迷子じゃなくて




ここ数日、真木はとあるマンションに住んでいる。

普段はパンドラのメンバー全員で生活しているのだが、任された仕事上、どうしてもそこに住まなければならない。

所謂単身赴任というやつだ。


「あら、こんにちは真木さん。」


隣の部屋に住んでいる女性が真木に挨拶した。

エレベーターで鉢合わせたのだ。


「…こんにちは。」


無愛想だが律儀に挨拶を返す真木。

馴れ合うのは好きではないが、例え数日でも近所付き合いを大切にしておくと何かあったときに都合がいい。


「今帰りですか?」

「あぁ。」


よく話す女だ。

別に挨拶だけでいいではないか。


「お疲れさまです。」


彼女が言ったのとほぼ同時にエレベーターの扉が開いた。

会話を続けたくなかった真木には丁度良いタイミングだ。


「それじゃあまた。」


笑顔で別れを告げる彼女に自分も少し手を挙げて同じような言葉を返した。




鍵を開けて部屋に入ると、真木はそのままベッドに倒れ込みたい衝動を抑えてパソコンに向かう。

組織の長である兵部に任務の報告をするためだ。


「少佐、聞こえますか?」

「やぁ真木、お疲れさま。」


接続されたマイクに向かって話すと、スピーカーから聞き慣れた声がした。


「事は順調に進んでいます。このままなら予定通り3日後には任務完了です。」

「そうか。ご苦労だったね。だが油断はするなよ。」

「はい。」


そこで会話は終了した。

超能力を使った任務もデスクワークも得意だが、今回のように何処かに滞在しての長期任務はあまり好きではなかった。


…あと3日。

真木は自分にそう言い聞かせてやりきることを決意した。





最終日、やっと終わるという喜びから、真木はいつもより機嫌がよかった。

いつものように家を出て鍵をかける。

偶然だが朝も夜もだいたい一緒にエレベーターに乗る例の隣人にも自分から挨拶した。


「おはようございます。」


穏やかで、いつものように低い声だが、込められた思いはもう会わないで済むという喜びだけだ。

この女が嫌いなわけではないが、こういう任務で知り合うとどうしても印象が悪くなるもので。


「あ、おはようございます…」


彼女に返された挨拶に少し元気がないような気がしたが、特に気にするほどのことでもないだろうと思い、それ以上話さなかった。







…終わった。

必要な情報は手に入れたし、やるべき事はすべてやった。

あとはアジトに帰って報告して、時間が経つのを待つだけなのだ。

自然と足取りも軽くなる。

エレベーターに乗る時間も今日はいつもと違うため、例の女とも会わなかった。

朝のあれが最後の挨拶だったのだ。

何もかもが自分にとって喜ばしいことばかりで、部屋のある階に上るまで、真木はとても幸せだった。


一人で使用したエレベーターの扉が開いた。

仮住まいに向かってまっすぐ歩く。

すると、近くまで来たところで子供がうろうろしているのが見えた。

近所の子供だろうか。

大切にしていたとはいえ、近所付き合いは最低限のものだったため知らない家も多い。

階を間違えたのか…?

まぁ自分には関係ない。

そう思い、真木はさらに歩を進めて部屋へ向かう。

だが残り2部屋分くらいの距離になったところで先程の子供が走ってきた。


「お父さん!」


大きな声で叫ぶ少女。

自分の後ろに彼女の父親がいるのかと思ったら、その子供は自分に抱きついてきた。


「お父さん、なまえ会いたかったよー!」

「!?」


全く意味がわからない。

知らない子供が自分のことを父親だと言う。

だがこんな子供を自分は知らないし見たこともない。

歳は4、5歳くらいだろうか。

それならば間違って勢い余って来ただけかもしれない。

内心かなりドキドキしながら真木は少女を丁寧に引き剥がした。


「?お父さん、何でなまえから離れるの?なまえに会えて嬉しくない?」

「な…!」


こちらをしっかり見て話す少女。

幼いが故に滑舌は少し悪いが、話している相手が真木だということは完全に理解している。


「お、俺はお前の父親などではない!」


必死に言う真木に少女は首を傾げて、鞄から何かを取り出した。


「ほら見て。お母さんが、この人がなまえのお父さんだって言ってたもん。」


見せられたものは紛れもなく真木の写真。


「なまえね、お父さんと会えるの楽しみにしてたんだよ?」


話がどんどん進んでいく。

だが頭が混乱している真木はいつ大声で叫んでしまうかわからない。


「ッ、とりあえず来い!」


少女の腕を掴んで自分の仮住まいへ連れ込んだ。


「痛いよ!!」

「あ…、すまない。」


あまりに動揺してこの少女の腕を相当キツく掴んでいたようだ。

手首には真木が掴んでいた手の痕がくっきりと赤く残っている。

とりあえず少女を座らせて、自分も向かい側に座った。


「あ、そうだ。お母さんから手紙預かってるよ。」


そう言って彼女はまた鞄の中を漁り出す。

取り出したのはシンプルな茶封筒。

受け取って中身を出すと、白い便箋にボールペンで女性らしい文字が書かれていた。


“貴方の子供です、責任をとって育ててください。私はもう疲れました。この子の名前はなまえ、超度はわかりませんがエスパーらしいです。”



