろうと思っていた人物。
賢木は少し緊張しながら、通話ボタンを押して電話に出た。
「は、はい…」
「すみません、みょうじなまえさんのお知り合いの方ですか?」
「は?」
だが、機械越しに聞こえてきたのは知らない人の声だった。
「あの、どちら様で…」
「申し訳ありません。私、朱雀病院の浮舟という者ですが…」
浮舟と名乗った女性は、何故この電話から賢木にかけたのかを説明した。
その話を呆気にとられたまま賢木は黙って聞いていく。
だが彼女の話が電話をした理由の説明に入ったとき、賢木は話を聞きながら家を飛び出した。
座って聞いていられるほど、落ち着いてはいられなかったのだ。
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