あれからどのくらい経ったのか。
何時間も経ったような気がするが、実際は数十分なのだろう。
未だ鳴り止まぬ音楽と喧騒、それらはまだパーティーが続いているということを物語っている。
しかし、なまえがいる場所は静かだった。
時々パーティーの音楽が遠くから聞こえてくるが、それ以外の音は全くない。
夜の静寂に包まれているという表現が似合うそこは、よりいっそう孤独感を与えた。
涙は止まったものの、なまえはまだしゃがみこんだままである。
隅に小さく踞る彼女がいるだけの空間は、余計に広く、寂しく見える。
不意に、背後で少し風ができ、音楽が大きくなった気がした。
「こんなところにいたのか。」
「…………!」
掛けられた声。
あれ以来聞いていなかった声だが、誰のものかはすぐにわかる。
今まで会いたかったと思っていたのに、全然そんな気分になれない。
怖くて顔が見られない。
気が付けば、体が勝手に動いてこの場から逃げ出そうとしていた。
「待て!」
だがそれが叶うことはなく、なまえは真木に手首を捕まれ動けなくなった。
「……離、してッ!」
「誰が離すか!こちらを向け!」
「……いや…!」
「そうやっていつも逃げてばかり。そんなに俺の姿を見るのが嫌か!」
手首を掴む力が強くなる。
「…いッ……!」
なまえは嫌だと言おうとしたが、それは中断された。
真木が強引に彼女の腕を引き、抱き締めたからだ。
体が記憶している抱き締め方とは違い強引で、少し痛いくらい。
その様子から、真木に余裕がないことがわかる。
「…い、や……」
「嫌なら、瞬間移動で逃げればいい…」
先程の行動からは想像できないような、弱々しい声。
「…それができないのは、嫌がってないからか、悲しみで能力を発動できないからだ……」
いずれにせよ、なまえが真木を拒む理由にはならない。
弱々しさは消えていないが、その口調はどこか確信を持って話しているようにも聞こえる。
そのまま流されそうになったが、なまえはここへ逃げてきた理由を思い出し、意識をはっきりさせた。
「…ッ離して!」
その言葉が予想外だったのか、驚いた真木の腕が少し緩む。
それと同時になまえは力一杯彼を突き飛ばした。
「なまえ…!」
「最低、よ……新しい彼女と…仲良くやってるくせに……」
「何を…」
「私のことなんか…もうどうだっていいくせに……!」
もう流れないと思っていた涙が、また頬を伝う。
「早く…彼女のところに行きなさいよ……」
「何の話だ…」
「ッ…とぼけないでよ!あんなに楽しそうに話してたくせに…!」
それでも尚、理解していない様子の真木。
「私の方を見たのだって、あの人の視線の先が気になったからでしょ…」
「…っ……」
その台詞で理解したようで、真木の眉間の皺が深くなる。
「…彼女の視線の先が気になってそちらを見たことは否定しない……」
「やっぱり…」
「だが、そんな風に思われたのは心外だ。」
目が少し鋭くなった。
「新しい彼女…そんなものを作るような安っぽい男に見えるのか?」
「……っ………」
「お前が何を見たのか知らないが、楽しそうになどしてはいないし仲良くした覚えもない。」
相手が勝手に話しかけて、ニコニコしていただけだと真木は続ける。
「……っ………」
真木が歩み寄り、少しずつ2人の距離が縮まる。
「それなのに、何人もの男に笑い掛けて話した挙げ句最低呼ばわりするとは…」
「…見て、たの……」
「あぁ、話しかけるタイミングを窺うためにな。」
「…私っ……」
言葉を紡ごうとした瞬間、なまえは真木に抱き締められた。
先程と同じように、力強いが荒々しさは感じられない。
心地よい力強さだ。
「なまえ……」
切な気に呼ぶ声。
抱き締められた体に震えが伝わるのは、力を込めているからという理由だけではないはずだ。
「ごめん、なさい……」
「謝らなくていい。こちらにも非はある。」
「でも……!」
抱き締める力が強まった。
「また話せた、触れることができた。それで充分だ。」
「司郎…」
力なく下がっていたなまえの腕が、真木の首に回される。
