その肩
その肩は強張らせているものの、一見すればココに恭しく抱き寄せられて仲睦まじい様子でもあるのに、小松の目に映る彼女は何かがおかしかった。
それは衣装や雰囲気とはまた違った見たままの違和感で、小松は、首を傾げる。なんだろう。何かいつもと違うんだよなあ。そんな事を考えていたらふと、クラルと目が合った。
困り眉のまま一瞬だけ彼女は驚いて、でも、小松にそっと笑んだのは反射だろうか。ココも、クラルの様子に気付いて小松に視線を移す。あ。と、彼の口から声が漏れたかもしれない。まだ居たんだ。と、言わんばかりの顔を見せた。
距離が縮まる手前で、2人が歩みを止める。その一瞬にクラルが、何かを耐えた表情を覗かせた。
その時、感じていた違和感の正体に気付いて小松は、声を上げた。あ。
「小松く、」
「クラルさん、足、痛めたんですか?」
ココに、名前を呼ばれるよりも早かった。立て続けに「右足かなあ……庇ってますよね?」とも。
「え?」
「え?」
小松の声に、2人は似た顔で同じ音を発した。けれど直にココはその顔を険しくさせて、クラルへと視線を投げる。クラルは、
「――いいえ」
小松に向って咄嗟に、顔を横に振った。指摘された足をドレスの裾に隠し、僅かに体を緊張させる。気まずそうと言って、遜色の無い態度だった。
「いえ、そんなこと、ありませんし、あり得ませんよ」
小松に向ってしどろもどろ答えるその姿に、ココは口の中で悪態を吐いた。
「え、でも……」
「お気のせいで、」
やおら、ココはクラルを抱き上げた。短い悲鳴が、きゃっと上がっても御構い無しに彼は、クラルの肩を左手しっかりと握り、彼女の膝裏を右手で性急に捕らえてそのまま、ひょいっと腕に収める。
「あの、ココさん……!」
クラルはその目を白黒とさせ、自身を抱える男の名前を呼んだ。
「本当に君は、取り繕いが下手だな」
目の前の光景に、小松も赤面した。
小松の目の前でクラルの体が横向きに抱きかかえられる。ドレスの裾が動きに遅れて後に付いて来る。
長身強壮で体格の良い美丈夫が花顔柳腰で艶のある女性を、その堅牢な腕に軽々と乗せているその様は、まるで舞台の一幕だった。うわーうわーと、上がりそうな声を小松はぐっと飲み込む。
「と、取り繕いとは……どの様な意味を、」
クラルの瞳も驚きで開いて、頬もみるみると赤くなる。声もしどろもどろとして、いつもと違う。
「ちょっと、膝元抑えててくれるかい」
それでもココはそんな2人の動揺なんてどこ吹く風で、飄々と、クラルに指示を出した。
クラルも動揺を隠せずに居るがココに言われるまま、大人しく手で膝を抑える辺りには、お互いの信頼が伺えた。
それにお互いにとって珍しい体勢じゃないのか、クラル自身もどこか慣れた様子でいる。小松は、何だか恥ずかしくなって来た。
それでも、え? ココさん? 何する気? と、未だうわーうわーと叫ぶ脳内の片隅でクエッションマークを浮かべていればココが、まるでクラルに体重なんて存在しないとばかりに軽々とその横抱きした身体――つまり世間一般で言うお姫様だっこをしたままぐいっと彼女の足側を持ち上げた。自然と裾からその膝小僧が過ぎる迄、クラルの足が露になる。
日焼け知らずの明るいベージュの色を持つ、すらりとした曲線が小松の前に晒され、小松は、思わず目を反らした。
「−−あのっ」
クラルの焦りが耳に滑り込む。
女性の生足なんて昨今、人によっては惜しげも無かったり街に出ればそこらかしこで見かけるのに、何故か現状に関しては、見てはいけない気がした。
自分の右手側奥をなんとなしに見続ける。
先ほどココが一度は向って踵を返して来た通りの奥に、階段が見えた。恐らくあれを昇って暫く進めば高層フロア専用のシャトルがあったはずで、それに乗れば小松はトリコと取ったツインルームに帰れるはずだ。
勿論それは小松に限った事じゃない。ココもサニーも、同じフロアに部屋を取っている。
最も2人は、小松達より長期の滞在だから部屋の誂えがより快適そうだったけれど。ただ、今はそんな事、現実逃避の一抹だ。クラルがココを呼ぶ声が聞こえる。驚きと懇願とが織り混ざった響きには、……ボク、居るんですけどねえ。なんて小松の心中に動揺が湧く。クラルも小松と同じ気持ちなのか、「……小松さんが、いらっしゃるのに」声が弱々しく呟いている。
そうですよ、そう言う事ならもっと別の場所でしてくださいよ。と、訴えたい欲求が胸を鬩ぐのに口に出来ないのは、間違いなくココのせいだ。
さっき目の前で起こった奪還劇と今、クラルの足下を見て舌を打ち鳴らした音のせい。
ココはその形のしっかりとした眉の間に皺を寄せた。畜生。もう一度、口の中で悪態を付く。いつだ? まさかさっきのあれか?
