03


 リンはちょっと、状況が飲み込めなかった。

「すまない。少し道が混んでて……あれ?荷物は?」
「クロークに預けました。それよりも、お疲れ様です」
「ありがとう。まあ……さして苦ではなかったけどね」

 目の前では一緒に居た友人が、遅れてやって来た恋人と仲睦まじく会話している。
 ところでクロークの預かり証、今持っているかい? ありますけど……どうして? いや、部屋を取ったからそこに君のも持って行って貰おうかと思ってね。その方が楽だろ?僕ん家には、明日戻ればいい。
 あら。と、微笑う友人。なまえの頬は愛を知った娘特有の色を帯びている。
 お泊まりですか? ……嫌だったかい? いいえ。でも私、着替えが……。 ああ、それなら家にあったのを適当に持ってきたよ。

 ココの忍び笑いに、僅かな動揺を見せながらも本当に、仲睦まじく会話している。

 ココがなまえと交際を始めてから、独身主義一徹と言う訳じゃないと知った女性達がなまえから略奪しようとあの手この手を使ったり、ココがなまえについて褒め讃えた所をこぞって真似したりしているのをリンは知っているが、間近でこの2人を見る度に思う。ココを振り向かせるとか、絶対無理だし。

 でも、今、リンが注目しているのはそこじゃない。ココさんがもう直きにいらっしゃるみたいですから、付いて来てもらえませんか?そう、なまえにお願いされた時リンは、珍しい。と、何でわざわざ当てられにいきなきゃいけないんだし。と、思ったが、合点がいった。

「よう!リン!クリスマス以来だな!」

 その時、リンはあらん限りの声で、腹の奥から叫んだ。

「トリコお〜!」

 クローク奥の角からやって来たココ。片手を上げて、なまえとリンを呼んだその後ろから暫く後、現れたもう一人の大男は、今日は不参加だと聞かされていた、リンの想い人だった。

「お?リンも着物か。似合ってるじゃねえか!」

 しかも、和装だ。男性の正礼装、黒い袴に黒い羽織。IGOの紋付だから、用意したのはリンの時と同じく、会長だという事は直ぐ分かった。でも、何で?と思った。どうして?と思った。けれどリンは直ぐに、どうでもいいし!トリコがいるならそれでオッケーだし!と結論付けていつもの様に、一目散にトリコに駆け寄った。

「もおー!来てくれてちょー嬉しーし!つーか、トリコの着物姿ちょうカッコいいしー!」

 勢いそのままに抱きついた。本当に、いつもの様に。トリコが、うおっ!と叫んで困り顔を見せたが気にしない。トリコの腰を抱き締めて、逞しい大胸筋に頬をすり寄せる。

 だからなまえとココがリンを見て、あらら。と、特になまえが嬉しそうに笑った事を、リンが気付く事はなかった。


 言い出したのは、なまえだった。
 リンから、今年から大役を務める事になったからなまえにも手伝って欲しいし。との、お願いを受諾した後。その準備中にリンが、鏡に映る自分に向かってぽつんと漏らした泣き言から。

『トリコにも、見て欲しーなあ……』

 リンがトリコを想う強さを、なまえは知っている。だから、なまえは新年のお祝いと労いを兼ねて何とかしたいと思った。かつて、自分とココの仲をずっと応援してくれていたリンのように、膳だてのお礼がしたかった。
 例えば、パーティにトリコを連れてくる。考え付いた当初はトリコの職や性格を鑑みて諦めかけた。先ず、一介の所員である身では捕まらない。借りに会えたとして、思い立ったが吉日のトリコが来てくれる保証は限りなく少ない。
 けれどそんななまえにとって幸運だったのが、トリコは、自身の恋人であるココの、親友ーーと、言うとココは盛大に眉を顰めて見せて、そんな綺麗なもんじゃない。ただの悪友、腐れ縁だよ。と、言うがとにかく幼少期から仲の良いーーという事。ココは基本的に、なまえのお願いは全て叶えようとする事。何よりココ自身、ネゴシエーション能力に長けている事だ。
 かくして、願いはあっさり聞き届けられた。それどころかリンと対になる和の正装で、トリコは現れた。

