賢木が病院に着いたとき、なまえは既に病室で眠っていた。

布団で体の部分は見えないが、頭には包帯が巻かれ、腕には点滴が繋がれている。


「なまえ…」


賢木は彼女の傍へ行き、すぐ近くにあった椅子に座った。

容態を知り、心配と同時にいくつか疑問が沸き上がる。

電話を掛けてきた看護師は、リダイヤルの一番上にあったから賢木に連絡したと言っていた。

だが実際、なまえから電話がかかってきたことはない。

ちらりと彼女の顔を見ると、頭の包帯と顔の傷を除けばこの間2人で過ごした日と何ら変わらない穏やかな表情で眠っている。

賢木は彼女の頬にある傷をそっとなぞった。

痛々しいそれは、しかしいくらか時間が経過しているため血は固まっている。

彼女が何を思っているのか知るのが怖くて、彼女に触れる際には過剰にリミッターをつけているが、実際どう思っているのだろう。


「…………」


自分で考えても答えは出ない。


「……矛盾したことについての確認だ。」


申し訳なく思いながらも、賢木は意を決してなまえの鞄の中身を見た。

初めて見る彼女の鞄の中。

その中身を少し長めに見たあと、携帯を取り出してそっと履歴を確認した。


「なっ……!」


そこには確かに自分の名前があった。

看護師からかかってくるほんの1時間ほど前。

それ以外にも、数日に1回はかけていたという記録がある。

おそらく、相手側の携帯に表示が出る前に切っていたのだろう。

そうでなければ、自分が気づかないはずがない。


「どういうことだ…?」


未だ目を覚まさないなまえを見て、賢木は眉間に皺を寄せる。

確認したいが、本人が目を覚まさない以上真実はわからない。

接触感応能力で意思を読み取る勇気は、残念ながら湧かなかった。

賢木は携帯を鞄に戻す。

その時、先程は閉じていたはずの本が表紙だけ開いているのに気づいた。

そのページの真ん中辺りには、黒でDiaryと書かれている。


「日記…?」


いつも持ち歩いているのだろうか。

賢木は首を傾げる。


いったい彼女は何を書いているのだろう。

一緒にいる時間が少ない自分には検討もつかない。

職場でのことだろうか、他にいる男のことだろうか。


駄目だとは知りつつも、見たいという気持ちが募る。

なまえを見れば、彼女は相変わらず眠っていた。


「…………」


彼女が目を覚ますまで。

賢木はそう自分に言い聞かせると、申し訳なく思いながらそっと日記を取り出した。




「……嘘だろ…?」


日記を読み始めた賢木は、思わずそう口にした。


てっきり、日常や、そんなことが書かれていると思っていた。

だが実際に書かれていたのは、ほとんど賢木のことだった。

通路ですれ違っただとか、そんな些細なことまでが嬉しそうに記されている文。

逢瀬のあとは、1人残されて寂しいと――目が覚めて彼女がどんな反応をするのか知りたくなくて逃げていた賢木のことなど知らない彼女は、健気にもそう書いていた。

起こさないように細心の注意を払いながら、眠っている彼女の頬に口づけているのも、きっと知らないのだろう。

知られないようにしていたのだから。


賢木はさらに読み進めていく。

そして気づいた。

驚くべきことに、この日記内での彼はすべて“修二”だったのだ。

そう呼ばれるのは情事の時のみで、それ以外は賢木先生としか呼ばれたことがない。

普段職場で会っても声をかけられることはないし、賢木が他の女性といても咎めることのない彼女。


「他に、いるんじゃねぇのかよ…」


そう、それはなまえにも同じようにたくさんの男がいて、賢木1人に重点を置いていないからだと思っていた。

だが実際どうだろう。

この日記の中にいるなまえは、ただひたすらに賢木だけを想い、求めている。

履歴といい、この日記といい、いったい彼女は何を思って生きているのだろう。

真実を知るのが怖くて深く考えないようにしていたことについて、今真剣に考える。


「だってそうだろ?同僚の男ともあんなに仲が良さそうで、俺のことなんて全然気にした素振りも見せなくて……」


だがそこまで考えて、似たことをしている人物を思い出してしまった。

その人物は、拒絶されるのが怖くて一定の距離を保ち続け、ひたすら他の異性に意識を向けているフリをしている。

本当の気持ちを表すのは、相手の理性が飛んでいるであろう情事の時だけ。


「……結局、似た者同士ってわけか。」


賢木はそう呟いて自嘲すると、さらにページを捲っていった。

最近の記事に差し掛かり、2ヶ月も前から誕生日のことで悩んでくれていたという事実に喜びを感じる。


そして見つけたつい1週間前の記事に、目を細めてなまえへと視線を移した。


「馬鹿だな…」


滲んで読めない文字は、きっと涙のせいなんだろう。

誕生日を一緒に過ごせるかどうかなんて、悩む必要もないのに。


賢木はなまえの髪をさらりと掬う。

彼女の瞼がピクリと動いたが、まだ目は覚まさないようだ。


「起きたら、俺も自分の気持ち話さねぇとな。」


なまえの手を握り、そう呟く。

寝顔を見つめながら、賢木はただ彼女が目を覚ますのを待ち続けた。







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