「もうすぐね。」
「うん…」
紅葉の言葉になまえは力なく答えた。
兵部が招待を受けたどこぞのパーティー。
そこに、なまえは出席することになっている。
理由は、兵部が興味がないから代わりに行けと命令したからだ。
自分の代わりに出席するという任務だと言われれば、なまえが反論できないことを彼は知っている。
それにこの任務は、日頃働き詰めな彼女に休息を、という兵部からの細やかなプレゼントでもあるのだ。
たまには息抜きして、楽しんでこいと――
「あんまり嬉しそうじゃないわね。」
「まぁ、ね…」
苦笑しながら返すと、紅葉は呆れたと言うように溜め息をついた。
「…まだ仲直りしてないの?」
「……………」
無言は肯定。
そう、これこそなまえがパーティーを楽しみにしていない理由だった。
出席するのは何も彼女だけではない。
招待状が2枚来ていたこともあって、なまえの恋人である真木もまた、同じ理由で参加することになっているのだ。
普段なら喜ぶ、少なくともなまえは。
だが彼らは先日些細なことで言い合いになり、もう何日も口を利いていない。
正直、パーティーに顔を出すなどあり得ないくらい剣幕なのだ。
一緒に出席するには、あまりにもよろしくない雰囲気の2人。
だがパーティの話をされたあとに仲違いしてしまったため、了承してしまった彼らは参加しなければならない。
「真木ちゃんのことだから、もう怒ってないわよ。」
「私もそうは思うんだけど…」
度重なる任務で顔を会わせる機械も少なく、顔を会わせても気まずくなって逃げてしまう。
そのせいで離れてから随分と日が経ってしまい、余計に話しづらくなってしまったのだ。
最近ではもうお互いの姿を視界に捕えることもないように思う。
「食事は外で済ませてたし、ここでも逃げ回ってたものね。」
「うっ……」
過去の自分を少し後悔している。
しかし、悔やんだところでどうにもならない。
「まぁ招待状は別々なんでしょ?だったら現地できっかけ見つけて仲直りすればいいわよ。」
それまでに仲直りするのが一番いいけどね、と紅葉は続けた。
「そうだよね…」
紅葉の意見を肯定しながらも、それができないことは自分自身よくわかっていた。
今回のパーティーは、珍しくパートナー同士で1枚ではなく個人に招待状が送られてきている。
普段なら気にも止めないが、今回はラッキーだと思った。
その珍しい制度に少なからず感謝している自分がいる。
まぁ、もしパートナー同士で1枚ならば、現地へ行く前にどうしても話す機会を作ったのかもしれないが。
そうならなくてよかったと思うのは、自分の気が弱いからだろうか。
なまえは少し自嘲気味に笑った。
「パーティー用のドレスは持ってる?」
「うん。それなりに通用するやつは…」
「じゃあ問題ないわね。それ見たら真木ちゃんも何か言ってくるわよ。」
「だといいけど…」
不安は募るばかりだ。
何故任務でもないものにこんなにも頭を悩ませなければならないのか。
なまえは溜め息をつき、クローゼットを見つめた。
パーティー当日、なまえは鏡の前でまた溜め息をついた。
ドレスは着た。
自分としては結構気に入っている深紅のドレスだ。
少量のアクセサリーは付けたし、髪もパーティーに相応しいようにアップにしてある。
あとは心の準備だけなのだが。
「なんだかなぁ…」
手に持った小さなバッグに入っている、兵部から渡された招待状を取り出して見つめる。
誰宛かなど書いていない。
要は人数が集まれば誰だっていいのだ。
「…っ………」
不意に、これと同じものを待つ人物の顔が思い浮かぶ。
会いたくないわけではない、寧ろ会いたい。
しかし、臆病な心がそれを拒む。
離れている間に、彼の気持ちが自分以外の誰かに向いてしまったのではないか。
避けていたのは寧ろ自分の方だというのに、それを考えると世界が終わってしまうかのような錯覚に陥る。
「考えても仕方ない、か…」
自嘲気味に笑って意を決し、なまえは会場へと瞬間移動した。
着いたのはとある古城。
ここの大広間が会場なのだ。
石階段を上り、この先にあるものを想像する。
そういえば、自分はこのパーティーの主催者が誰なのか知らない。
だが、招待状に名前を書かないような人物ならば、挨拶に行く必要もないのだろう。
一人納得し、なまえは長い石段を上り続けた。
「こんばんは。」
城への入り口まで来ると、愛想のよい若い男性が声をかけてきた。
その格好を見る限り、門番のような役割をしているのだろう。
一応はちゃんとしたパーティーのようだ。
「こんばんは。」
なまえも愛想よく返す。
「招待状を拝見させていただきます。」
そう言われ、持っている小さなバッグから招待状を取り出し彼に見せる。
「ありがとうございます。楽しんできてくださいね。」
お互いが別れの挨拶を軽くしたあと、なまえは城内に足を踏み入れた。
あの場では言わなかったが、名前も書いてないような招待状を見て何を調べたのだろうか。
先程の彼が接触感応能力の持ち主なら話は別だが、そうでないのなら意味など無いはずだ。
それならば、招待状の偽造も簡単にできるだろう。
そこまで考えて、なまえは歩みを止めた。
真木の姿が脳裏に浮かんだからだ。
もしそんな任務が来たら、担当者は絶対に彼だろう。