「トリコさんのお姿……偶然、ではありませんよね?」

 目の前で意気揚々と、トリコにこれから自分がする事や、今日振る舞われるお酒の話をするリンを眺めつつ、なまえはココに訊く。

「さあ、どうかな」

 ココは意味深に口角を上げた。視線をココに移したなまえを見下ろす。

「それよりも今日のなまえ。凄く綺麗だ。」

 身を屈めて来たと思ったら囁いて、なまえの額に唇を落とす。

「やっぱり、そのドレスで正解だったね」

 なまえは、もう。と、唇を突き出し、

「はぐらかさないでくださいな」

 口では困った風を装いながらながら、でも、幸せそうに笑った。




する君のお願い事



 余談だが、その後のパーティーは大盛況だった。
 あの後、四天王の中でもサニーと違い、普段滅多に会えないトリコやココが会場に現れた事により、場内は一時騒然となった(案の定ココは暫く女性達に群がられ言い寄られた。予測していた事とは言え、その最前列には当然のようにあの三人がしなを作っては媚びていたから、なまえは胸にもやもやとした思いを感じた)が、直ぐに行われた『振る舞い酒』では誰もが一様に前を注目した。(この隙にココは逃げ出し、ココから離れたテーブル付近で先輩らしき男性所員と談笑していた恋人を奪還し、最後尾の壁際についた時にはなまえの肩を抱き寄せたまま退場までずっと、離れなかった。)

 台車に乗せられた御実酒を、リンが壇上へと運ぶ。本来ならなまえが担う役だった。そして、本来ならリンがいる筈だった定位置にトリコが現れたと思ったら、前列の人の歓声を受けてすぐ、素手で、殻を横からスパンと、切った。まるで、鋭利な刃物で切断するように。
 当初の予定では掛け声と共に、リンが上から杵で割り開いて行く行事だった。所長だって拳でカチ割った固さの殻だった。それが、一瞬だった。
 周囲の、主に男性所員からはその一芸に対して野太い歓声が上げられた。カラテのカワラワリより憧れる、男のロマンが目の前で起こったのだから、無理も無い。女性所員の多くは一瞬呆気にとられ、残りはでも黄色い声を上げた。因みに、リンは即座にトリコに抱きついた。

 なまえは、思わず言葉を失った。目の前で起こった現象が俄かには信じ難く、何が起こったのか直ぐには分からなかった。
 殻の堅さはなまえも知っている。
 いくらトリコが筋骨隆々の屈強な大男と言っても素手で、ああも簡単に切断出来る物じゃない。
 戸惑うなまえの真横で、ココが苦笑する。

「あれが、トリコのナイフだよ」

 話には聞いていた。でも、トリコの腹部迄ある大きな実をあっさりと切ってしまうほどの威力だとは、思っていなかった。

「鮮やか、ですね」

 歓声につられて打つ拍手は動揺が見え隠れしている。ぱち、ぱち、ぱち……。なまえは、規格外の力を見せつけられると放心してしまう性格らしい。

「驚き過ぎだよ」

 そんななまえにココはくすくす笑う。

「普段からあれで、猛獣を一刀両断しているからね。肉を切らせて、骨を断つ。さ。文字通りね。……四天王の名は、伊達じゃない」

 確かにトリコは、猛獣相手に死闘を繰り広げては仕留めていく、美食屋のトップバッターだ。グレネードやRPGであっても全く通用しない獣相手を素手で仕留める凄腕だとは、IGOの所員なら誰でも知っている。ココ以上に見上げなければいけない高身長に、鋼の体。手だって大きい。皮も厚そうだ。と言ってもでも、見た目ではごく普通の手だった気がするのに。それが、どうして丹念に研がれた刃物の様な威力を発揮するのかしら……。なまえは、頭を捻ってしまう。
 トリコの手はそれこそ今、なまえの肩を抱いているココの手と、きっと何ら変わりない。厚く、節が目立って、一本一本ががっしりとしている。マメが潰れてすっかり厚みを増している掌は剥き出しの肩に確かな熱を伝えてくる。なまえは視界に映るそれをじっと見つめて、

「ココさん、も?」
「へ?」

 やおら、ココを仰いで呟いた。

「ココさんも確か、四天王で……」
「………」

 後に、なまえは今でこそロマンスムービーを嗜むが、どちらかと言うとアクションムービーに眼がない少女だった。という事を人伝に知った時、ココはこの日の事を思い出してそして、そう言えばあの時の彼女の瞳はかつて無いほどに輝き、最も強いプレッシャーを僕に与えていた。と、語った。

 男として。愛しい彼女の期待には多少無理をしても応えたい。が、完璧な男だともて囃されるココにも、向き不向きがある。

 なまえの熱い羨望の煌めきは、ショットグラスに注がれた芳しい御実酒が手渡されるまで、ココを苛ませた。




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