無理矢理眼前に晒したクラルの右足。いつかに一緒に選んだマノロブラニクのパンプスがきちんと吸い付く様に収まった小さな足のその外側に、薄い内出血が滲んでいた。
丁度くるぶしの前側に、三日月の様な紫色が現れているその滲み具合からココが想定できる症状は、前距腓靭帯の損傷。つまり、捻挫だ。
腫れは今の所見えないし、打ち身や靴擦れの可能性もあるがココの想定には、小松の言葉が後押しをしていた。
「いつからだい?」
「……その、」
僅かに怒声が混っているココの声にクラルは、思わずその手に力を込めた。スタートには皺がより、クラッチの留め具もぐっと音を出す。
「その?」
ココの視線がクラルの足下からその顔へと移る。抱え直して、顔と顔を近づける。
「平気です。それほど、痛いと言う事もありませんの、」
「やっぱり痛みがあるのか?」
「その、」
クラルは、しまった。と、言わん顔で目を見開いた。抱え直されたお陰で殆ど真っ正面にあるココの顔、その眉間に深い皺が寄る。
「クラル」
追撃の様に、名前を呼ばれる。クラルはクラッチをキツくキツく握った。ココを見詰めたまま、口を開く。
「本当に、少しだけですから。歩く時に少し、ですから下ろし、」
「歩行時に、痛みが走るんだな」
「ココさん」
「小松くん」
ココは、クラルを無視して、小松を見下ろした。
「先に戻るから。トリコに……そうだな。適当に言っておいてくれないか」
「え、ココさん」
小松は逸らしていた目線をココへと移した。え?え? と、混乱を隠さない顔でココとクラルを交互に見る。
ココは、小松に向ってはいつもの様に優しい笑顔で、
「あと、クラルの事。教えてくれてありがとう」
伝えるなり再度、クラルの体を抱え直し、と言うよりも自分の身頃にしっかりと抱え込んだ。
クラルはその動きに、はっとした顔をしてココに下ろすよう懇願している。恥ずかしいです。よして下さい。歩けますから。なんて、しきりに何度も言い聞かせているのに彼にしては珍しい程クラルの意見をまるっと無視して、大股でその場から離れていく。
後に残った小松だけ、すこし呆然と、右側の奥にある階段へと続く道を往くココの広い背中を見送った。
クラルさんも決して小さい背丈じゃないのに……ココさんに抱えられるとまるで、少女と大人だあ、なんて、良く分からない感想を抱く。頬を、指先でぽりぽりと掻く。
数分後、正気に戻った小松が会場へと引き返しそこで、バーカウンターのお酒を飲み干さんばかりに煽っているトリコと合流したなり彼に、「お前なんか、……女もんの香水くせえぞ」と。訝し気に詰め寄られた時には一瞬動転したけれども、事の次第は伏せた。
何となく説明しづらさもあったがそれよりも、ココやクラルの名誉の為に、伏せておいた方が得策だと思った。