不機嫌を態度で表せば自分よりもずっと素直なサニーは更に眉間に深く皺を刻んでくる。それを見てつい、重々しい口が開きかけてでも、言葉が浮かばないまま結局閉じてしまった。
気不味さに口を歪めれば、はっ。と、吐き捨てる様にサニーが笑う。
「見ろ。前だっていつに構ってる暇ねーって分かってんじゃねーか」
「そう言うわけは……」
「嘘つくなし」
そして言い終わらない内にばっさりと断言してきた。しかも否定した言葉そのものを嘘と決め付て来ると言う横暴さ。
これには流石のココも、心底ムッとする。言い淀んだからいけなかったんだ。はっきりきっぱり、言い切れば良い。
「図星じゃねーねなら、んで連れて来なかったんだよ」
けれど間髪入れず覆い被さって来た言葉についココはまた、用意していた反論を飲み込んでしまった。
疑問形のようであったのに、本人にその気はなかったのだろう。返事等待たずにサニーは尚も続ける。
「ぶっちゃけ連れて来ると思ってたし。ちょど、クラルのバカンスと重なってっし、つに、前は俺と違って向こに着く迄2ヶ月かかるだろ?」
サニー迄がクラルの休みを把握しているのは、彼の妹がクラルの上司にあたるからだ。
「、くにグルメ馬車ならよ、いつ、ギガホースっつか、いつの調教師に憧れ持ってたから余計に喜ぶし」
確かに。そうだ。ココ自身それは自室でも思った。きっとクラルは喜ぶ。目を輝かせて顔を綻ばせて、体中からきらきらと美しい電磁波をはたはた輝かせて、愛用のコンデジでギガホースを撮影する。そして終始、上機嫌だろう。ココと一緒、二人で旅行。と、言うのも一因だろうが、普段休みを合わせて行く旅よりもずっと喜んでくれる。
「邪魔じゃねーなら連れて来てもよかったんじゃね?、っきょく馬車ん中じゃ出来る修行も限られて来るし」
微かに口角を吊り上げたサニーがココの出方を伺う様に言う。
「んでそーしなかったんだし」
今度は言葉のまま、ニュアンスのままだった。
「それ、は……」
それは、ココも考えていた。
そもそも初めは連れて行く気でいた。電話でジダル王国へ行く事が決まったと告げた後、苦悶の感情に堪えきれず会いに行ってしまった時、『君さえ良かったら一緒に来るかい?』なんて、言葉を用意して向かった。
でも、いざ開かれた扉の向こうでココを迎えたクラルの、呆気にとられた驚きからやがて瞬かれた瞳にそして、紅潮した頬を持った『嬉しい…』照れ笑いの呟きにそのままタイミングを失った。クラルは兎も角ココは、四捨五入したら三十路だけどその時思った。若さって怖い。
だから今、ココはつい二の句を見失ってしまう。視線を宙に彷徨わせつつ、口を開く。
「まあ、なんだ。確かにクラルは喜ぶだろうがでも、今回は目的が目的だろ」
ゆっくりと言葉を選ぶ。
「そりゃあ、グルメ馬車を使う手前目的地に着く迄出来る事は限られてしまうが……修行だというのに女性同伴は不謹慎じゃないか、」
言って、何だか言い訳じみていると思ってしまった。クラルがこの場にいなくて良かった。とも、心の片隅で思う。
サニーの言い分の後にこの言い分。もし聞かれていたら暗にサニーの発言を肯定していると、誤解されかねない気がした。もしくは、真面目ぶってる。だってサニーの言い分も一理有るのだ。
修行と言ってもそれが本格的に始まるのは目的地に着いてから。それまでの間、この贅を尽くした馬車の中で出来る事は限られている。サニーと違いココは、その地であるジダル王国へ行く手段なんて他にもあったのだから。
ココはそっと、心中で息を吐いた。もう一度思う。
――クラルが居なくて良かった。
気不味さに額に手を置いた。と、サニーが
「んなん。今でも十分、不謹慎だし」