全く関係ない話なのに、何でも彼に結び付いてしまうなんて―――
意図せず行き着いた考えに、もう苦笑するしかなかった。
それほど、このあと彼に会うということが自分の中で大きくなっている。
それだけが目的のパーティーではないのに。
「もう来ているのかしら……」
すでに会場にいるのか、それともまだ来ていないのだろうか。
なまえは瞬間移動で来たが、真木にはそれが使えない。
それ故に自身の能力で飛んでくるのだろうが、それならば既にアジトは発っただろう。
律儀な彼が、仮にも任務扱いであるこのパーティーへの出席を無視するはずがない。
「いるわよ、ね…多分……」
期待と緊張で高ぶる胸を抑え、いくらか深呼吸してなまえは歩みを進める。
大広間の前に着き、また大きく息を吸った。
「わぁ…」
会場には綺麗な衣装に身を包んだ人がたくさんいた。
この広い会場はそれだけの人数が入っても空間に十分余裕があるからすごい。
さすが西洋の古城といったところか。
しかし、これだけ広いと真木を探し出すのは困難だろう。
「どこにいるんだろう…」
来ているという確証はないが、なまえは真木の姿を探す。
会ったところで、どうするかも全然考えていないのだが。
会って声を掛ければ、何と言われるだろう。
この姿を見て綺麗だと言ってくれるだろうか。
それとも、無視を極め込まれるだろうか。
「お嬢さん。」
「え…」
突然、後ろから声を掛けられた。
振り返ってみてみれば、そこにいたのは上質なスーツに身を包んだ壮年の男性。
探している人物とは違い、こういった場所に慣れているように見える。
「今宵はお一人で?」
「いえ、連れが…」
今はまだいないが、これから一緒になる予定だ。
それよりも、さっさと離れて早く真木を探しに行きたい。
「それは失礼。お連れの方に申し訳ないことをした。」
「いえ、お気になさらず。」
慎ましく返し、愛想笑いをしてその場をあとにする。
こんな風にするのが礼儀なのか、一人でうろうろしているなまえは同じように何度か声を掛けられた。
だがどの男性も適当にあしらって、すぐに別れを告げる。
綺麗だと褒める人も、このあと行動を共にしようと誘う人も、彼女にはどうでもよかった。
――司郎に、会いたい。
だいぶ探した、あとは奥にあるスペースだけだ。
見つけたら、何と声を掛けよう。
未だに同じことに悩みながら歩いていると、視界にある人物の後ろ姿が入ってきて歩みを止めた。
長く癖のある黒髪に、スーツがよく似合う長身。
間違いない、彼だ。
何日も話していない、姿も見ていないのに、こんなに離れたところから後ろ姿だけでわかるなんて。
それによって、自分がどれだけ彼を切望していたかを思い知らされる。
期待と不安でいっぱいだった胸は、いつの間にか期待だけになっていた。
その期待の大きさに比例するように鼓動も速くなっている。
一歩一歩、ゆっくりと確実に進んでいく。
彼との距離が徐々に縮まっていく。
先程の悩みは何処かへ飛んだ。
何と声を掛けようか。
そんなこと、考えるだけ無駄だったのだ。
姿を見た瞬間、たまらなく名前を呼びたくなって、とにかくこちらを向いてほしいと思った。
自分から謝って、早く仲直りがしたい。
時々見える横顔はいつも通りの険しい顔。
いや、無表情なのではなくわかりにくいだけでいろんな表情を彼は持っている。
その顔を、自分に向けてほしい。
声が届く範囲まで来て、なまえは口を開いた。
「しろ……ッ!」
しかし、その口はすぐに閉じられた。
真木の前に、淡いブルーのドレスに身を包んだ女性の姿が見えたからだ。
彼の方を見て、楽しそうに笑いながら話しかけている。
この姿を見て綺麗だと言ってくれるか、無視を極め込まれるか。
この会場に入って一番初めに考えたこと。
ほんの十数分前のことなのに、随分と前のように感じる。
そしてあの考えはどちらも違っていて、突きつけられた現実は、最も拒絶していたものだった。
自分と離れている間に、新しい女性との関係を築き始めた―――
期待だけになっていた胸の中が、空っぽになった。
「……ッ………」
不意に、真木の前に立つその女性と目が合った。
彼女はそのまま目を逸らさないでいる。
なまえが、この場にはあまりにも不似合いな絶望的な表情をしているからだろう。
ずっと一点を見つめていた彼女を不審がったのか、その女性の視線の先にあるものを見ようと、真木も振り返ってその先を見つめた。
「…………ッ!」
耐えられなくなり、なまえは走り出した。
真木がいるのとは逆方向にある入り口に向かい、無我夢中で走る。
会場を飛び出し、それでも尚走り続ける。
頭が回らず、どこに行けばいいのかわからないけれど、それでもここにはいたくなかった。
「…っはぁ…はぁ……」
ひたすら走り、ようやく足を止めたのは、ドアで隔てられた屋根のない少し広めのベランダのようなところだった。
しゃがみこみ、石で作られた柵を握る。
夜風が当たり、寒さを感じたが構わなかった。
「…っ……ぅ………」
溢れる涙が頬を伝う。
嗚咽を漏らしながら、なまえはただ泣き崩れた。
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