たったそれだけ。

書いた主の名前すら書いてない。

他に何かないのかと封筒の中を見ると、申し訳程度に1万円札が5枚入っていた。

この程度で教育費が賄えるわけがないというのに。


「お母さん、何て書いてたの?」


何も知らない無垢な笑顔で聞いてくる少女は、なまえというらしい。

そういえば先程から自分のことをそう呼んでいたと、真木は今更ながらに気づいた。


「………。」


ありえない。

自分がこの少女の父親でなどであるはずがない。

少し寂しい話だが、自分は女性と付き合ったことなど1度もないのだ。

その自分に子供などいるはずがない。


「…お父さん?」


この子供がエスパーだというのならば、パンドラに連れていくのもありなのだがどうも納得いかない。

どうしたものか。

真木が黙って考え込んでいるとなまえは何かを感じ取ったのか喋らなくなった。

代わりにじっと真木を見つめている。

泣きわめくような奴ではないのが唯一の救いだが…

真木もちらりとなまえを見ると、目があった彼女はニコッと笑った。

だがそれでも真木は無言、無表情だ。


とその時、窓の近くでヒュン、という独特な音がした。


「やぁ真木、お疲れさま。報告が遅いから来てみたんだけど…」


兵部がテレポートで現れた。


「少……」


助かった、と現れた兵部を振り返ると、それはもう変質者を見るような目で真木を見ていた。


「アジトを離れたのを良いことにこんな犯罪を犯してるとは…、ロリコン。」

「な…!」


違う、完全に誤解している。


「君がこんな趣味を持っているなんて知らなかったけど…、部屋に連れ込むなんて最低だね。」

「違います、誤解です!」


必死に弁解しようとするが、兵部が真木に向ける目は依然として変わらない。


「…お父さんのお友達?」

「は?」


この空気を読めない少女は兵部に向かってとんでもないことを言い出した。

兵部が真木に向ける目はさらに酷くなっていく。


「隠し子かよ…」

「だから違います!俺はこんな子供知りませんし見たのも今日が初めてです!」

「え…」


真木が大声で言うと、なまえが泣き出した。


「お父さ…、なまえのこと知ら、ない…の?」

「…っ……」


泣かせてしまった真木は罪悪感を感じたが知らないものはどうしようもない。

ここで自分が父親だなどと言ってしまえばそれこそ大問題だ。


「キミの子じゃないのかい?」

「だからさっきからそう言っているじゃありませんか!」


話しても状況は理解できないだろう、そう思った兵部はなまえのもとへ行き頭に触れた。


「な、これは…!」

「どうかしたんですか?」


真木も傍へ寄ると、兵部は説明し出した。


「この女性を知っているかい?」


脳に直接送り込まれたイメージで見たものは、間違いなく隣に住むあの女だった。


「その女性の友人がね、育児放棄したんだよ。この子は彼女と遊びで付き合った男との間に出来た子だ。」

「ではその子供が何故…」


自分のところへ来たのか。

それを問おうとすると、先に兵部が話し出した。


「この子はエスパーみたいだし、孤児院は無理だと思ったらしい。そこで友人に相談したところ、君の話をしたようだ。人が良さそうで知らない奴なら誰でもよかったんだよ。」


ならばあの女に言いに行けば。

解決策が見つかったと安心した真木だが、その思考を読み取った兵部は無駄だと言った。


「その彼女、友人と遠くに逃げたよ。行き先はこの子を手放したあとに決めたみたいだ、読み取れない。」

「そんな…」


最悪だ。

突き返すこともできない。

それで朝態度がおかしかったのかと1人納得した。

そういえばなまえに見せられた自分の写真は最近の姿だった。

歩いているところを盗撮でもしたんだろう。

今さらそんなことに気づいても仕方がないが、少しでも何かを考えていなければやっていられなかった。


「この子がエスパーならウチで引き取ればいいだけの話じゃないか。バベルに持っていかれなくてラッキーだったよ。」

「しかし…」

「そうしなきゃこの子は1人だ。君は仲間であるエスパーを拒むのかい?」


そう言われてしまえば何も反論できない。


「残念だけど、こいつは君のお父さんじゃないんだ。」


兵部がしゃがんでなまえと目の高さを合わせて話す。


「う…ヒッ……く…ッ」

「でも一緒にいることはできる。僕らと一緒に来るかい?」


頭を撫でながら兵部が言うと、なまえは泣いたまま頷いた。


「決まりだ。」

「………。」

「他の子と一緒に暮らせばこの子も寂しくないだろ。まぁ特別なケースだし、君がこの子の保護者ってことにするけどね。」

「な、何を…!」


いつも通り、他の子供と同じようにパンドラの子供として扱えばいいではないか。

真木は軽く兵部を睨むと、彼は何か楽しそうにニヤニヤしている。


「父親よりはいいだろ?」

「それはそうですが…」

「じゃあ今日はもう帰ろう。みんなにも報告しなきゃいけないしね。」


兵部が言ったと同時に部屋の家具が消えた。

というより、あるべき場所に戻された。


「なまえ、一緒にいてもいいの…?」


弱々しく真木の袖を掴み聞くなまえに、真木は今までとは違う柔らかい笑顔を向けて肯定した。


「わぁ…ありがとう、お父さん!!」

「だから父親ではない!」


その会話を聞き、兵部は笑いを堪えながら3人をテレポートさせた。





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