思わずココは目を点にした。は?とそのままを顔に出せばサニーは腰に手を当てて得意げに、口角を上げる。
「まえ、修行のつもりで来たんだろ?」
「ああ、」
答えてからココは気付いた。やべ、しまった。
「のわりにはまえ、先からずっとクラルのことばっか考えてんじゃねーか。俺引き留めたのだって、いつから連絡来ねーからとかだったろ。…まえはいつの保護者かっつーの」
思わず舌を打ち鳴らしかける。
「俺等は今、んなことにうつつ抜かしてる暇ねーだろ?」
詰まらせた喉のせいで未遂に終わったけれど。
「それ、は……」
「から連れて来なかったんじゃねーの?っさい、まえだって分かってたじゃねーか。不謹慎、だってよ」
ココは苦い顔を作った。
それこそ認め得ざるしかない事だった。
だって情勢からして今は、純粋に現状を謳歌出来る時じゃない。事態は一刻、刻一刻と最悪に向かって動いている。
グルメ日食、四獣の来訪、GODの出現、戦争。 世間が混乱に陥らないように、噂で語られはしても今は未だ、ネット界隈に蔓延る事実無根の情報でなければならない。
だからそれを正確に知っている人間は未だごく一部に留められている。IGOの上層部、限られた、第0ビオトープの職員、そしてココ達四天王。
加えて守秘義務の関係上、公表の許可が下りる迄クラルにも話せない。だってトリコも、コンビの小松にさえ話していないのだから。クラルに言えるわけがない。
結局タイミング云々でなく片隅ではそうだと思っていたから、誘い文句を呑み込んだのだ。
けれどでも、それをまさかサニーに指摘されてしまうなんて。
なんとなく釈然としない思いがココの中に渦巻く。
「そう、だな…」
苦々しい思いのままに呟く。
サニーが勝ち誇ったように笑う。
「ま。どせ、女なんて擦り傷ひとつ見つけただけできゃんきゃん喚いてメンドクセーし。つーか修行の邪魔になるだけっつーの。なあ?」
「………………」
ココはサニーを思いっきり睨んだ。無言のまま、それは言い過ぎだ。と、態度で示した。
クラルにうつつを抜かし過ぎている。と、言われたらそう見えていたのかと、まあ…確かにそうかもしれない。と、四天王の肩書きを持つひとりとして気不味さは感じこそすれココは、彼女を邪魔だと思った事はこれ迄一度も無い。きっとこれからも、邪魔だと感じるなんて有る訳が無い。
確かに以前、クラルの職場で満身創痍の状態のままクラルと会ってしまった時、今にも泣くんじゃないか……と迄はいかなかったものの、幾ら擦り傷だから。とか、大丈夫だから。と言っても眉を下げたままにこりとも笑ってくれなかったクラルには困惑したが、(その後、すっかり傷の無く成ったココの背中に手を添えてひと撫でしたクラルが、「良かった……」「え?」「お怪我。綺麗に治りましたね」と額をくっ付けて小さく溢した安堵の吐息には何だか申し訳ない気分になったりもしたが)それでもそれを煩わしい。とか、面倒くさいとは、思った事は無い。
寧ろ愛しい、と言うか、なんか良い。こう言うのも悪くない。とも思う。
ココからすれば何て事の無い、凡そ怪我とも呼べない傷なのに、クラルは悲しそうに顔を陰らせてそして、安堵する。だから愛しかった。自分の事以上にこの身体に心を砕いてくれる、彼女の存在。漠然と感じる幸福感。自分は男としてこの子にとって一番大切な存在に収まっているのだと言う実感。
近くのプールサイドから歓声が上がった。
黄色い声は楽し気な笑いに満ちて青い空へと吸い込まれていく。デッキを覆う濃い影の向こうに照りつける日差しには、瑞々しいフルーツの香りが混ざっている。