抱き合ったまま、どちらからともなく唇を合わせた。
暫くして離れると、なまえは名残惜しそうに真木を見つめる。
真木もまた、なまえを見つめた。
絡む視線。
その際、彼女が少し震えたのを見逃さなかった。
「…寒いだろう。」
「あ…」
自分の上着を脱いで、真木はなまえの肩に掛ける。
「ありがとう。」
「抱き締めたとき随分と冷たかった。あれからずっとここにいたのか?」
「うん、まぁ…」
眉を吊り下げて言うなまえに真木は溜め息をついた。
「…俺が来なければ、ずっとああしていたのか。」
「…でも来たじゃない。」
「そういう問題ではない!」
屁理屈言うなと真木が叱れば、なまえはまた眉を吊り下げる。
「それに…」
まだ何かあるのかと首を傾げれば、真木はまた溜め息をついた。
「少し、痩せた気がする…」
「え、そんなこと…」
「食事はどうしていた…?」
食事、とは真木を避けていたときのことを指すのだろう。
「外食したり…食べなかったり…」
「な…!」
「そういう司郎だって、ちょっと窶れたわよ。」
彼の眼下にはうっすらと隈も見える。
少し怒ったような口調で返せば、真木は一瞬目を見張り、そして苦笑した。
「誰かとのことが気がかりで、食事などする気にはなれなかった。」
心配で眠れなかったしな、と言えば、彼女の顔は強張ってしまう。
「ッ………ごめん。」
「いや、もう気にしなくていい。」
「でも……!」
「…もういい。」
本日3度目の抱擁。
ふわりと抱き締めたこれは、先の2回とは違い優しさを感じる。
「……帰らないか?」
「え…」
「俺の部屋でもなまえの部屋でもいい。ここにいてはまたなまえの体が冷える。それに…」
そこまで言って、真木は唇をなまえの耳元へ寄せた。
「2人きりになって、離れていた分の時間を取り戻したいんだが…」
少し掠れた色っぽい声。
彼がこんなことを言うのは珍しく、なまえは顔が赤くなったのを感じた。
「で、でも、まだパーティーが…」
終わっていない。
だんだんと声が小さくなっていくのを感じながらも、なまえは真木にそう告げる。
「関係ないだろう。」
「だって、任務なのよ…?」
「出席はした。最後までいろとは言われていない。」
彼の台詞とは思えないような言葉に、なまえは目を丸くした。
「いいの…?」
「あぁ。これ以上その姿を他人に見せなくてすむしな。」
「ッ…!」
少し、体温が上昇した。
「…それって、恥さらしだって言いたいの?」
期待はしたが、もし違っていたらと思うと素直に聞けない。
少し目を逸らして言うなまえに真木は驚いて目を開き、すぐに閉じて小さく笑った。
「…逆だ。綺麗で、誰の目にも晒したくない。」
一体何が起きているのか。
今夜の真木は、驚くほど素直にものを言う。
これが酒のせいなのか離れていたせいなのかはわからないが、もう少し、この会話を楽しみたいと思う。
「ドレスだけ?私は?」
悪戯に笑って言うなまえに、真木はからかわれているのだと察するが、苦笑してまた答えた。
「なまえが、だ。ドレスのおかげでさらに際立っているのは確かだが。」
こんな答えが返ってくるなんて。
なまえは真木を見つめふわりと笑う。
「司郎もかっこいいよ。今日のスーツ、よく似合ってる。」
普段仕事できているものとは違う、上質なグレーのスーツ。
よく見なければ違いなどわからないはずだ。
その台詞は、なまえが真木をしっかりと見ているという証拠になる。
真木はなまえの頭にぽん、と手を置いた。
「…帰ろっか。」
「あぁ…」
瞬間移動が使えるのはなまえだけ。
彼女に頼らなければならない真木は、少しだけ不満そうに眉を寄せる。
そんな彼を見て、なまえはクスリと笑った。
「時間短縮のためよ。」
「…すまない。」
「気にしないで。」
そう言って、なまえは真木の頬に口付ける。
それを合図に、彼らの姿は見えなくなった。
そこにある暗闇が少し明るくなったのは、城から漏れる光だけが原因ではないだろう。
END.
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