柱の裏側からは人と人がぶつかる音がして、プールからの歓声に混じり、カツカツカツと足音が、ある音は横へ通り、ある音は遠く成る。自分達の他にもこの場所に誰か居たのか。ふとしてココは思ったけれど、その目は相変わらず、サニーを睨み付けたままだった。
まあ別に、他人に聞かれて不味い話しはしていない。ココはふう、と息を溢して思う。クラルにさえ聞かれていなければ良い。つーかまあ、居るわけ無いけど。
「……んだよ」
「いや、」
ココの無言の糾弾に耐えきれなく成ったサニーが不躾に口を尖らせる。それに、素っ気なく返す。
「お前達に何があったかは知らないが……」
ココは、静かに続ける。
「もう、僕達を巻き込むなよ」
今度はサニーが、言葉を詰まらせる番だった。
∵
何処をどうやって辿り元の場所へ帰ったのか。クラルは思い出せなかった。
歩いて来た路をそのまま戻ったのかもしれない。気付いたら上階フロア専用のロビーへ辿り着いていて、「あんた…キー忘れてったでしょ、」一般客が迷い込んでしまわない様にかキー認証がなければ開かない硝子扉の前でクラルを待っていてくれたマリアに、呆れ混じりの溜息を貰った。
「ちょっと、……どうしたの?」
ついでに不安げな顔をされた。
「クラル、」
「何でもないわ」
取り繕う様に微笑んで、綺麗に整えられた眉を寄せる親友にクラルは答える。
「モバイル、見つからなかったの。…それが、ショックで」
それは、嘘と真実が綯い交ぜになった言葉だった。
喉を干上がらせて心臓を痛くさせる、本当のショックは別の所にあるのに今のさっきじゃ説明に適切な語句が何も浮かばなくてただ、クラルは乾いた笑いを混ぜる。
「ごめんなさい、マリア」
「クラル、もう…」
心配そうな顔のまま一歩と近付いたマリアにクラルはぐっと、お腹に力を入れて笑う。
「ちょっとだけ、部屋で休んでも良いかしら?」
ラウンジの中はクラルが掛け抜けた時よりも人が増えていた。先程は居なかったボーイが窓辺の夫婦に美しいグラスに納まったシャンパンを運んでいる。時折控えめな談笑が奥から聞こえる。
軽く首を傾げて眉を潜めて見せたマリアに、クラルは、そっと笑う。
「下、とても暑くて……少し、疲れてしまったの」
お腹に力を入れて、微笑う。
「ちょっと、横になりたいの」
だってそうでもしないと、今にもクラルの体は足元から崩れて、目の前の親友に泣いて縋り付いてしまいそうだった。
だってクラルは、考えた事も無かった。
自分がココにとってまさか、お荷物になっていたなんて、そんな事を思われていたなんて。
考えさえ、していなかった。
「お願い」
下のデッキで、柱越しに聞いてしまった言葉がずっと耳の奥で燻っている。うつつを、抜かしている場合じゃない。構っている暇はない。不謹慎。邪魔、。
「……クラル、」
マリアは薄く笑う親友を前に、ふいに察した。
――下で、何があったの?
少しだけ眉に刻んだ皺を濃くする。
でも、
「……分かったわ。部屋、戻りましょう」
同じくらいに、今は、それを検索すべきでないとも察した。
マリアは気付いていた。
今のクラルはきっと、蜘蛛の糸より細くて弱い糸を限界迄、心の中で張っている。
「でも、飛び切り美味しいグアバジュースを作って貰ったから」
だって二人は伊達に長い付き合いじゃない。
だから取り繕って微笑んだところでもう、直ぐに見抜いてしまえるしそれは、余計痛々しく見えるだけなのに。
「先にそれを飲んで。それから横になると良いわ」
けれど、体の前で重ね合わせた手の震えを気丈に諌めてでも、
「ありがとう。マリア」
笑うクラルを前にすればマリアは調子を見失う、
「…なにが?入れたのはバトラーよ」
つんとした澄まし顔を作ってそっとクラルの肩に手を添えた。
ラウンジの奥にある階段を登って少し歩けば、初老の男性が扉の前で二人を待っている。